1997年09月25日

「司法の強化」

  細見 卓

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近年、 行政改革や政治改革については、 種々真剣な討論が行なわれており、不十分とはいえその改革の一部は実現されつつある。 ただし、立法・行政と並び国民生活にとって重要な司法の分野については、抜本的改革の必要性が痛感されているにも関わらず、部分的なことを除き未だその実現を見ていない。いうまでもなく司法の理念は、『正義の女神』の従僕として、法の支配をこの世に実現することである。不正と不合理の跋扈(ばっこ)をしりぞけ、法に基づき正しい秩序を実現することがその使命である。法を破り秩序を侵した行為に対し、社会的に制裁することは当然で、「より基本的に法による支配と秩序を実現していく」という司法活動は、社会生活が複雑になればなるほどその切実性を増している。アメリカで、裁判の短縮による法の支配の実効化が、犯罪の発生に大きな抑止力を発揮したといわれたのは、つい最近のことである。


「自由」 の下での司法の役割
いわゆる六つの改革ということで、 経済や行政の根本的な改革が実現をみようとしている。 それは日常生活や経済活動において、 自己責任と自主性をより中心とする社会に改めようとするもので、 従来の当局による指導や事前規制を廃止しようとするものである。 つまり、 これからは日常生活においてはより自己責任を主とし、 経済活動においては法と秩序を乱さない限り自由な競争を認めようというものである。
いいかえれば、 法の下では全ての人が平等で自由であり、 自分で責任をとるということであり、 従来の規制型社会に慣れてきたわれわれにとって、 全く新しい天地を開くものである。 法の適用について大きな自由裁量と自己責任を認めることということは、 ある意味では従来の惰性に慣れてきたわれわれを戸惑わせるものであり、 その結果、 法の解釈や適用を巡って当事者間の意見の対立や衝突はかなりのものになることが十分に予想される。 このような新しい時代に対しては、 早急に司法制度・法曹界の強化を図り、 その対応を考えなければ、 大きな混乱を引き起こしかねない。 世界経済のグローバル化により、 経済活動や経済法規がアングロサクソン的に大きく改められていくのは、 時の勢いである。 法律制度やその規制がアングロサクソン的になる時に、 社会システムもそれに適応する変化をしなければ混乱は避けがたい。


法に対する認識の転換
アメリカの司法制度に対し 「いたずらに多数の弁護士が無用な訴訟を起こしている」 との批判がある。 われわれがそのように考える基礎には、 そもそも法律制度は当局が国の政治を執り行っていく上で必要な規制であり、 国民は一方的にそれを守ることを要請されているもので、 従って、 紛議の多い法律制度は非効率な制度として排斥すべきというのも、 そうした伝統に基づくものかもしれない。
これに対して、 権利憲章や人権宣言に基づき制度が発展してきた米欧の法律は、 そもそも人民の権利を侵すことを防ぐ機能を法律に与えるもので、 「法の下に全ての行動は許容されるものである」 という権利保護的な発想によるものといわれる。 こうした伝統的な考え方の差異はここで論ずるところではないが、 規制緩和と行政簡素化によって、 国民生活を規制するものが法律のみということとなれば、 法の適用の解釈を巡り意見の対立・衝突が増加することも当然に予想される。


規制緩和に不可欠な司法制度の強化
司法というのは、 そもそも違法な行為を矯正することが、 その任であることからして、 これらの対立や違反はすみやかな解決を必要とする。 さもなければ、 法の下における混乱を惹起するだけとなる。
新しい規制緩和の動きにおいては、 法の解釈・適用を巡り広範な対立や衝突は避け難い。 従来の規制とそれを取り仕切る行政機構が簡素化によって廃止される時、 司法制度によりその紛議が速やかに処理されない場合、 社会はいたずらに混乱することとなろう。
悪評高い行政指導によりその発生が抑さえられていた経済行為を巡る衝突が、 全て司法的な処理にまかされることとなるため、 その量は膨大なものになると覚悟しなければならないのではなかろうか。 このように考えてみると、 行政整理・規制緩和と騒いでいる世論は、 それがもたらす必然な司法活動の重要性について、 いささか配慮と対応が足らないのではという感がする。

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