コラム
2008年05月20日

「権利の上に眠る者」と消えた年金問題

経済研究部 専務理事   櫨(はじ) 浩一

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1.「『である』ことと『する』こと」

高校時代に使った国語の教科書に「権利の上に眠るものは保護されない」という話が書いてあった。どうしても誰の文章だったのか思い出せずモヤモヤとしていたのだが、丸山真男の「『である』ことと『する』こと」の一節だということを友人が教えてくれた。権利があっても行使しなければ、いずれは失われてしまう。自分は債権者であるという位置に安住していると、ついには債権を喪失してしまう「時効」という制度が、「権利の上に眠るものは保護されない」という考え方に基づくものであるということが書いてあった。

ちなみに、本論であるはずの、「である」と「する」の話の方は、どんなものだったかすっかり忘れてしまった。最近は権利の主張が行き過ぎではないかと思われることも少なくないので、この小論に対しては、「義務について触れず、権利ばかり主張する人を増やした」という批判もあるようだ。

しかし、この文章が書かれた第二次世界大戦直後という時代を考えれば、こうした批判は当たらないだろう。欧米の国民主権は国民が勝ち取ったものであるのに対して、明治以来の自由民権運動の歴史はあるものの、日本の国民主権は新憲法という形でタナボタ式に得たものというところがあるのは否めない。「国民主権だ!」と言っても国民がそれを行使して政治を監視していないと、ついには国民主権が形骸化してしまうぞ、という警告は今でも価値を失っていないのではないか。

2.消えた年金問題と申請主義

さて、急に40年近くも前に読んだ文章を思い出したのは、消えた年金問題に触発されたからだ。公的年金は、年金を受ける資格ができたとき自動的に支給が始まるのではなく、自分で年金を受けるための手続き(裁定請求)を行う必要がある。年金は請求しないと支払われない、いわゆる申請主義となっている。年金を受給する権利があっても、申請しなければ受給できない。「権利」があっても主張しないと保護されないのである。権利があっても主張しなくてはダメだということは民法の法理とも言われるそうだから、法律を勉強した人たちには当然のことなのかも知れない。

しかし、こうした考え方と一般の人たちの認識との間には、大きなギャップがあると言わねばならないだろう。とりわけ、現在問題になっている記録が正しいかどうかという点については、「権利があっても主張しなくては保護しないぞ」と言われても困る。自分がいつからいつまでどこで働いており、毎月の給与がいくらだったかとか、年金保険料をいくら払ったかという証拠や記録を残している人はめったにいないだろう。そもそも、毎月の年金の記録がちゃんと管理されていないかも知れないという事態を、どれだけの国民が想定していただろうか?自分の権利を主張するだけの証拠を示せる人は、一握りではないかと思われるからだ。

3.税方式化も選択肢のひとつ

消えた年金問題の解決はなかなか進まない。このまま年金加入者の記録の調査をおこなっていっても、過去の年金の記録を正確なものにするために、どれだけの時間と費用がかかるのかも分からないだろう。記録が無くなっていたり、納付したはずの保険料がはじめから記録にはなかったりした、ということがあったのが分かっているのだから、そもそも記録を完全に正確なものにするということは不可能なのではないか、とすら思えてくる。

だからと言って年金の受給権を主張する人すべてに年金の支給を認めてしまったのでは、ちゃんとした証拠がないからとあきらめてしまった人の権利は保護されず、証拠はなくても自分の権利を主張した人は得をするということになり、権利の主張の行き過ぎを助長することになる。

こうした問題点を踏まえれば、消えた年金問題への対応として、過去の納付記録とは切り離して基礎年金部分だけでも皆が負担している税金でまかなうということも、十分検討の余地があるのではないだろうか?

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経済研究部   専務理事

櫨(はじ) 浩一 (はじ こういち)

研究・専門分野
マクロ経済・経済政策

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