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- 右側通行?左側通行?(2)-世界的には歩行者や自動車の通行ルールはどうなっているのか-
コラム
2016年11月15日

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米国等では、何故、自動車は右側通行なのか
そもそも、「世界も元々は左側通行」だった。
これは、人間に右利きの人が多い中で、徒歩や乗馬で道路を進む場合、前方からの攻撃等に対して、身構えやすいという理由によるものである3。さらには、英国の馬車と同じ理由や、前回の「研究員の眼」で述べた日本において歩行者や車が左側である理由も、例えば武士や刀を騎士や剣に置きかえて考えれば、同じように当てはまることになる。
いずれにしても、左側通行には、十分に合理的な理由があった。
それが、その後の各種の状況を経て、各国が右側通行に変更していくことになった。この理由についても諸説あるようだが、ここでは代表的と思われるものを紹介しておく4。
まずは、欧州においては、先に述べたような、左側通行の合理性を踏まえた上で、ある教皇が「欧州における道路使用者は、身の安全のため、左側通行すべし」との命を出していたが、これに対して、18世紀のフランス革命時に、反カトリックのロベスピエールにより、「左側通行はキリスト教の定めたものだから廃止すべし」ということで、右側通行に変更された。
なお、当時、軍隊も左側通行をして、敵に対しては、左側から攻撃していた。槍や剣を右手に持った騎士同士が戦う場面では、左側から相手に近づいて、戦闘が行われていた。
こうした伝統的な戦法に対して、ナポレオン5が、主力部隊を右側に配置して、敵軍と戦い、多くの戦争で勝利した。ナポレオンは、この戦法を効果的にするために、兵士と車両が道路の右側を通行するように命令した。これによって、フランスでは右側通行に変更された。
その後、当時の大国フランスの影響を受けて、ナポレオンが征服した地域や陸地続きの多くの欧州大陸諸国が右側通行になっていった。なお、ナポレオンに抵抗して左側通行を維持していた国々も、(1)ポルトガルは、実用的な観点を考慮して1920年代に、(2)旧オーストリア・ハンガリー帝国の諸国は、ヒットラーに支配されて、それぞれ右側通行に変更している。
これに対して、島国であった英国は、ナポレオンの支配も受けず、フランスへの対抗心もあったことから、伝統的な左側通行のままを維持して、今日に至っている。
なお、新興国だった米国は、独立戦争後に、英国の植民地時代の影響を捨て去ることを希望していたことに加えて、独立戦争時にフランスの援助を受け、フランスを中心とした欧州からの移民が増加していたことから、1792年にペンシルバニア州で、1804年にニューヨーク州でという形で、順次右側通行の法定化が行われていった。
なお、こうした説に対して、欧州大陸や北米大陸等では、馬車で移動する距離が長かったので、多頭立ての馬車が主流であり、この場合、両側の列の馬を操るためには、御者は左側に座る必要があったため、大陸では右側通行になったとの説もある。
いずれにしても、自動車が普及してくると、米国で生産され、海外に輸出される自動車が右側通行に適する左ハンドルであったため、中国を初めとして、多くの国が右側通行に変更していった。
3 なお、これに対して、馬に乗っている人の鞭から逃れるためには、右側通行の方がよいとの考え方もあるようである。
4 ここでの記述は、以下を参照させていただいた。Worldstandards「Why do some countries drive on the left and others on the right?」、マイケル・バーズリー「左ききの本」TBS出版会(1973年)、R.H.Hopper「左-右:なぜ運転ルールは違うのか(left-Right Why driving rules differ)」(人と車:1983年2月)
5 なお、この背景に、ナポレオンが左利きだったという事実があったから、と言われている。
これは、人間に右利きの人が多い中で、徒歩や乗馬で道路を進む場合、前方からの攻撃等に対して、身構えやすいという理由によるものである3。さらには、英国の馬車と同じ理由や、前回の「研究員の眼」で述べた日本において歩行者や車が左側である理由も、例えば武士や刀を騎士や剣に置きかえて考えれば、同じように当てはまることになる。
