コラム
2008年03月04日

生命保険好きの国

保険研究部 主任研究員   松岡 博司

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ずうずうしい限りだが、洋の東西を問わず、外国の方にお会いするときには、「もし今、あなたがお亡くなりになったとしたら、ご家族はこれからどうやって生活していくと考えていますか」という質問をぶつけることにしている。だいたいの回答は「さあ、どうするんでしょうね。考えていないなあ」である。

これに対して日本の場合はどうだろう。結婚したら生命保険に入るのは家族への責任だと思うし、自分に万が一のことがあったら家族はやっていけるだろうかと不安だし、どの保険とどの保険でいくら保険金が出るはずだ、と心の中に留め置いている。これが一般的な感覚ではなかろうか。

生命保険の研究に携わっている者として、どうしてもうまく論文にできず、悔しい思いをしている題材がある。なぜ日本では生命保険(それも死亡保険)が好まれるのかという題材だ。

わが国の生命保険・個人年金の世帯普及率は、87.5%(06年)と高い。セールスマンが100軒の家庭を回れば、87軒から「もう入ってます」と言われる計算になる。各家庭が加入している生命保険のほとんどが、死亡があれば遺族に保険金が支払われるという形の死亡保険であること、各人が保険会社との間で契約を取り交わした形の個人契約がほとんどであること、は実感としてわかっていただけるだろう。

これに対し、米国の生命保険(個人年金は含まない)世帯普及率は78%である。個人契約だけに限った場合の普及率は50%であり、団体生命保険への加入が全体としての普及率を底上げしている(リムラ・インターナショナルのデータに基づく)。英国の世帯普及率はさらに低く、約40%である(英国保険協会のデータに基づく)。しかも英国の場合には、生命保険は死亡保険というよりも、貯蓄・投資商品としての色合いが濃い。

こうした、世界的に見ても高い日本市場の死亡保険普及率はなぜ達成されたのだろうか。これがよくわからないのだ。飛び抜けて家族思いの人々が多いのか?、社会保障の形が違うのか?、仮説はいくつも立てられるが、明確な検証の手段がない。欧米対アジアといった図式があてはまれば、まだいいのだが、中国などのアジアの国々でも生命保険は貯蓄の手段としてとらえられる傾向が強い。どうも日本だけが特殊であると考えざるをえない実態にある。

以下は、私が考えている、わが国の高い死亡保険普及率の背景仮説である。皆さまからのご意見をお聞かせ頂ければ幸いである。

一つは、中流化の流れである。戦後の復興と経済発展の中で、わが国は国民総中流と言われる一時代を築き上げた。中流に達した家計は、大黒柱を失った場合に築き上げた中流の地位を失うこととなることを恐れた?

二つめは、女性を家庭に縛りつけた家族制度である。夫婦別姓も多いフランスでは、生命保険といえば明らかに貯蓄商品と考えられている。女性が収入源を持っていれば、自分の死後を心配する男の責任論など必要もないだろう。

そして三つめは、女性営業職員を主たるチャネルとしてきたわが国独自の生命保険販売体制である。死亡保険を販売するには、考えたくもない死亡という事態を顧客にイメージしてもらう必要がある。不吉な話をもちこんだと言って塩をまかれたという話も聞く。死亡保険の必要性を感じていない顧客に、くりかえしその必要性を説き続けた、女性営業職員によるねばり強い販売活動が、今日の高い普及率獲得に果たした役割は大きいのではなかろうか。今日の日本の生保市場は、死亡保険の効用をよく理解した消費者がほとんどのマーケットである。この土壌に参入してきた外資系等の新しい生保会社はさぞ活動しやすかったことだろう。

とはいえ、ここ10年間、こうした背景には大きな変動が見られる。総中流の時代は終わりを告げ、格差社会が喧伝されている。女性は社会の各方面で活躍するようになったし、子供の数も減っている。残しておかねばならない金額は少なくなった。平均寿命が延び、若くして死亡するというリスクよりも老後の生きる糧を心配する気持ちが強くなっている。わが国の生保業界は現在、戦後の大成功をもたらしたビジネスモデルの見直しを迫られていると言えるだろう。

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保険研究部   主任研究員

松岡 博司 (まつおか ひろし)

研究・専門分野
生保経営・生保制度(生保販売チャネル・バンカシュランス等、主に日本生命委託事項を中心とする研究)

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