コラム
2007年05月28日

所得再分配効果の虚実

経済研究部 主任研究員   石川 達哉

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1. 目を向けるべき「見掛け上の所得格差縮小」の可能性

他の年齢階層と比べて元来の所得格差が大きい高齢者世帯の割合が高まれば、統計上の所得格差が拡大することは、今や多くの人が知るところとなりつつある。所得格差を巡る議論では調査・統計に基づく分析が重要な役割を果たしており、高い頻度で引用される資料としては、厚生労働省の「所得再分配調査」が挙げられる。同調査の報告書においては、格差の代表的な指標であるジニ係数が計測され、その変化に関する要因分析を通じて、高齢化に伴う「見掛け上の所得格差拡大」が平明な形で示されている。

このような公表資料の存在もあって、「見掛け上の所得格差拡大」が論じられることは非常に多いが、それとは逆の「見掛け上の所得格差縮小」や「見掛け上の所得再分配効果」について論じられることはほとんどない。税制や社会保障制度の重要な機能には従前の所得格差を縮小させる効果、すなわち所得再分配効果があるが、効果の大きさを指標の形で計測した場合に、見掛け上の効果が含まれてしまう可能性はないのであろうか。格差の実態を正しく理解するためには、こうした可能性についても目を向けるべきであろう。

前述の「所得再分配調査」は税制や社会保障制度による再分配の実態を明らかにする目的で実施されており、社会保障給付や社会保険料を種類毎に分類して、収入・所得と拠出・負担の内訳を正確に把握するための調査として、定評の高いものである。
その集計に際しては、退職一時金、企業年金、生命保険金も賃金などと同様に「当初所得」に含める一方、公的年金などの社会保障給付は「当初所得」からは除外して「再分配所得」のみに計上するなど、他の統計にはない「所得再分配調査」固有の分類がなされている。こうした取り扱いもあって、例えば、年間所得50万円未満の世帯は、「再分配所得」に関しては全世帯の0.9%に過ぎないにもかかわらず、「当初所得」に関しては18.7%も占めている。このような所得分布の集計結果は、他の公表統計からは得られない貴重なものである。

そして、全般的な所得再分配効果を測る指標としては、「再分配所得のジニ係数」が「当初所得のジニ係数」と比べて何パーセント縮小しているかを表す「ジニ係数の改善度」が採用されている。ジニ係数の変化に基づいて所得再分配効果を測ろうとする考え方は分析手法として普遍性の高いものである。
しかし、この「ジニ係数の改善度」こそ、見掛け上の効果を含む可能性が高いのである。

2. 社会保障制度の再分配効果を一時点のデータで測ることの困難

生涯賃金がどんなに高い人でも、引退する際に企業からの退職後給付を一時金形態で受け取ってしまえば、新たな職に就かない限りは、収入の大部分を公的年金に依存することになるであろう。その場合の「当初所得」はゼロに近いはずである。現役世代であれば、失業者を除けば、ほとんどの世帯主が働いており、働いている限りは「当初所得」はゼロにはならない。つまり、「当初所得」がゼロに近い世帯の大半は無職高齢者世帯である可能性が高い。
これに対して、「再分配所得」には基礎年金や厚生年金も計上されるため、無職高齢者世帯であっても、基本的には所得ゼロとはならないはずである。特に、現役時代の生涯賃金が高かった人には厚い報酬比例給付がなされるため、社会保険料が控除された現役世代の「再分配所得」との差は非常に小さなものとなるか、場合によっては逆転するであろう。

図-1


これらの事情を考えれば、「再分配所得」のジニ係数が「当初所得」のジニ係数よりも相当低くなることは自明かもしれない。ただし、「再分配所得」と「当初所得」の差には、公的年金の給付と保険料の差だけではなく、失業者に対する給付、生活保護世帯に対する給付、さらには医療・介護などの現物給付と税や健康保険料などの拠出との差も反映されているはずである。平均値での比較しかできないが、その差の主要部分が、若年世帯の場合には公的年金保険料負担が減算されるかどうかの違いによってもたらされ、高齢者世帯の場合には公的年金給付が加算されるかどうかの違いによってもたらされているように見える(図-1)。

したがって、社会全体で計測される「再分配所得のジニ係数」が社会全体で計測される「当初所得のジニ係数」よりも低いことに関しては、主として負担のみを行う若年世帯のデータと主として給付を受けるのみの高齢者世帯のデータが一緒に集計されることによる効果が小さくない、と考えられる。極論すれば、「所得再分配調査」における「再分配所得」と「当初所得」の定義の仕方が「ジニ係数の改善度」を押し上げている可能性がある。

