2018年08月07日

10年が過ぎた後期高齢者医療制度はどうなっているのか(下)-制度改革の経緯と見直しの選択肢を考える

保険研究部 上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任 三原 岳

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5|運営主体を巡る攻防
さらに、論点になったのは独立保険方式の運営主体である。当局者による解説書では「制度の運営に当たっては、財政の安定化を図る観点から広域化を図る必要があった」「住民に関する基礎情報を保有せず、医療保険の事務処理に関するノウハウの蓄積もなく、保険料の徴収等の事務処理に関する蓄積もないため、都道府県がこうした事務を担うことは現実的に困難と考えられた」と説明している15

しかし、実際の政策形成プロセスでは、運営主体を国とする案が浮上した16ほか、負担増を恐れる全国知事会と全国市長会、全国町村会が対立した。さらに、同じ時期に国・地方税財政を見直す「三位一体改革」17の議論も進められている中で、全国知事会は国保に関する都道府県の負担を増やす国の提案を批判していたため、高齢者医療費に関しても都道府県の財政負担拡大を警戒していた。

これに対し、全国市長会、全国町村会、国保中央会が2005年10月に公表した意見書では国への一元化を求めるとともに、「(注:協会けんぽなどは)都道府県単位を軸とした再編・統合を推進するとしているにもかかわらず、後期高齢者医療制度の運営主体を市町村とすることは、その方向性に逆行する」「国保と介護保険の両保険者として極めて厳しい財政運営を強いられている市町村が(略)制度の運営主体を担うことは到底容認できない」と要請した。

結局、市町村で構成する広域連合を都道府県単位に設置するとともに、自治体の税金負担を減らすため、被用者保険からの財政調整を強化することで折り合った18
 
15 土佐前掲書p252。
16 当時、連立与党に加わっていた社民党の主張だった。丹羽雄哉(1998)『生きるために』日経メディカル開発p116。
17 国の補助金を廃止し、その税源を地方に移譲するとともに、地方交付税を一体的に見直す改革。小泉純一郎政権下で4兆円の補助金見直しと3兆円の税源移譲が実現し、国保向け国庫補助金などが争点となった。国保向け補助金に関する経緯については、拙稿レポート2018年4月17日「国保の都道府県化で何が変わるのか(下)」を参照。
http://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=58441
18 『朝日新聞』2005年12月2日。『日本経済新聞』2005年11月28日夕刊。
6|制度導入時の経緯から言えること
こうした経緯を振り返ると、旧老人保健制度を見直す際、(a)独立保険方式、(b)突き抜け方式、(c)一本化方式、(d)年齢リスク構造調整方式――という4つの案が取り沙汰され、厚生労働省は財政調整、自民党と日医、健保連、経済界が独立保険方式を求めたことで、関係者間の調整は難航した。

さらに、運営主体を巡る自治体間の対立が浮き彫りになったことで、後期高齢者医療制度の運営主体を広域連合とする一方、被用者保険を中心とする財政調整を強化する形で決着した。言い換えると、10年近い議論と利害調整を経ても、全ての関係者が一致する改革案は見出せず、様々な意見を漸増主義的に取り入れたことで、現在の仕組みになったと言える。

その結果、旧老人保健制度の課題とされた課題((1)現役世代と高齢者の費用・負担関係が不明確、(2)保険料を納める主体と、医療費を使う主体が分離している)で見ると、(1)は被用者保険の財政調整が維持・強化され、(2)では民主的統制が弱い広域連合を運営主体とする決着が図られ、課題を残すこととなった。言い換えると、(1)、(2)の改革の目的が不十分に終わった理由としては、関係者との利害調整に求められると言える。それだけ難しい利害調整だったという言い方も可能であろう。
 

3――現行制度の見直しを巡る議論

3――現行制度の見直しを巡る議論

1|現行制度の問題点
今後、団塊世代が75歳以上になった時、高齢者医療費は一層増加する可能性が高く、支援金の規模が拡大する可能性がある。これは74歳以下の国民、特に相対的に財政が豊かであることを理由に負担増を求められている健保組合の被保険者にとってみると、社会保険の枠組みでは説明し切れない支援金のウエイトが増加することを意味する。

