2021年08月24日

ベトナムの保険事業規制-生命保険契約規制

保険研究部 専務取締役 研究理事 兼 ヘルスケアリサーチセンター長 松澤 登

文字サイズ

1――はじめに

ベトナム社会主義共和国(以下、ベトナム)では、当初、新型コロナについて早期の対応が奏功し、今年前半までは感染者を低く抑えられていた。しかし、2021年5月を過ぎたころから新規感染者が増加しはじめ、8月の中旬の新規感染者の一週間の平均値が8000人を超えている。これを受け、ハノイ市では社会隔離(原則的に外出禁止措置等)が7月24日から9月15日を予定期限として実施されている。

初期に感染者が少なかったためか、ワクチン接種が遅れており、二度目の接種を終えた人の人口比が1.4%程度にとどまっている(日本では約4割)。

ところで生命保険事業への影響はどうなっているのかであるが、直近の業績について該当する数字は得られなかった。ちなみに、新型コロナ感染者が増加する前の2021年1月~4月の業績が保険監督局(Insurance Supervisory Administration)から公表されている。生命保険の新規保険料収入が対前年62.7%増加となっており、この時期には業績は絶好調であったといってよい1

さて、今回はベトナム保険事業法を概観することとするが、特に生命保険契約規制のところを中心に述べたい。
 
1 https://www.mof.gov.vn/webcenter/portal/cqlgsbh/r/m/tttt/dmvpddnn/dmvpddnn_chitiet?dDocName=MOFUCM205009&_afrLoop=2329918175704067#%40%3F_afrLoop%3D2329918175704067%26dDocName%3DMOFUCM205009%26_adf.ctrl-state%3D9ksvnl307_66 保険監督局資料(なお、保険監督局の資料掲載は不定期であり、2021年5月以降の業績がいつ掲載されるかは不明である)

2――ベトナム保険事業法

2――ベトナム保険事業法

1|ベトナム保険規制の経緯
ベトナムではベトナム戦争後、国有保険会社のみが営業していたが、1994年に民間保険会社の設立が許容され、1995年には私的生命保険の販売が再開された。また、1996年には外資系保険会社とベトナム国内社の合弁会社の設立が、1999年には外資系保険会社の100%子会社設立が認められるようになった。

法律としては、保険事業規制に関する法律として、2000年に保険事業法(Law on Insurance Business)が制定されている。同法は2010年(商品形態や会社形態の多様化など)と2019年(保険補助業務の規制追加など)に一部改正が行われている。また、法律を補足するため規則(decree)が出されている(2016年7月1日付)。
2|ベトナム保険事業法の構成
ベトナム保険事業法は、総則規定(第1章)、保険契約(第2章)、保険会社(第3章)、保険代理店、保険仲立人、保険補助業務(第4章)、財務、会計、財務報告の要件(第5章)、外国資本による保険業、保険仲介業を営む企業(第6章)、保険事業への政府による監督(第7章)、法令違反行為を報告した者への報償(第8章)、その他の規定(第9章)からなっている。第8章の保険会社等の法令違反行為を報告した者への報償(recommend and reward)というのはベトナム独特の規定と思われ、筆者は他国に例を見たことはない。

保険契約以外の保険事業規制の概略を述べておく。まず、保険会社は設立および運営の免許を得て行うこととされている(法第62条)。免許付与にあたっては、(1)一定の払込済みの定款上の資本を有すること、(2)定款の草案、設立後5年間の事業計画書、経営者の経歴書、主要株主等の書類等とともに免許申請を行うこと、(3)会社形態が法律に定めるものであること(有限責任会社や相互会社など)、(4)能力や資格を有する経営・運営人材がいることが条件とされている(法第63条、第64条)。

保険会社は十分な流動性を確保しなければならないとされ(法第77条)、支払能力に問題が生ずるおそれがある場合には、財務省への報告が求められ(法第78条)、そのうえで支払能力回復計画の作成・実行(法第79条)が行われる。

保険会社の支払い能力担保規制として、法定資本を確保することが求められる(法第94条)。また、保証金の供託(法第95条)、責任準備金(保険準備金)の積み立て(法第96条)、ソルベンシーマージン規制(規則第64条)が行われる。