収入が異なる個人(世帯)が生涯を通じて助け合いをする制度の中で、負担の大きさも給付の大きさも個人(世帯)間で異なることが、公的年金を通じた所得再分配の本質であろう。現役期には公的年金の負担を行う側、高齢期には給付を受ける側になることは誰にも当てはまることながら、そのタイミングは世代によって異なる。給付と負担に世代間格差がほとんどない場合でも、タイミングが異なることが「再分配所得」と「当初所得」の集計値には影響を与えてしまう。つまり、両者から算出される「ジニ係数の改善度」には本質的な所得再分配効果以外の要素も含まれることになるであろう。それは「見掛け上の所得格差縮小」効果と言えないだろうか。

厚生年金の場合、一時点の給付額といえども、過去の負担にリンクしており、そのリンクの仕方は時代によって異なるし、同じ時代でも賃金水準によって異なる。給付と負担の関係は世代内でも世代間でも異なるのだから、所得再分配効果は世代内、世代間をまたがるものである。理想を言えば、社会保障制度、特に、公的年金制度の所得再分配効果は、生涯の収入、生涯の負担、生涯の給付に基づいて議論すべきであろう。現実には、生涯にわたる追跡データがない以上、一時点のデータに基づいて「ジニ係数の改善度」を測るより他はないとすれば、そこには「見掛け上の所得再分配効果」も含まれていると認識すべきであろう。

もちろん、一時点において、公的年金の負担は主として現役世代が行い、引退した世代は主として給付のみを受けるという構造自体は、決して見せ掛けのものなどではなく、厳然たる事実である。年齢階層別の「給付と拠出の差額」などは、平均値だけを見ても、「現役期には前の世代の給付財源を拠出し、高齢期には後の世代から拠出された財源によって給付を受ける」という意味での「世代間扶養」の一断面を見事に捉えていると言えるかもしれない。しかし、そうした仕組みが円滑に機能していることを確認することと、世代内と世代間をまたがる所得再分配効果の大きさを計測することは、決して同じではないはずである。

3. 重要な年齢階層別の指標

一時点のデータに基づいて、しかも異なった世代を一括りにして、社会保障制度の所得再分配効果を測るのは難しい。給付と負担の関係が世代によって異なるのに、主として負担を行うのみの世代の負担額と、主として給付を受けるのみの世代の給付額とを比較しても、本当の意味での比較にはならないからである。

しかし、世代別に見るのであれば、事情は少し変わってくる。生涯の効果を論ずることはできないが、同じルールが適用される世代の内部であれば、負担期における負担の大きさの違いが手取り所得の格差にどのような影響を与えるか、受給期における給付の大きさの違いが手取り所得の格差にどのような影響を与えるか(注)、という観点からの有効な比較となるからである。負担と受給のタイミングが異なる世代間の所得再分配効果は生涯での比較に拠らなければならないが、世代内ならば、生涯の所得再分配効果だけではなく、各時点における所得再分配効果も概念的に成り立つから、と言えるかもしれない。

図-2


その意味では、社会保障制度に係る「ジニ係数の改善度」は全体の計数値よりも世代別、すなわち、年齢階層別の計数値を重視すべきであろう。年齢階層別の「ジニ係数の改善度」には、タイミングの違いに起因する見掛け上の効果は含まれないはずである。
そして、過去の計測値との比較を通じて、ある年齢階層について「当初所得のジニ係数」は上昇しているが、「再分配所得のジニ係数」は変わらない、「ジニ係数の改善度」が大きくなっているというようなことが観察されれば、その年齢階層に対しては所得再分配効果が以前よりも強く働いているというようなことが言えるわけである。

このように有用な年齢階層別のジニ係数の計測値が調査報告書には収められている。しかし、残念なことに、厚生労働省のホームページ上にある概要版には掲載されていない。最新の「所得再分配調査」は現在、集計段階にあり、早ければ6月中に公表されるとみられる。その公表時には、ホームページ掲載版にも年齢階層別の情報が盛り込まれることを期待したい。


(注)高齢者世帯の場合、公的年金の水準によって就業するかどうかの選択や就業に伴う所得水準が影響を受ける可能性があり、その場合に「当初所得」を起点にして「再分配所得」への変化を見ることは、因果関係を逆に読むことになる。

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経済研究部   主任研究員

石川 達哉 (いしかわ たつや)

研究・専門分野
財政・税制、家計貯蓄・住宅

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