2019年11月06日

不思議な「現代財政理論」~国債の消化余力について考える

上智大学 経済学部 中里 透

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今年の春から夏にかけて、MMT(現代金融理論・現代貨幣理論)というやや風変わりな経済理論が注目を集めた。「自国通貨建てであれば、政府は財政赤字を気にすることなく財政支出を拡大させることができる」と謳うMMTは異端の経済学とされるが、国債の消化余力をめぐっては、もうひとつ別のユニークな見方がある。

それは「政府総債務残高が家計純金融資産残高を上回ると国債消化に困難が生じ、財政危機が起きる」というもので、数年前から日本でよく見かけるようになった「理論」だ1。国債による資金調達の本源的な原資は家計貯蓄であると考えると、この話はもっともらしいように見える。だが、以下の点に留意が必要だ。
 
1 政府債務には国債だけでなく地方債など他の公的債務も含まれるが、この見解は国債の消化余力をめぐる議論の中で表明されることが多いことから、本稿では政府債務を代表するものとして「国債」という表記を用い、以下の記述を進めていくこととする。
 
ひとつは、家計が保有する国債は発行額全体からするとわずかであり(発行残高の1%をやや上回る程度)、家計から預貯金や保険・年金などの形で資金を受け入れている金融機関も、貸出や対外証券投資など国債以外の資産で大半の資金運用を行っているということだ。すなわち、家計金融資産はそっくりそのまま国債消化に充てられているわけではないということになる。

もうひとつは、国の機関や自治体が基金などに積み立てた資金は大半が預貯金や債券の形で運用されており、これらの資金の中には直接・間接に国債の購入に充てられている分があるということだ。その分に相当する国債については公的部門内ですでに資金の手当ができていることになるから、民間による国債消化の余地を確認する場合には、公的部門による国債保有額を除いて考えることが必要となる。すなわち、家計「純」金融資産残高と比較する対象は、はたして政府「総」債務残高でよいのかという問題がある。

三つ目は、民間企業(民間非金融法人企業)が全体として資金余剰主体になっていることに留意する必要があるということだ。企業部門の貯蓄も家計部門の貯蓄と同じく直接・間接に国債購入の原資となるから、国債の消化余力を確認する際にはこの点も併せて考慮することが必要となる。

このように見てくると、政府総債務残高と家計純金融資産残高の間には、残高の数字が似ている(いずれも1千兆円台)という以上の関係はなく、両者の大小関係を比較することで国債の消化余力を測ることはできないということになる。

国債の消化余力をめぐる議論は、家計貯蓄の動向に焦点を当てる形でなされることが多いが、企業部門(民間非金融法人企業)が貯蓄超過(資金余剰)となっている現状を踏まえると、企業部門の動向にも留意して議論を進めていくことが必要となる。

そこで、「資金循環統計」(日本銀行)をもとに各部門の資金過不足の推移を確認すると(図表1)、政府部門(一般政府)は1992年度に資金不足に転じ、その後、振れを伴いながらも最近時点まで資金不足の状態が続いている。この間、家計部門は1990年代から2000年代(00年代)前半にかけて資金余剰の幅が縮小し、その後は余剰幅がほぼ横ばいで推移してきた。
図表1:各部門の資金過不足の推移
このように、1990年代以降、政府部門の資金不足の拡大と家計部門の資金余剰の縮小が生じる中、企業部門については90年代半ばに資金不足から資金余剰への転換が生じ、足元では家計部門と同じか、それをやや上回る資金余剰が生じている。財政赤字の拡大と家計貯蓄の減少にもかかわらず、国債の消化が円滑に行われ、長期金利の低位安定が維持されてきた背景には、資金循環をめぐるこのような構図がある。

もっとも、このような状況を手放しで喜ぶことはできない。企業部門が資金余剰(貯蓄超過)となったのは、経済が停滞し先行きが見通しにくい中で設備投資や賃上げが抑えられてきたことの裏返しという面があるからだ。今後、高齢化の一層の進展に伴って家計部門の貯蓄超過が縮小に向かう可能性もある。この7年ほどで政府の資金不足(財政赤字)は大幅に縮小したが(前掲図表1)、消費増税の反動減対策や東京五輪後の景気対策を名目に財政支出の大幅な拡大が生じるようなことがあれば、これまでの資金循環の構図に変調が生じるおそれもある。

国債の円滑な消化と国債市場の安定性の確保に向けて、引き続き注視が求められる。
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上智大学 経済学部

中里 透

研究・専門分野

(2019年11月06日「ニッセイ年金ストラテジー」)

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