2019年12月25日

日本の地球温暖化対策-『カーボンプライシング』の可能性を考える

総合政策研究部 准主任研究員 鈴木 智也

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1――はじめに

地球温暖化対策の国際的な枠組みである「パリ協定」が2020年から実施期間入りする。2016年に締結されたパリ協定で掲げられた目標は、「世界の平均気温上昇を産業革命(18世紀)以前に比べて2℃より十分低く保ち、1.5℃以内に抑制する」こと。各国はそれぞれに温室効果ガスの削減目標を定め、既に行動を開始している。しかし、2019年11月に国連環境計画(UNEP)が公表した最新の年次報告書1によると、各国が国連に提出した削減目標をすべて達成したとしても、世界の平均気温は2100年までに3.2℃上昇するという。その数字を踏まえると、世界の平均気温上昇を2℃以内に抑制するためには、2030年までに排出量を3分の1ほどに削減する必要があり、1.5℃以内に抑制するためには、排出量を5分の1ほどに削減する必要があるという。

日本が「約束草案2」で掲げた目標は「2030年までに(気温上昇の要因である)温室効果ガスを2013年度比の水準で26%削減する」こと。2016年時点の日本の削減実績は、2013年度比で7%の削減となっており、このままの削減ペースが維持されれば、2030年までを期限とする目標の達成は十分に可能とされる。

他方、パリ協定は各国に対し、2020年までに2050年に向けた温暖化対策の「長期戦略」を国連へ提出することを求めてきた。日本はG7諸国の中でもその提出が遅れていたが、2019年6月のG20大阪サミットの開催前に「パリ協定に基づく成長戦略としての長期戦略」が閣議決定し、国連に提出している。日本が国連に提出した長期戦略には、今世紀後半のできるだけ早期に「脱炭素社会」を実現し、それに向けて2050年までに80%の温室効果ガスの排出削減に取り組むことが明記され、民間主導のイノベーションとそれを後押しするファイナンス(資金循環)の強化を通じて、環境と成長の好循環を実現していくことを目指している。

日本が約束草案に掲げた目標は、現状の技術や企業の努力で実現可能な確度の高い目標であったが、長期戦略に掲げた目標は、技術革新や新たな取組みが不可欠な野心的な目標となっており、現状では目標の達成は見通せない。そして、いざその具体的な手段に関する検討になると、意見が対立することが少なくない。特に日本では、経済学者の多くが導入を強く求める「カーボンプライシング」について意見が鋭く対立している。カーボンプライシングは、二酸化炭素(以下CO2)の排出量に応じた負担を企業や家庭に求め、各主体の環境配慮的な行動を促すものであるが、企業競争力への影響や低所得者層の負担増などで問題を抱えるため、未だ本格的な導入に至っていない。

本稿では、意見対立の解けないカーボンプライシングについて、将来的な導入を考えるうえで解決しなければならない課題を整理し、本格的な導入へと向かう可能性について考察する。
 
1 UNEP「Emissions Gap Report 2019」
2 INDC(Intended Nationally Determined Contributions)は、日本語で「約束草案」と訳される各国内で定めた2020年以降の温暖化対策に関する目標。国連気候変動枠組条約第19回締約国会議(COP19)において、全ての国が(パリ協定の締結された)COP21までに提出することを求められていたもの。
 