筆者個人の意見としては、高齢者が少なく相対的に財政が豊かな健保組合の負担増は止むを得ないと思う反面、()で述べた通り、支援金の枠組みは法律的に説明が付きにくく、制度改正が必要と考えている。さらに、保険者自治を発揮しにくい広域連合の見直しも必要という立場を取る。
2|制度改革に関する現在の提案
しかし、後期高齢者医療制度を含む医療保険制度に関する見直し論議は停滞している。2015年医療制度改革法では後期高齢者医療制度支援金について、被用者保険の負担を分かち合う際のルールを2017年度から全面総報酬割に変えた19程度であり、現在の制度改革のベースラインとなった2013年8月の社会保障制度改革国民会議報告書では特段の根拠を示さないまま、「後期高齢者医療制度については、創設から既に5年が経過し、現在では十分定着していると考えられる」と指摘している。
図3:高齢者医療費の見直しに関する健保連の提案 こうした中で、医療保険制度改革について具体案を示しているのは健保連と日医である。まず、健保連は支援金だけでなく、前期高齢者納付金の負担増にも反発しており、「2025年には健保組合の被保険者1人当たり保険料額(65.7 万円)のうち、加入者への医療給付費分は30.3万円、高齢者への拠出金分は31.2万円となり、拠出金分が加入者分を上回る」「拠出金割合が50%以上の健保組合も870組合にのぼり、全組合の62%を占める」としつつ、図3の通りに拠出金が50%を超えた場合、その部分を国庫負担する制度改正を提案している。

さらに、日医は2018年4月の報告書で、協会けんぽと健保組合を都道府県単位に統合するよう主張しており、その狙いとして被用者保険での負担の公平化や財政の安定化、医療提供体制改革を含む医療行政の都道府県化20との整合性を掲げている。

このように考えると、制度改革に関する議論は盛り上がっていると言えないが、人口的なボリュームが大きい団塊世代が75歳以上になる2025年以降を意識すると、制度改革に向けた検討をスタートした方が良いのではないだろうか。しかも老人保健制度の議論まで立ち返ると、高齢者医療費を巡る議論や調整は30年以上も続いていることになり、その背景には高齢者医療費を巡る不均衡がある。具体的には、退職後に被用者保険を脱退する人が国保に加入するため、高齢化に伴う医療費の負担が国保に集中しやすい構造である。こうした点を踏まえると、支援金を廃止したり、広域連合の自治を強化したりするだけで課題が解決するわけではない。

さらに、事業主負担や非正規雇用労働者の問題にも目を配る必要がある。これらについては、それぞれで深く論じる必要がある難しい論点だが、以下は「高齢者医療費をどう分かち合うか」という問題以外の論点も加味しつつ、制度改革の選択肢を考察する。
 
19 これは高齢者医療費の見直しというよりも、財政の帳尻合わせという側面が強い。具体的には、(1)後期高齢者医療制度支援金について、被用者保険で負担を分かち合う際のルールを2017年度から全面総報酬割に移行、(2)協会けんぽの国庫補助率を当分の間16.4%と固定化させる一方、準備金残高が法定準備金を上回った場合、新たな超過分の国庫補助相当額を減額、(3)上記の制度改革で浮く国の財源2,400億円のうち、1,700億円を国保に投入、(4)(3)で浮く財源のうち、残り700億円は高齢者医療費拠出金の負担が増える健保組合向け国庫補助金に充当、(5)社会保障目的税化された消費増税分から1,700億円を国保に充当、(6)(5)の財源措置を通じて国保の財政基盤を強化するとともに、財政運営を2018年度から都道府県単位化-―という内容だった。
20 医療行政の都道府県化については、拙稿レポート2018年4月11日「国保の都道府県化で何が変わるのか(上)」を参照。
http://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=58410?site=nli
 

4――社会保険方式の「負の側面」

4――社会保険方式の「負の側面」

筆者個人としては、社会保険料を主な財源とする社会保険方式の「負の側面」に目を向ける必要があると考えている。例えば、日本の社会保障制度については、正規雇用労働者と非正規雇用労働者、男性と女性の間で格差があり、インサイダーとアウトサイダーの分断が顕著という指摘21がある通り、この一因として男性の正規雇用労働者を中心に想定した社会保険方式があることは否定できない。

実際、社会保険方式では給付が雇用と結び付いているため、グローバル化で雇用が影響を受けると、社会保障給付も悪影響を受けやすい22ほか、事業主負担の増加が会社の国際競争力だけでなく、賃金や雇用に影響を与える可能性にも留意する必要がある23

