2019年12月05日

英国総選挙:保守党過半数確保の勢い-最終盤での形勢逆転の可能性を考える

経済研究部 常務理事 伊藤 さゆり

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3――最終盤での形勢逆転をもたらし得る要因

1|再分配重視の労働党の政権公約への支持の広がり
しかし、近年の英国では15年の総選挙や16年の国民投票は世論調査を裏切る結果となり、17年の総選挙ではキャンペーン期間中の二大政党の支持率の差の急激な縮小も経験している。

今回も最終盤で急展開し、世論調査を裏切る結果が出る可能性はないのだろうか。

17年の総選挙の急展開は、「離脱戦略」よりも、生活に直結する政権公約に有権者の目が向かったことが原因だった。キャンペーン期間に入る前、保守党の支持率は20%ポイントも労働党をリードしていたが、メイ前首相が、社会保険料負担の引き上げなどを盛り込んだことが批判と不安を招き、労働党の追い上げを許した。

今回の保守党の公約は、こうした17年の経験が教訓となって手堅くまとめられている(図表5-左)。まずは「離脱の実現」を強調し、その上で、国民が不安を抱く、国家医療サービス(NHS)、教育、治安対策を強化するとのメッセージは明確だ。また、保守党政権が進めてきた財政緊縮と決別する象徴として、任期中の5年間の所得税、付加価値税(VAT),社会保険料の据え置きを約束した。20年1月から予定していた現在19%の法人税の引き下げも見送った。財源確保ばかりでなく、「企業寄り」との批判を許し、労働党から票を奪う妨げとなるリスクを回避する狙いもあると思われる。

他方、労働党の政権公約(図表5-右)は、再分配を重視し、国家の介入拡大を指向する。トップの項目に環境政策「緑の産業革命」を掲げ、「公共サービスの再建」、「貧困と不平等への取り組み」が続く。EU離脱は4番目の項目だ。鉄道、郵便、水道、一部通信事業の民営化、国家教育サービス(NES)による生涯教育無償化や高速ブロードバンドの無料開放などの一方、法人税率や、年収8千万ポンド以上(1120万円以上、納税者の5%に相当)の所得税の引き上げ、IT大手を対象とする新税や石油・ガス企業への超過利潤税の導入など財源とする。
図表5 2019年総選挙に向けた二大政党の政権公約
二大政党の公約の年間の歳出増加額は、保守党の年30億ポンドに対して、労働党は年830億ポンドと遙かに大きい。

英国のシンクタンク・IFSの試算では5、保守党の公約は、対国民所得比(以下同じ)で税収は横這い、歳出も抑制され、財政赤字に相当する純借り入れが2%超で現状と同程度の水準に維持、純政府債務残高は横這いで推移する。基本的に現状と大きく変わらない。

他方、既存のシステムを抜本的に見直し、新たに「普遍的な福祉国家」を目指すような労働党政権の公約の場合、任期の5年間で税収は過去最高水準、歳出も持続したことがないレベルに達し、そもそも実現は難しいと言う。仮に、予定されている増税を実施し、歳出をより緩やかなペースで増やした場合でも、政府の純借り入れは20年度に3%を超え、23年度に4%超に増えて、純政府債務残高も膨らむ。

労働党の拡張的な政権公約を、保守党は厳しく批判する。ビジネス界や市場関係者の間でも、英国の優れたビジネス環境を損なう政策として押しなべて評判が悪い。コービン首相の誕生は、「合意なき離脱」以上に英国経済にとってのダメージになるとの批判もある。

しかし、保守党政権の緊縮政策による大規模な歳出削減への不満や、繁栄から取り残されているとの疎外感を持つ有権者は、現在の延長上にある保守党の公約よりも、大胆な再分配を掲げる労働党の公約を評価する可能性はある。

労働党の政権公約を評価するエコノミストや学者もいる。11月26日の英フィナンシャル・タイムズ(FT)には労働党の政権公約を「我々が直面している深刻な問題を理解しているだけでなく、それに対処するための真剣な提案」であり、「次の政府を作るに値する」と評価する163人のエコノミストが署名した公開書簡が掲載された6。書簡には、英国が直面する問題点として「10年間の生産性の伸び、企業投資の停滞」、「地域間の格差の拡大」、「公共サービスへの耐えられない負担」、「気候と環境危機」などを指摘、「民間部門が消極的」な状況にあって、「公共投資の本格的な投入が必要」なため、労働党の公約を支持すると記している。
 
5 Carl Emmerson, “The outlook for the public finances: the Conservative, Labour and Liberal Democrat manifestos compared”,The Institute for Fiscal Studies,
(https://www.ifs.org.uk/uploads/Manifesto-analysis-Public-finances-general%20election-2019_V2.pdf)
6 “Letter: As economists we believe the Labour party deserves to form the next UK government”,
November 26 2019(https://www.ft.com/content/d6f56834-0f78-11ea-a225-db2f231cfeae
2若い世代の既存の政治への不満の噴出
16年の国民投票が、予想外の離脱多数となった一因として、若年層の投票率が低かったことがある。

今回の総選挙では、若年層が予想以上に積極的に参加した場合には、世論調査が示唆するよりも、保守党に厳しく、労働党に有利な結果となるだろう。

EU離脱は英国の世論を分断したとされるが、保守党支持と離脱支持、労働党支持と残留支持はリンクする傾向があり、年齢層が高くなるほど離脱支持の割合が高い。支持政党についても、年齢層が高くなるほど保守党支持の割合が高く、低くなるほど労働党支持の割合が高くなる(図表6)。