2――カーボンプライシングとは ~炭素税と排出権取引~

2――カーボンプライシングとは ~炭素税と排出権取引~

カーボンプライシングは、炭素に価格を付けることである。炭素に価格をつけることでCO2排出者に、気候変動の要因となるCO2排出の削減に積極的に取り組むか、CO2排出で生じる様々な問題に対処するためのコストを支払うかの選択を迫り、CO2排出者自身に排出削減に取り組む経済的なインセンティブを与え、社会全体のより柔軟かつ経済効率的なCO2排出削減へとつなげる政策である。代表的な手法としては「炭素税」と「排出量取引制度」の2つが挙げられる。いずれも経済理論上は同じ効果を持つとされるが、実際にはそれぞれに特徴があり、どちらの手法を用いるべきか(或いはどのように両者を組み合わせるべきか)については、経済学者の間でも意見が分かれている[図表1]。
[図表1]炭素税と排出量取引制度の主な特徴
まず、炭素税については、政府が排出される炭素に価格付けをし、CO2排出者から排出量に見合う税金を徴収する手法である。炭素税は、負担増による消費抑制が炭素の排出削減につながるだけでなく[価格効果]、国の財政を潤すことで他の政策(例えば、温室効果ガス排出抑制事業など)を追加的に実施する余地を生み、排出削減効果をより高めることを可能とする[財源効果]。また、炭素税は、税率の設定で事業者の支払うコストが一意に定まるため、将来のビジネスに対する予見可能性が高まることや、税制を整備するだけで比較的容易に導入可能であることなど強みを持つ。ただし、炭素税の導入では、税の負担さえ甘受すればCO2排出が認められるといった側面も有り、各事業者が業績や課税水準を踏まえてどのように行動するかによって、国全体の総排出量が変動し得るため、排出削減目標の達成には不確実性が残るという弱みもある。

他方、排出量取引制度については、CO2の排出に上限(キャップ)を設定し、それに見合う排出権(排出許可証)を事業者に割り当て、その過不足に応じて各事業者が排出権を市場の中で融通し合う手法である。排出権価格は、市場の価格調整メカニズムによって決まるため、効率的に排出権の再配分が行われる。つまり、1tあたりの排出削減費用の高い企業は市場から排出権を購入し、1tあたりの排出削減費用の低い企業が多めに削減して排出権を売却するため、経済全体の排出削減コストを最小化することが可能である。さらに、市場全体で排出権の需給が均衡していれば、CO2排出量はキャップ内に収まるため、確実に排出削減目標を達成することができることが強みとなる。また、排出権を配分する方法3には「無償配分」と「有償配分」の2つがあるが、排出権が有償配分となる場合には、炭素税と同じく政府にとって歳入増となるため、それらを財源に一層の排出削減施策を展開することも可能である。ただし、炭素価格(排出権)は需給のバランスによって変動するため、予見可能性の点では、炭素税に劣後する。また、排出量取引制度の導入は、排出権の配分だけでなく、制度の対象範囲や排出権の算定方法などの詳細を決めなければならず、制度設計が複雑になって行政コストが重くなるという弱みもある。

それぞれ一長一短のある仕組みであるが、世界の導入例を見てみると、排出量取引制度を導入している国が多いようだ。世界銀行の報告4によると、2019年4月現在、カーボンプライシングを導入(または導入を決定)している国は46カ国あり、そのうち排出量取引制度だけを導入(または導入を決定)している国は21カ国、炭素税だけを導入(または導入を決定)している国は8カ国あるという。カーボンプライシングの導入は、北欧における炭素税の導入を皮切りとして欧州中心に拡大してきたが、近年は中南米やアジア・オセアニアなど、欧州域外の地域にも拡大している。2019年の国レベルの導入状況を見ると、カナダが炭素税と排出量取引制度の両方を導入し、南アフリカおよびシンガポールが炭素税を開始している。また、来年2020年には、世界最大の排出国である中国も、本格的な排出量取引制度を国レベルで導入する予定である。

日本では、国レベルで導入された排出量取引制度はないものの5、2012年に地球温暖化対策税(以下、温対税)が導入されている。カーボンプライシングが導入されていない国が依然多い中、日本だけが地球温暖化対策で出遅れている状況にはないが、温対税の税率が289円/tCO2と最も高いスウェ-デンの127USドル/tCO2(約13,800円/tCO26に比べて大きく劣後することも事実であり、追加的な施策の導入可能性について、様々な議論が継続されているところである。
 
3 無償配分には、特定期間における排出実績を基にして配分する「グランドファザリング方式」、業種や製品に係る望ましい排出原単位に基づいて配分する「ベンチマーク方式」、生産活動とリンクした形で配分する「OBA方式」があり、有償配分には、排出枠を公開入札によって配分する「オークション方式」がある。
4 世界銀行「State and Trends of Carbon Pricing 2019」には、国以外にも地域限定で導入された事例も記載されている。
5 日本では、2010年に東京都で導入された排出量取引制度と2011年に埼玉県で導入された排出量取引制度が、地域レベルで導入されたカーボンプライシングとしてカウントされている。
6 世界銀行が設定する「パリ協定の目標を達成するために2020年までに必要とされる最低価格帯」は「40~80 USドル/tCO2
 

