2024年04月19日

年金将来見通しの経済前提は、内閣府3シナリオにゼロ成長を追加-2024年夏に公表される将来見通しへの影響

保険研究部 上席研究員・年金総合リサーチセンター 公的年金調査室長 兼任 中嶋 邦夫

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3 ―― 将来見通しへの影響:前回と比べて やや改善方向へ拡大(下方は おおむね据え置き)

今回の経済前提を第1節で述べた将来見通しへの影響経路の視点から総合的に見ると、経済状態が良い前提は前回よりも年金財政へプラスへ寄与する方向にややシフトしているものの、経済状態が悪い前提はおおむね前回どおりと考えられる(図表8)。
図表8 経済前提が将来見通しに与える影響
1|成長実現ケース:前回のケースⅠよりも、年金財政へ若干プラスに寄与
成長実現ケースでは、経路①(実質的な運用利回り(対賃金))が前回のケースIと同じ1.4%となった。図表6で示したように実質運用利回り(対物価)が3.4%と前回のケースIの3.0%より0.4ポイント高くなっているものの、実質賃金上昇率(対物価)も前回のケースIの1.6%より0.4ポイント高い2.0%になっている。このため、実質運用利回り(対物価)と実質賃金上昇率(対物価)の差である実質的な運用利回り(対賃金)は、前回のケースIと同じになった。

経路②(実質賃金上昇率(対物価))は、前回のケースIの1.6%より0.4ポイント高いため、前回のケースⅠよりも年金財政へプラスに寄与する。

経路③については、今回の将来見通しで使われるマクロ経済スライドの調整率が現時点では不明だが、前回の値から考えると名目賃金上昇率と物価上昇率の双方がマクロ経済スライドの調整率を常に上回って、マクロ経済スライドが常に完全に適用される可能性が高い。そのため、前回のケースⅠと同様に、年金財政へプラスに寄与する。

筆者の粗い試算14では将来の所得代替率が前回のケースIと同水準になっているが、筆者の試算に反映できない経路②の影響を想定して加味すれば、総合的には前回のケースIよりも年金財政へ若干プラスに寄与すると考えられる。
 
14 筆者による粗い試算(2019年ベース)は、経済前提が変わったことの影響を大まかに把握するために、今回の2024年度からの前提を2019年度からの値と読み替えて、中嶋・北村(2022)「短期的な経済変動リスクを考慮した公的年金改正案の効果検証」の方法で2019年の将来見通しから逆算的に試算したもの。そのため、試算結果は2024年の将来見通しに相当するものではない。また、中嶋・北村(2022)の方法では経路②(実質賃金上昇率(対物価))の影響を反映できず、計算精度も粗いため、大まかな傾向として理解する必要がある。
2|長期安定ケース:前回のケースIIやIIIよりも、年金財政へプラスに寄与
長期安定ケースは、経路①(実質的な運用利回り(対賃金))が前回のケースIIIと同じ1.7%であるものの、経路②(実質賃金上昇率(対物価))は前回のケースII(1.4%)より0.1ポイント高い1.5%になっている。経路③については、名目賃金上昇率と物価上昇率の双方がマクロ経済スライドの調整率を常に上回って、マクロ経済スライドが常に完全に適用される可能性が高い。そのため、マクロ経済スライドがほぼ完全に適用される前回のケースIIと比べれば、ほぼ同程度に年金財政へプラスに寄与する。他方、物価上昇率がマクロ経済スライドの調整率を下回る期間がある前回のケースIIIと比べれば、年金財政へプラスに寄与する度合いが大きくなる。

