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施設閉鎖要請・指示と補償はセットか-緊急事態宣言下の施設閉鎖要請・指示の前提条件

保険研究部 専務取締役 研究理事 兼 ヘルスケアリサーチセンター長 松澤 登
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しかし、事はそう単純ではない。報道によれば、緊急事態宣言の範囲に含まれる県のうちには、施設閉鎖要請発出への決断が東京都より遅れたところがある。そして、それが施設閉鎖要請に対する協力金についての財政措置の確保ができる見通しがないことが理由であるらしいことだ。
このことをどう考えるべきなのであろうか。先の研究員の眼で書いた通り、不動産や物資を提供させた相手方には通常生ずべき損失の補償をしなければならない(新型インフルエンザ等対策特別措置法(以下、特措法)第62条)。他方、外出自粛要請や施設閉鎖要請・指示に対して補償は規定されていない。
このような内容を定めた法律が適正かどうかは、憲法にさかのぼって考えざるを得ない。不動産・物資の提供については憲法第29条で読める。すなわち、「財産権は、これを侵してはならない」(第1項)、「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる」(第3項)である。したがって土地、物資に対しては、正当な補償を行えば、提供を求めることができる。
これに対し、施設閉鎖要請・指示は条文上、「公共のために用いる」とは言いにくい。施設閉鎖や営業自粛を要請・指示するだけで、国や都道府県が収用するわけではなく、憲法第29条を直接適用するのはむつかしそうだ。
手掛かりは憲法第31条ではないかと考える。憲法第31条は適正手続きの保障(デュー・プロセス)であり、「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない」とするものだ。この条文は本来、刑事事件に適用されるもので、法律で定められた適正な手続きによらなければ、刑罰を科すことはできないとするものだ。
憲法第31条が行政手続きに適用されるかどうかは、学説はわかれている。最高裁は抽象論として「行政手続については…そのすべてが当然に同条による保障の枠外にあると判断することは相当ではない」とする(最判平成9年7月1日)。つまり行政行為の内容や性格に応じ、また権利制限の程度や緊急性など諸般の事情に応じて、刑事事件における適正手続き的な考え方が限定的に適用されうるとしているものと思われる。
刑事事件とは異なるが、施設閉鎖要請・指示は営業の自由を制限するものであることから、上記のような適正手続き確保の観点から、少なくともまずは議会の承認(つまり法律または条令)により、施設閉鎖要請・指示の根拠規定を定めておく必要があると考える。したがって、仮に、国の緊急事態宣言とは別に都道府県独自の緊急事態宣言を行うには、真に緊急やむを得ないとき、かつ要請ベースである場合を除けば1、条例レベルでの定めを設ける必要があると考える。また、宣言の発出、施設閉鎖要請・指示の決定には、最終的には政治が決断するとしても、感染症の専門家の意見を聞くという手続きは重要である。
そして、このような法令上の根拠があり、手続きを踏んだ(言い換えると民主的・専門的な確認を経た)うえでの、施設閉鎖要請・指示に対する補償は、行政が要請・指示をするにあたっての手続きの適正さを補完するとの意味を持ちうるものではあったとしても、前提となる要件ではないと考える。
すなわち、特措法はその第1条で、「国民の大部分が現在その免疫を獲得していないこと等から、新型インフルエンザ等が全国的かつ急速にまん延し、かつ、これにかかった場合の病状の程度が重篤となるおそれがあ(る)」ことに鑑みた法律であるとする。国民の生命・身体に危機が及ぶ強い懸念がある場合において、緊急事態宣言に基づく施設閉鎖要請・指示が、補償措置なしには出せないとすると、感染者が幾何級数的に増加する結果を招きかねない。国民の生命・身体の保護を図る対策を直ちに実施する必要がある場合に、その前提として、補償の概要を定めていなければならないとするのは、法の趣旨を没却しかねない。
この結論は、補償が、緊急事態宣言に基づく要請・指示を出すための前提要件とはならないというだけであり、国民の日々の生活や国民経済を窒息させないための手当・保障金の支給は十分行わなければならないことには違いはない。施設閉鎖要請・指示権限は知事にあるにしても、経済活動の下支えは国と都道府県との双方に責務がある。特措法上も国は対策の総合調整を行う責務がある(特措法第20条)。不幸にもこれ以上、緊急事態宣言対象地域が広がったときでも、政府には、道府県が要請・指示を出すにあたって躊躇しないように調整を行っていってもらいたい。
1 北海道のように、全国的なまん延が発生していなかったが、道内のみクラスターが発生した場合は、特措法の適用が難しかったと思われる。この場合に緊急避難的に緊急事態宣言を出すことは理解できる。
(2020年04月14日「研究員の眼」)

03-3512-1866
- 【職歴】
1985年 日本生命保険相互会社入社
2014年 ニッセイ基礎研究所 内部監査室長兼システム部長
2015年4月 生活研究部部長兼システム部長
2018年4月 取締役保険研究部研究理事
2021年4月 常務取締役保険研究部研究理事
2024年4月より現職
【加入団体等】
東京大学法学部(学士)、ハーバードロースクール(LLM:修士)
東京大学経済学部非常勤講師(2022年度・2023年度)
大阪経済大学非常勤講師(2018年度~2022年度)
金融審議会専門委員(2004年7月~2008年7月)
日本保険学会理事、生命保険経営学会常務理事 等
【著書】
『はじめて学ぶ少額短期保険』
出版社:保険毎日新聞社
発行年月:2024年02月
『Q&Aで読み解く保険業法』
出版社:保険毎日新聞社
発行年月:2022年07月
『はじめて学ぶ生命保険』
出版社:保険毎日新聞社
発行年月:2021年05月
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