1996年06月01日

みんなで考えよう

  細見 卓

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ようやく予算は成立したけれども、住専の処理に絡んで、いかなる解決の理念に従って対策がとられたか、また、提案された議案の背景において、経済のバブル化とその崩壊の過程における金融財政政策や国土政策のあり方について、十分な議論を聞くことはできなかった。

政党と呼ばれるものは、当面する問題について、国民の多くから納得の得られる考え方に基づいて、多少の利害の対立は克服する大局的立場にたって、現実的に処理できる能力を持つものでないといけない。残念ながら国会での論議を開くかぎり、このような理念や思想に基づいた議論が展開されたことはほとんどなかったといわざるをえない。日本人というのは、元来、和を持って尊し、とする妥協を旨として、ことの本質にまで逆上って、原理原則を論議することを好まない習性のようである。経済の右肩上がりの発展が、いわば、誰も勝たせず、誰も落ちこぼれさせず、皆が半ば勝利者になったような錯覚を可能にしてきた。国民の大半は、自分は中産階級であるという中流意識を持ち、目前の幸せを第一に考えてきた。昔ながらの乏しきを憂えず、等しからざるを憂える、という徳治主義的な考えが強い。こういう幸福で平和な社会においては、チャレンジも冒険も思い切った決断もさして重要視されず、社会生活においては、独創的であることよりも、無難に強調主義的であることがよしとされてきた。

全体がパイを拡大しながら発展していた幸福な時代には、このような横並びの平等主義は、争わずとも皆がそこそこ幸福になれたため、望ましい安易な生活様式であった。企業社会でも、終身雇用と年功序列制で失業の不安もなく、激しい競争は二の次とする共同社会であった。しかし、そのような幸福な時代が周辺の世界情勢の激変にさらされると、壊れやすい脆さを露呈してしまった。対外的には、国民的自負を失い、戦争犯罪の意識に苛まれ、対内的には、抜きんでた指導者のいないまま、社会全体が強い閉塞感に陥っている。いわば日本全体が悔恨共同体と化して、現状を非難し、また、方向感覚を失って、自信を喪失してしまっている。

外国の友人によくいわれるのに、日本国民は自国の利益ということを真剣に考えているのか、ということである。日本人は、口を開けば国際貢献というが、自分の国の利益を第一に考えないような国際貢献があるのだろうかというのが、彼らの素朴な疑問である。噴火前の活火山のような中国や北朝鮮の動揺、更には中国と台湾の対立、香港返還を巡る諸情勢等、日本を取り巻く情勢は重大性を増しているというのに、日本は何を考え、どう対処しようとしているのかが、外国には見えない。見えない時には、誤解も生じやすい心配がある。

今まで日本の外交は、その道の専門家である外交官に任せ、内政においても、その道の専門家である官僚に任せきりにしてきた。彼らを指導力のあるエリートと認め、国民も政治家も安心しきっていたようで、自分で自分の将来を考える習慣を忘れていた。しかし、今や官僚や外交宮に、真の意味でのエリートとして国民を導く抱負も理念もみられず、行動能力に欠ける所があるのは、最近のスキャンダルまがいの失態をみれば明らかである。

閉塞状態を脱し、日本の今後の進路を切り開いていくには、国民自身が明確なシグナルを示さない限り、誰も前途の光明を差し示せない。国民による決断という新しい発展が、今こそ求められているのである。政治家も官僚も信頼できないとしながら、いたずらに事態を放置していては、ますます混乱の深みに陥っていくことは明白である。住専問題やオウム事件のような精神的、物質的大破局を乗り越えて進んでいく国民の自信と英知が、今ほど求められている時はない。みんなで、自分の頭で考えなければならない事態のようである。

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