筆者の粗い試算で反映できていない経路②の影響は小さいため、今回の長期安定ケースは、前回のケースIIと比べると経路①(実質的な運用利回り(対賃金))の上昇を主因として、前回のケースIIIと比べると経路③においてマクロ経済スライドが効きやすくなることを主因として、総合的には年金財政へよりプラスに寄与すると考えられる。
3|現状維持ケース:前回のケースIVとVの中間的な影響
現状維持ケースでは、経路①(実質的な運用利回り(対賃金))が今回の長期安定ケースや前回のケースIIIと同じ1.7%で、前回のケースIVの1.1%やケースVの1.0%より高くなっている。他方で、経路②(実質賃金上昇率(対物価))は前回のケースVより0.3ポイント低い0.5%になっており、前回のケースVIの0.4%に近くなっている。経路③については、名目賃金上昇率がマクロ経済スライドの調整率を下回り、物価上昇率がマクロ経済スライドの調整率を常に下回る可能性が高いため、マクロ経済スライドの適用が不十分になる。前回のケースVと比べると、物価上昇率は同じだが名目賃金上昇率は低いため、年金財政へプラスに寄与する度合いが前回のケースVよりも小さくなる。

筆者の粗い試算では将来の所得代替率が前回のケースIVと同水準になっているが、この試算に反映できていない経路②の影響を加味すると、今回の現状維持ケースは総合的には前回のケースIVとⅤの中間的な財政影響を与えると考えられる。
4|1人当たりゼロ成長ケース:前回のケースVIに近い影響
1人当たりゼロ成長ケースは、経路①(実質的な運用利回り(対賃金))は前回のケースIVよりも高い1.3%であるものの、経路②(実質賃金上昇率(対物価))は前回のケースVIよりも0.3ポイント低い0.1%となっている。経路③については、名目賃金上昇率と物価上昇率の双方が前回のケースVIよりも低く、マクロ経済スライドの適用度合いが前回のケースⅥよりも小規模になるため、年金財政へプラスに寄与する度合いが前回のケースVIよりも小さくなる。

筆者の粗い試算では経路②の影響を反映できていないが、試算の精度を考えれば、総合的には前回のケースⅥに近い財政影響を与えると考えられる。
5|今回のシナリオ間の関係:成長実現ケースと長期安定ケースの財政影響は同程度
成長実現ケースと長期安定ケースを比べると、成長実現ケースが長期安定ケースよりも全要素生産性上昇率が高い設定になっている一方で、成長実現ケースで長期安定ケースよりも筆者の粗い試算による将来の所得代替率が低くなっている。このような全要素生産性上昇率と将来の所得代替率の大小関係の逆転は2014年の将来見通しでも生じた現象で15、全要素生産性上昇率に対する実質賃金上昇率(対物価)と実質運用利回り(対物価)の感応度の違いによって生じる16。筆者の粗い試算で反映できていない経路②の影響は長期安定ケースよりも成長実現ケースで大きいため、総合的には成長実現ケースと長期安定ケースの財政影響は同程度と考えられる。

長期安定ケースと現状投影ケースを比べると、経路①(実質的な運用利回り(対賃金))は同じになっている。図表6で示したように、実質運用利回り(対物価)が2.2%と長期安定ケースの3.2%より1.0ポイント低くなっているものの、実質賃金上昇率(対物価)も長期安定ケースの1.5%より1.0ポイント低い0.5%になっているためである。しかし、経路②(実質賃金上昇率(対物価))は、長期安定ケースが現状投影ケースより大きい。また、経路③については、長期安定ケースではマクロ経済スライドが常に完全に適用される可能性が高いが、現状投影ケースでは適用が不十分になる。総合的には、主に経路③の影響で、長期安定ケースの方が年金財政へプラスに寄与する度合いが大きいと考えられる。

現状投影ケースと1人当たりゼロ成長ケースを比べると、経路①~③のすべてで、現状投影ケースの方が年金財政へプラスに寄与する度合いが大きい。
 
15 2014年の将来見通しでは、全要素生産性上昇率がケースAで1.8%、ケースCで1.4%だったが、将来の所得代替率はケースAで50.8%、ケースCで51.0%であった。
16 全要素生産性上昇率に対する実質賃金上昇率の感応度が実質運用利回り(対物価)の感応度より高い場合、同じ全要素生産性上昇率の伸びに対して実質運用利回り(対物価)よりも実質賃金上昇率(対物価)が大きく上昇し、実質的な運用利回り(対賃金)(=実質運用利回り(対物価)-実質賃金上昇率(対物価))は低下(縮小)する。そのため、感応度の差の程度によっては、実質賃金上昇率(対物価)の上昇に伴う経路②のプラスの影響を、実質的な運用利回り(対賃金)に伴う経路③のマイナスの影響が上回り、全要素生産性上昇率がより高いシナリオで将来の所得代替率が低くなる場合がある。