選挙管理委員会は、12月の総選挙の公示前に投票の有資格者のうち、900万人ほどが未登録としてきたが、「早期選挙法」の可決で、12月12日の総選挙が決まった10月29日から11月26日の締め切りまでに、385万人が有権者登録した。登録申請者数の37%が25歳未満、25歳から34歳までが30%と若い世代の登録が増えている。

若い世代への総選挙への関心の高まりにはソーシャル・メディアの役割も大きい。有権者登録の最終日には、データの開示が行われるようになった2014年6月以降で最多となる66万人が登録した。登録者数の急増は人気アーティストのストームジーが、自身のインスタグラムとツィッターで「これを読んだ一人一人が有権者登録をすることが、とても、とても、とても重要だ」と呼びかけたことが影響したとされる。同氏は、「人々に力を与え、政府からの援助を最も必要としている人々を助けることに専心する、権力の地位にある最初の人」であるコービン党首に投票する意向を表明している。同時に、ジョンソン首相を、「長い間嘘をついたり、政府が支援し、力を与えることを約束すべき人々をまったく無視する政策をとってきた罪深い男」と酷評している。

2010年から続く保守党政権の政治が若い世代を軽視しているという不満が予想以上に強く、投票行動によって示されることによって、既存のメディアや世論調査、専門家らの予想外の結果が出る可能性も意識しておく必要はあるだろう。
図表6 年齢層別政党支持率

4――おわりに-総選挙後もEU離脱を巡る混迷は続く

4――おわりに-総選挙後もEU離脱を巡る混迷は続く

1保守党勝利なら離脱の負の影響への対応が不可欠
英国社会には「離脱疲れ」が蔓延している。離脱派の間には、離脱が生活の改善につながるとの思いも根強い。今回の総選挙では、離脱問題の早期決着を望む民意が勝って、ジョンソン首相が過半数を制する可能性は高そうだ。

ジョンソン首相勝利の場合、離脱後のEUとの新たな関係への移行を円滑に進めることが、政権基盤の安定の条件となる。3-1で紹介したIFSの政権公約の試算では、EU離脱戦略を加味すると、EUとの緊密な将来関係を目指すか、残留かを選択する労働党よりも保守党のリスクが大きく、仮に、20年末に事実上の「合意なき離脱」同様の環境激変があれば、21~22年度の政府の純借入は4%に達し、政府債務残高は労働党を上回るペースで増加すると言う。

離脱派の期待とは裏腹に離脱は英国経済の好転にはつながらない。EU離脱後、在英国企業のEU圏内への人員や拠点のシフトは加速しやすい。国民投票からの3年半に比べると、世界経済の基調は弱くなっていることもあり、離脱の痛みを感じ易くなっている。とりわけ、EU離脱の負の影響は、離脱に生活の改善への思いを託した工業地帯や農業地帯、低所得者が受けやすい。保守党は総選挙にあたり、中道寄りの公約を掲げた。離脱派が掲げる欧州を超えて広がる「グローバル・ブリテン」戦略の追求以上に、英国内の格差への対応に力を入れる必要がある。

失敗すれば、既存の体制への不満が募り、労働党の公約が掲げるような「普遍的な福祉国家」への転換を目指す民意が強まりそうだ。
2労働党勝利でも不確実性と分断は続く
仮に、今回の総選挙で、再分配と国家介入重視の政権公約への若年層の支持が予想以上に強く、総選挙後に労働党中心の政権が誕生する形勢の逆転が生じた場合も、不確実性と分断は続く。

まず、労働党が総選挙で予想以上の成果を収めた場合、再分配重視、国家の介入を拡大する公約を嫌い、市場が激しく反応する可能性がある。

また、労働党が約束するEUとの再交渉の内容は、ジョンソン合意よりEUとの関係を重視するものの、「いいとこどり」の面がある。多くは「将来関係協定」での協議に委ねられることになるが、要望通りにはまとまらないだろう。

政権樹立から6カ月以内の国民投票は不可能ではないが、キャンペーンのために10週間を要すること、その前に法律の制定、選挙管理委員会による審査が必要であることから、時間的に厳しい。

再度の国民投票に進むことになれば、さらに不透明な時期が長引く。

国民投票の結果、仮に、残留という結果になれば、4年にわたり待たされた挙句に結果を覆された離脱派は強い不満を抱くことになる。国内の分断は一層深まるだろう。
 
 

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経済研究部   常務理事

伊藤 さゆり (いとう さゆり)

研究・専門分野
欧州の政策、国際経済・金融

経歴
  • ・ 1987年 日本興業銀行入行
    ・ 2001年 ニッセイ基礎研究所入社
    ・ 2023年7月から現職

    ・ 2011~2012年度 二松学舎大学非常勤講師
    ・ 2011~2013年度 獨協大学非常勤講師
    ・ 2015年度~ 早稲田大学商学学術院非常勤講師
    ・ 2017年度~ 日本EU学会理事
    ・ 2017年度~ 日本経済団体連合会21世紀政策研究所研究委員
    ・ 2020~2022年度 日本国際フォーラム「米中覇権競争とインド太平洋地経学」、
               「欧州政策パネル」メンバー
    ・ 2022年度~ Discuss Japan編集委員
    ・ 2023年11月~ ジェトロ情報媒体に対する外部評価委員会委員
    ・ 2023年11月~ 経済産業省 産業構造審議会 経済産業政策新機軸部会 委員

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