こうした課題について、日本は社会保険の対象者拡大や無期雇用の拡大などで対応している24が、社会保険方式の「負の側面」を修正するという観点では必ずしも表立った議論が見られない。しかし、同様に社会保険方式を採用しているドイツ、フランス、オランダ、韓国では、それぞれの判断と方法で大規模な制度改革に挑戦している。例えば、ドイツ25では被保険者が加入する疾病金庫(日本の健保組合に相当)を選べる「規制競争」(Regulated Competition)を採用し、民間保険会社の参入も認めた。その際、疾病金庫の年齢、所得で保険料格差が生じないようにリスク構造調整を実施し、競争原理を部分的に採用することで、疾病金庫の効率化と合併再編を促した。さらに、疾病金庫同士による競争の結果、保険料が同一水準に収れんしたため、統一保険料を政府が設定し、それで賄えない場合、本人の保険料負担にすることで、事業主負担の抑制に努めている。

オランダ26もドイツと同様の規制競争を導入するとともに、所得税と社会保険料の一体的な改革を進めている。フランス27では社会保険料の本人負担をCSG(一般社会税)に転換させ、社会保険の網から漏れるニーズに対応しており、韓国28は負担の公平化などを目指して、日本と同様に分立していた医療保険制度を国単位に一元化した。

以下、後期高齢者医療制度を創設する際に論点となった図1の4つの案をベースに、こうした海外の動向も踏まえて事業主負担や非正規雇用の問題を「補助線」に加味しつつ、制度改革の選択肢と利害得失を論じる。
 
21 田中拓道(2017)『福祉政治史』勁草書房を参照。
22 ここでは詳述しないが、女性の社会保障も論点となる。福祉国家の国際比較で有名なGosta Esping-Andersen(1999)“Social Foundations of Postindustrial Economies”[渡辺雅男・渡辺景子訳(2000)『ポスト工業経済の社会的基礎』桜井書店p85]では、「社会保険方式のように雇用ないし職歴に基礎を置いて資格付与を行うシステムでは、暗黙のうちに一家の稼ぎ手である男性が有利になる」と指摘している。
23 労働経済学の研究では必ずしも明確な結論に至っていないが、事業主負担が労働者の賃金あるいは雇用に帰着しているという研究結果がある。例えば、金明中(2008)「社会保険料の増加が企業の雇用に与える影響に関する分析」『日本労働研究雑誌』No.571。
24 2016年10月から(1)週20時間以上、(2)月収8.8万円以上(年収106万円以上)――などの要件を満たす人を対象に、被用者保険の適用範囲を拡大したほか、勤続5年を超えると無期雇用に転換する改正労働契約法に基づくルールが2018年4月からスタートした。
25 ドイツの事例については、松本勝明編著(2015)『医療制度改革』旬報社、同(2014)「メルケル政権下の医療制度改革」『海外社会保障研究』No.186などを参照。
26 オランダの事例については、島村玲雄(2017)「『オランダモデル』と財政改革」日本財政学会編『貧困を考える』有斐閣、佐藤主光(2009)「保険者機能と管理競争」尾形裕也・田近栄治編著『次世代医療制度改革』ミネルヴァ書房、大森正博(2006)「オランダにおける医療と介護の機能分担と連携」『海外社会保障研究』No.156などを参照。
27 フランスの事例については、柴田洋二郎(2017)「フランスの医療保険財源の租税化」『JRIレビュー』Vol.9 No.48、小西杏奈(2013)「一般社会税(CSG)の導入過程の考察」井手英策編著『危機と再建の比較財政史』ミネルヴァ書房などを参照
281 韓国の事例については、李蓮花(2011)『東アジアにおける後発近代化と社会政策』ミネルヴァ書房、健保連(2017)「韓国医療保険制度の現状に関する調査研究報告書」、同(2003)「韓国の医療保険改革についての研究報告書」などを参照。
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保険研究部   上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任

三原 岳 (みはら たかし)

研究・専門分野
医療・介護・福祉、政策過程論

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【10年が過ぎた後期高齢者医療制度はどうなっているのか(下)-制度改革の経緯と見直しの選択肢を考える】【シンクタンク】ニッセイ基礎研究所は、保険・年金・社会保障、経済・金融・不動産、暮らし・高齢社会、経営・ビジネスなどの各専門領域の研究員を抱え、様々な情報提供を行っています。

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