3――日本における導入の在り方

3――日本における導入の在り方 ~抜本的な税制改革とともに~

カーボンプライシングは、経済学者を中心に導入を求める声の多い政策ではあるが、(1)炭素リーケージの問題、(2)イノベーションの阻害、(3)逆進性の問題などの弊害を伴うため、導入に慎重な意見が依然として多い。また、日本は一次エネルギー7の約9割を化石燃料に依存しているため、家計や産業が受ける影響も大きく、カーボンプライシングの導入を阻む1つの要因となっている。そして、この状況が生まれた背景には、東日本大震災の発生で原発が稼働停止に陥ったという特殊な要因とともに、税制の構造自体に環境負荷の少ないエネルギーへと転換を促すインセンティブが無かったという固有の問題もある。今後、日本で本格的にカーボンプライシングを導入していくためには、これらの問題に同時対処していくことが求められる。以下では、カーボンプライシングの導入で懸念される諸問題に対し、どのように対処していくことが望ましいかを考え、その答えが国内における税制の抜本改革と不可分であることを説明する。
 
7 一次エネルギーは、自然界から得られた変換加工しないエネルギーのこと。石油・石炭・天然ガス・太陽光・風量などを含み、それらを変換加工して得られる電力や熱などのエネルギーを二次エネルギーと言う。
1炭素リーケージ : 国際協調と減免措置
炭素リーケージとは、各国で温室効果ガスの排出規制の程度が異なる場合、企業は規制が緩く相対的にエネルギーコストの低い国へと生産を移管し、国内では価格競争力を失った国内生産物が諸外国からの輸入に置き換わるといった問題である。

この問題の根本的な要因は、地球温暖化対策における世界の足並みが揃っていないことにある。理想的には、世界規模で同一の規制が導入されることが望ましいが、現実には、国ごとに地球温暖化から受ける影響や利害などが異なるため、多国間で合意形成を図ることは容易ではない(参照:【補足】温暖化対策が進まない原因)。そのため、国連を介した合意形成プロセスが難しいのであれば、別のプロセスを進めるべきだという意見もある。例えば、メンバーを絞ることで合意形成を早め、自由貿易の枠組みを活用することで参加国を増やすというジャン・ティロール氏8が主張する手法である。具体的には、G20のような排出大国が「気候対策連合」を形成し、統一の規制を導入することで合意し、非協力的な国に対しては、世界貿易機関(WTO)を通じて圧力を掛ける。排出削減に努力しない国の輸出品には懲罰的な関税9を課し、国際協定を遵守しない国は環境ダンピングを行なったとみなして制裁を科していくことを想定する。この手法であっても合意形成は容易でないと予想されるが、国際的な枠組みに強制力を持たせる点や参加国を段階的に広げる手法は、参考になるかもしれない。

なお、日本でカーボンンプライシングを導入する際には、世界規模で同一の規制が導入されていない現状を踏まえて考えていく必要がある。国内で炭素リーケージの問題に対処するためには、影響を受ける産業に一定の配慮を示し、規制の緩い国への生産移管が行われないような政策を合わせて実施していくことが必要となる。具体的には、既存技術での排出削減に限界のある素材産業などを対象として、排出量取引制度の無償割当や炭素税の減免・還付措置などの負担軽減策を導入することが考えられる。ただし、これらの措置は、既得権になってしまわないように期限を設けて、徐々に縮小・撤廃していくことが望ましいだろう。どのような産業であっても排出削減へのインセンティブは付与されるべきであり、減免措置の段階的な縮小で技術開発を促してしていくことは重要である。
 
8 ジャン・ティロール氏は、2014年にノーベル経済学賞を受賞している。
9 すでに欧州では、気候変動対策が不十分な域外国からの輸入品に対して「国境炭素税」を課す検討が具体化している。
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総合政策研究部   准主任研究員

鈴木 智也 (すずき ともや)

研究・専門分野
経済産業政策、金融

経歴
  • 【職歴】
     2011年 日本生命保険相互会社入社
     2017年 日本経済研究センター派遣
     2018年 ニッセイ基礎研究所へ
     2021年より現職
    【加入団体等】
     ・日本証券アナリスト協会検定会員

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