保険販売チャネルとしては、保険代理店と保険仲立人が定められている(法第84条、法第89条)。保険代理店は販売委託をした保険会社が販売責任を負う(法第88条)ため、ライセンス等の制度はない。他方、保険会社から独立して運営される保険仲立人には、ライセンスを取得する義務が課せられている(法第93条)。2019年に保険事業法が改正された結果、保険コンサルティングや損害調査など保険引受や販売周辺の業務に関しても規定が定められており(法第3条)、これらの業務を行う人は定められた資格要件を満たすことが求められる(法93条b)。

3――生命保険契約規制

3――生命保険契約規制

1|保険会社と保険契約者の権利義務
保険契約の定義としては、「保険の購入者(purchaser of insurance)と保険会社の間で締結される契約であって、保険の購入者が保険料を支払い、保険会社が保険金を受取人に支払う(後略)」」ものをいうとされている(法第12条第1項)。契約類型としては、生命保険契約が定められてはいるのではなく、個人保険契約として定められている(同条第2項)。

保険事業法は保険会社と保険契約者(保険の購入者)との間の権利義務を中心に規定されている。保険会社の権利としては主には、(1)保険料を徴収すること、(2)保険契約の締結および履行に関する完全かつ真実な情報の提供を保険契約者に要求する(告知義務を課す)こと、(3)告知義務違反などを理由として一方的に保険契約を停止できることなどが挙げられる。他方、保険会社の義務として(イ)保険契約者に対し、保険の内容、保険約款並びに保険契約者の権利義務について説明すること(説明義務)、(ロ)保険契約の締結後、保険証券を保険契約者に交付すること、(ハ)保険金受取人に適時に保険金を支払うことなどが定められている。

保険契約者には上記の保険会社の権利義務と対になる権利義務が規定されている(法第18条)。

上記のような権利義務に関する違反の結果として規定されているのは、保険契約者は(a)保険会社の故意の説明義務違反があった場合、契約を停止(suspend)する権利を有し、発生した損害の賠償請求権を有する(法第19条第1項、第3項)。他方、保険会社は、(b)保険契約者が保険金を不正に請求する目的をもって故意に虚偽のことを告げた(告知義務違反があった)ときは、保険契約を一方的に停止することができ、停止するまでの保険料を請求する権利を有し(法第19条第1項、第2項)、また、(c)保険料が定められた期間までに支払われないとき、または保険契約で定められた期間内に支払われないときには、保険契約は終了する(shall be invalid)。

保険金の請求期限は、事故発生時または保険事故を知ってから1年以内とされている(法第28条)。保険会社は約款で定められた期限内、約款に定めがない場合は請求があってから15日以内に保険金を支払う(法第29条)。
2|個人保険契約に関する特則
個人保険契約の目的は長寿(longevity)、生命(life)、健康(health)ならびに人身事故(personal accident)とされている(法第31条第1項)。人身事故は損害保険に属するが、ほぼ生命保険の契約規制と考えてよいと思われる。個人保険契約の締結にあたっては、保険契約者と被保険者(保険の対象となる人)の関係が、本人、配偶者・子・父母、兄弟姉妹など、その他保険契約者が保険利益を有する者である場合に限定されている(法第31条第2項)。保険金額は保険会社と保険契約者とで定められる(法第32条)が、傷害保険・医療保険では保険契約で定められた金額の範囲内で実際の障害あるいは費用に基づいて支払われる(法第33条)。生命保険の年齢について特則があり、保険会社に被保険者の年齢を誤って伝えたとき、付保範囲外であった場合には保険会社は保険契約を取り消して手数料を差し引いた金額を払い戻す (法第34条第2項)。付保範囲内である場合は本来の保険料との差額を精算する(同条第3項)。

保険料は一括払い又は分割払いが可能であるが、分割払いで保険料の支払いが滞った場合、別段の合意がない限りは、保険会社は猶予の日から60日経過した後に保険契約を停止する権利を有する。この場合、保険契約者には、保険料返還の請求権はない(法第35条第2項)。ただし保険料を2年以上支払っている場合は、保険会社は残余価格を支払う義務がある(同条第3項)。

