コラム
2024年09月11日

実質金利でみる金融政策の現状~金融緩和の持続性維持と成長への布石~

金融研究部 取締役 部長 安達 哲哉

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コロナ禍が終息する中、多くの国々で物価上昇が顕著に現れ、日本も長らく続いたデフレから物価が上昇する状況となった。賃金は今年度の連合の最終回答集計によると、定昇込みで5.10%と昨年の3.58%を上回り33年ぶりの高水準の賃上げ率となった。名目賃金では高い伸び率ではあるが、物価の影響を除いた実質ベースではマイナス圏が続き、6月、7月は一時金の影響でプラスとなったものの、今後も安定的にプラスを確保できるかは日本経済において大変重要なポイントとなる。
 
金利について見てみると、名目金利は上昇し始めているが、足元は物価上昇に追い付いていないため、実質金利でみると一段と緩和的になっている(図表1)。実質金利は、〔実質金利 = 名目金利 - 期待物価上昇率〕であり物価の上昇が金融緩和の効果を引き上げることとなった。
図表1 実質金利の推移
このように物価上昇によって実質金利は短い期間に大きく低下したのだが、中長期的な実質金利の水準は、どの程度と考えておけば良いのだろうか。金融政策を行う上で、日銀をはじめとする各国の中央銀行などが自然利子率の把握に努めている。自然利子率とは、経済を加速も減速もさせない中立的な実質金利のことであり、潜在成長率に近似する。また、推計によって求められるため、ある程度の幅をもってとらえる必要がある。日本の自然利子率は-1.0%~0.5%程度とみられており、これより金利が低ければ緩和的、逆に高ければ引き締め的となる(図表2)。この自然利子率で2%の物価上昇を前提にすると、名目金利で1~2.5%前後が中立水準といえよう。
 
金利上昇の家計部門への影響について、住宅ローンなどの借入の金利負担が増すことが懸念される一方、預貯金をはじめとする資産の利息の増加の方が大きいため、世帯・世代の有利不利はあるものの、全体としてプラスだとの解説を聞かれた方も多いと思う。しかし、実質金利で見てみると、現在のようにインフレ率に対して名目金利が低ければ(実質金利がマイナスであれば)、銀行借り入れである負債の価値は小さくなり(実質負担が軽くなる)、預貯金は物価上昇に対して価値が目減りしてしまう。実質金利がマイナスになることで、概念的には預貯金などの資産を持つ側から、借入という負債を持つ側に所得移転が行われることになる。

長期に渡り大規模な金融緩和が行われてきたこともあり、引き続き緩和的な金融政策が続く可能性が高いと思われるが、大きな資金配分の歪を放置することは持続可能とは言えないだろう。また、今までの金融緩和の中で低生産性の事業が存続することで、日本全体の成長率を引き下げているといった課題も指摘される中、時々の許容できる水準までの実質金利の修正は必要となろう。名目金利の上昇が見込まれる状況ではあるが、今後を見通す上では実質金利の水準も考慮に入れていきたい。
図表2 自然利子率と潜在成長率の推移/図表3 自然利子率の変化の要因
また、自然利子率について、以前より日本の低下が指摘されてきたが、海外での比較では、他の先進地域に比べて低いとする日銀の推計*が示されている。また国際通貨基金の推計では、日本の自然利子率の変化の要因分析がなされており、人口動態と生産性が低下要因、財政の悪化が上昇要因となっている。(図表3)。先進地域の自然利子率は全体的に低下傾向となっているが、日本は財政要因で低下が抑制されているといった厳しい推計結果となった。一方で足元は人手不足による賃金上昇圧力が強まっており、賃金上昇に見合う労働生産性の向上は待ったなしの状況だ。
 
思い返してみれば、「異次元緩和で時間を稼ぎ、その間に構造改革で生産性の向上を図る」ことを目指してスタートしたアベノミクスであったが、長期にわたる異次元緩和の間に人口動態の変化もあり労働市場が引き締まる、といった構造改革が進んだという見方もできるのではないだろうか。改革を進める上で失業や賃金低下が障壁となるが、その懸念が小さくなる中で生産性向上と自然利子率上昇に向けた取り組みを加速するチャンスととらえたい。          

日本がデフレ状態で自然利子率はゼロ辺りからマイナスの中、金利による金融緩和が限界となり、量的質的金融緩和やマイナス金利導入、オーバーシュート型コミットメントなど、日銀は非伝統的な金融政策を長期にわたり実施してきたが、原因はともあれ、物価が上昇したことで金融政策の「のりしろ」が生まれ、金利による金融政策に戻る機会が巡ってきたと言えるだろう。この機会を確実なものとすべく、日銀は慎重かつ丁寧に対応しているようだ。7月末から8月上旬の混乱はあったものの、過去の金融政策の中で過度なものや副作用が大きいものから少しずつ修正に着手してきている。今までの緩和規模が大きかったことから、これからも長期に渡り緩和的な政策が続くと思われるが、今後も物価上昇率が安定的に2%にアンカーできるよう、市場との対話を密に粘り強く取り組んでもらいたい。

また、労働市場が引き締まっている中、政府による構造改革のチャンスが巡ってきている。企業側でも労働生産性の向上に向けた人的投資や設備投資をはじめとする労働市場の変化への対応は経営の重要課題といえる。この機会をとらえることが将来の成長への鍵といえよう。
 
* 自然利子率は、日本銀行ワーキングペパーシリーズ「自然利子率の計測をめぐる近年の動向」(2024.8.28)の推計値より
 
 

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(2024年09月11日「研究員の眼」)

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金融研究部   取締役 部長

安達 哲哉 (あだち てつや)

研究・専門分野
金融研究部統括

経歴
  • 【職歴】
     1991年 日本生命保険相互会社 入社
     2018年 ニッセイ・キャピタル株式会社
     2022年 大樹生命保険株式会社
     2024年 ニッセイ基礎研究所(現職)

     同志社大学 商学研究科 非常勤講師
      2005年度、2006年度(すべて秋学期)
      2007年度、2009年度、2011年度(すべて春学期)

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