4 ―― 総括

4 ―― 総括:複数のシナリオに基づく見通しを確認し、希望する前提の実現に向けた行動変化を

以上の考察結果は、次のように整理できる。
 
  • 今回の経済前提では、内閣府の長期推計に準拠した3つのシナリオに、過去30年間の全要素生産性上昇率の最低値に基づくシナリオを加えた、4つのシナリオが設定された。
     
  • 4つのシナリオのうち最も経済状態が良い「成長実現ケース」は、運用利回りが年金財政に与える影響を示す「実質的な運用利回り(対賃金)」が前回のケースIと同じだが、前回のケースIよりも実質賃金上昇率(対物価)が高い分だけ年金財政へ若干プラスに寄与すると考えられる。
     
  • 2番目に経済状態が良い「長期安定ケース」は、実質的な運用利回り(対賃金)が前回の経済前提で最も高かった1.7%で、物価上昇率が日本銀行の目標である2.0%に設定されてマクロ経済スライドが常に完全に適用される可能性が高いため、前回のケースIIやIIIよりも年金財政へプラスに寄与すると考えられる。
     
  • 3番目に経済状態が良い「現状投影ケース」は、実質的な運用利回り(対賃金)が前回の経済前提で最も高かった1.7%だが、物価上昇率が0.8%と低いためにマクロ経済スライドの適用が完全には行われず、総合的には前回のケースIVとVの中間的な財政影響を与えると考えられる。
     
  • 最も経済状態が悪い「1人当たりゼロ成長ケース」は、実質的な運用利回り(対賃金)が前回のケースVIより高いものの、名目賃金上昇率と物価上昇率の双方が前回のケースVIよりも低いため、総合的には前回のケースⅥに近い財政影響を与えると考えられる。

なお、今夏に公表予定の将来見通しには、本稿で確認した経済前提以外に、人口の前提や積立金の初期値、労働力率や厚生年金への加入率など多くの要素が影響する点に、注意が必要である。
 
公的年金の将来見通しに用いられる経済前提に対しては、その妥当性を疑問視する人が少なくない。しかし、公的年金の将来見通しに用いる経済前提は約100年間にわたる長期的なものであり、将来の経済状態は当然に変わりうる。公的年金の将来見通しを見る際は、複数のシナリオに基づく結果を確認し、将来には幅があることを理解すべきである17。それと同時に、希望する給付水準を達成する前提が想定している社会経済を把握し、必要な社会経済の実現に向けた方策を検討して、実行に移す必要がある。年金の将来見通しを1つの契機として、社会経済を変える原動力となる一人ひとりの行動の変化を期待したい。
 
17 政府の将来見通しで示される幅を超えて変化する可能性もあるが、政府の将来見通しの幅や過去の政府見通しの経過を理解することが、将来の幅を想定するための第一歩となるだろう。
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保険研究部   上席研究員・年金総合リサーチセンター 公的年金調査室長 兼任

中嶋 邦夫 (なかしま くにお)

研究・専門分野
公的年金財政、年金制度全般、家計貯蓄行動

経歴
  • 【職歴】
     1995年 日本生命保険相互会社入社
     2001年 日本経済研究センター(委託研究生)
     2002年 ニッセイ基礎研究所(現在に至る)
    (2007年 東洋大学大学院経済学研究科博士後期課程修了)

    【社外委員等】
     ・厚生労働省 年金局 年金調査員 (2010~2011年度)
     ・参議院 厚生労働委員会調査室 客員調査員 (2011~2012年度)
     ・厚生労働省 ねんきん定期便・ねんきんネット・年金通帳等に関する検討会 委員 (2011年度)
     ・生命保険経営学会 編集委員 (2014年~)
     ・国家公務員共済組合連合会 資産運用委員会 委員 (2023年度~)

    【加入団体等】
     ・生活経済学会、日本財政学会、ほか
     ・博士(経済学)

(2024年04月19日「基礎研レポート」)

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