保険会社は保険料が支払われない場合でも、保険契約者に徴収手続をとることができない(法第36条)。他人の生命に関する死亡保険(契約者≠被保険者)を締結するにあたっては、当該他人が被保険者となることについて、保険金額と受取人の記載がある同意書を提出しなければならない(法第38条第1項)。また、18歳未満の者の生命については、父母の同意書面がない限り保険の対象とすることはできない(同条第2項)。

保険金を支払わない事由として、(1)契約から2年以内の自殺、(2)保険契約者又は保険金受取人の故意により被保険者が死亡し、または障害を負ったとき、(3)死刑の執行、がある(法第39条第1項)。上記(2)の場合で、保険金受取人のうちの一人が故意に死亡させたときは、保険会社は他の保険金受取人に保険金を支払わねばならない(同条第2項)。保険金を支払わないときには保険契約者に対して、保険契約の残余価格又は保険料から手数料を差し引いた金額を払い戻す必要がある(同条第3項)。

4――おわりに

4――おわりに

今回はベトナム保険事業法の保険契約規定を解説したが、筆者にもいくつか気づきがあった。たとえば、日本では未払いの生命保険料を保険契約者に対して訴訟などにより履行強制することはできないと解されているが、ベトナムではそのことを明文で定めている。

また、年齢の誤りについても明文で処理を決めている。日本では一般に年齢の誤りは錯誤に基づく意思表示であるとされている。年齢が誤っていた場合、保険契約は本来無効であるものの、保険約款によって訂正することができるものと考えられていた。しかし、2020年4月からの債権法改正によって錯誤の効果は取消であるとされた。ここで取消には期間制限があるため、成立後、長期間経過した保険契約についてこのような約款による年齢修正が可能なのか疑問が生じきてている。

日本において民法の系譜に属する保険法の改正は、会社法や金融商品取引法あるいは保険業法などに比較して、なかなか行えないというのが現状である。しかし、法律あるいは約款は、法律に詳しくない人でも読んで理解できることが理想である。研究者の間でも保険法に関する興味はかつてほどないものの、引き続き事例蓄積や判例研究等を行っていくことが必要と思われる。
Xでシェアする Facebookでシェアする

保険研究部   専務取締役 研究理事 兼 ヘルスケアリサーチセンター長

松澤 登 (まつざわ のぼる)

研究・専門分野
保険業法・保険法|企業法務

経歴
  • 【職歴】
     1985年 日本生命保険相互会社入社
     2014年 ニッセイ基礎研究所 内部監査室長兼システム部長
     2015年4月 生活研究部部長兼システム部長
     2018年4月 取締役保険研究部研究理事
     2021年4月 常務取締役保険研究部研究理事
     2024年4月より現職

    【加入団体等】
     東京大学法学部(学士)、ハーバードロースクール(LLM:修士)
     東京大学経済学部非常勤講師(2022年度・2023年度)
     大阪経済大学非常勤講師(2018年度~2022年度)
     金融審議会専門委員(2004年7月~2008年7月)
     日本保険学会理事、生命保険経営学会常務理事 等

    【著書】
     『はじめて学ぶ少額短期保険』
      出版社:保険毎日新聞社
      発行年月:2024年02月

     『Q&Aで読み解く保険業法』
      出版社:保険毎日新聞社
      発行年月:2022年07月

     『はじめて学ぶ生命保険』
      出版社:保険毎日新聞社
      発行年月:2021年05月

(2021年08月24日「保険・年金フォーカス」)

公式SNSアカウント

新着レポートを随時お届け!
日々の情報収集にぜひご活用ください。

週間アクセスランキング

レポート紹介

【ベトナムの保険事業規制-生命保険契約規制】【シンクタンク】ニッセイ基礎研究所は、保険・年金・社会保障、経済・金融・不動産、暮らし・高齢社会、経営・ビジネスなどの各専門領域の研究員を抱え、様々な情報提供を行っています。

ベトナムの保険事業規制-生命保険契約規制のレポート Topへ