1992年03月01日

情報社会論と地域情報化をめぐって

田崎 篤郎

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■見出し

1.日本における情報社会論の展開
2.国策としての情報化
3.高度情報化社会
4.地域の情報化
5.おわりに

■introduction

わが国において、「情報社会」「情報化社会」「高度情報(化)社会」なる言葉が出現してから久しい。書物の題名としてこの言葉が登場したのは、おそらく、林雄二郎の「情報化社会」(講談社)、さらには、経済審議会情報研究委員会の「日本の情報化社会―ビジョンと課題」であろうが、それらは1969年に公刊された。しかし、それ以前の1963年には、同義語を使用した梅棹忠夫の『情報産業論』(『放送朝日』1月号)がすでに登場していた。そして、1980年代に入ると、一種ブームかといえるほど、多くの類書が出版されてきている。こうした類書を一括して「情報社会論」とよぶならば、「情報社会論」が早くから、そして数多く現れていることは、諸外国にもみられない現象であった。わが国においては、「情報社会論」は30年に近い歴史を持ち、今日なおも隆盛を保っているといってよい。

もちろん、その時期のアメリカにおいて、「情報社会論」に近いものがなかったわけではない。F.マハループ(Machlap,F.) による『知識産業』(原著名“The Production and Distribution of Knowledge in the United States ”高橋・木田監訳産業能率短期大学出版部 1969) はすでに1962年に、そして、D.ベル(Bell,D.) の『脱工業社会の到来』(原著名“The Coming of Post Industrial Society”内田忠夫訳ダイヤモンド社 1975)も1973年には出版されて、日本の「情報化社会論」に少なからず影響を与えていた。しかし、マハループもベルも、産業構造(GNPに占める各産業部門の生産高の比率)や就業構造(産業別就業人口)の変化に注目するにとどまり、通信技術の発達による社会全体の変動を展望するものではなかった。ベルによるそうしたより広い視野に立つ著作を見いだすのは、『脱工業化社会の進展と情報化』(原論文名“The Social Framework of the Information Society”小松崎清介他訳『コンピュータ・社会・経済』コンピュータ・エイジ社所収 1980)が出版された1980年まで待たなければならない。

情報通信技術の発達による社会構造の質的転換を主張する情報社会論は、多くの場合、社会発展段階説に立っている。例えば、「情報社会」という用語は使用してはいないが、この社会発展段階説に立った実質的な「情報社会論」を本格的に展開したのがA. トアラー(Toffler,A.)の『第三の波』(原著名“The Third Wave” 1980 徳丘孝夫監訳中央公論社 1982)であった。トフラーは、「農業社会」「産業社会」という「第一の波」「第二の波」に続いて、現代社会が「情報社会」という「第三の波」を受けようとしおり、エレクトロニクスの進歩により、経済(生産と消費の関係)、労働、家庭、コミュニケーション、政治、人間行動・価値観など全ての分野で大きな変動が起こりつつあると主張した。しかし、そうした指摘は、トフラーほど本格的ではないにしても、さきに引用した梅棹忠夫によって、日本ではすでに1960年代の初めになされたものであった。文化人類学者である梅棹は、人類発展史を、食品生産中心の「農業の時代」、製品生産の「工業の時代」ととらえ、これに続く「精神産業」の時代が到来しようとしており、情報産業をこの「精神産業の時代」を実現するものとして考えたのであった。

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