いずれにしても、左側通行には、十分に合理的な理由があった。
それが、その後の各種の状況を経て、各国が右側通行に変更していくことになった。この理由についても諸説あるようだが、ここでは代表的と思われるものを紹介しておく4。
まずは、欧州においては、先に述べたような、左側通行の合理性を踏まえた上で、ある教皇が「欧州における道路使用者は、身の安全のため、左側通行すべし」との命を出していたが、これに対して、18世紀のフランス革命時に、反カトリックのロベスピエールにより、「左側通行はキリスト教の定めたものだから廃止すべし」ということで、右側通行に変更された。
なお、当時、軍隊も左側通行をして、敵に対しては、左側から攻撃していた。槍や剣を右手に持った騎士同士が戦う場面では、左側から相手に近づいて、戦闘が行われていた。
こうした伝統的な戦法に対して、ナポレオン5が、主力部隊を右側に配置して、敵軍と戦い、多くの戦争で勝利した。ナポレオンは、この戦法を効果的にするために、兵士と車両が道路の右側を通行するように命令した。これによって、フランスでは右側通行に変更された。
その後、当時の大国フランスの影響を受けて、ナポレオンが征服した地域や陸地続きの多くの欧州大陸諸国が右側通行になっていった。なお、ナポレオンに抵抗して左側通行を維持していた国々も、(1)ポルトガルは、実用的な観点を考慮して1920年代に、(2)旧オーストリア・ハンガリー帝国の諸国は、ヒットラーに支配されて、それぞれ右側通行に変更している。
これに対して、島国であった英国は、ナポレオンの支配も受けず、フランスへの対抗心もあったことから、伝統的な左側通行のままを維持して、今日に至っている。
なお、新興国だった米国は、独立戦争後に、英国の植民地時代の影響を捨て去ることを希望していたことに加えて、独立戦争時にフランスの援助を受け、フランスを中心とした欧州からの移民が増加していたことから、1792年にペンシルバニア州で、1804年にニューヨーク州でという形で、順次右側通行の法定化が行われていった。
なお、こうした説に対して、欧州大陸や北米大陸等では、馬車で移動する距離が長かったので、多頭立ての馬車が主流であり、この場合、両側の列の馬を操るためには、御者は左側に座る必要があったため、大陸では右側通行になったとの説もある。
いずれにしても、自動車が普及してくると、米国で生産され、海外に輸出される自動車が右側通行に適する左ハンドルであったため、中国を初めとして、多くの国が右側通行に変更していった。
3 なお、これに対して、馬に乗っている人の鞭から逃れるためには、右側通行の方がよいとの考え方もあるようである。
4 ここでの記述は、以下を参照させていただいた。Worldstandards「Why do some countries drive on the left and others on the right?」、マイケル・バーズリー「左ききの本」TBS出版会(1973年)、R.H.Hopper「左-右:なぜ運転ルールは違うのか(left-Right Why driving rules differ)」(人と車:1983年2月)
5 なお、この背景に、ナポレオンが左利きだったという事実があったから、と言われている。
通行ルールの混在がもたらす影響
このように、現在「自動車は左側通行」のルールを維持しているのは、主として、英国6、アイルランド、オーストラリア、ニュージーランド、日本等の島国である。これに対して、北米・南米大陸や欧州大陸諸国は、ほぼ「自動車は右側通行」で統一されており、陸路で移動している限りにおいては問題が発生しない形になっている。
過去には、必ずしも同じ大陸の主要国間で統一されていないケースもあった。例えば、英連邦加盟国のカナダは、「英語圏では左側通行、フランス語圏では右側通行」と統一されていなかったが、米国のルールに合わせる形で、1920年代に右側通行に変更した。欧州主要大陸国で、左側通行を維持していたスウェーデンも、国民投票の大多数の反対にも関わらず、1967年9月3日(Dagen H:right-hand traffic day)に、右側通行に変更した。
なお、右側通行の国と陸続きになっている左側通行の国として、インド、タイ、ケニアといった国々がある。この場合、例えば、タイとラオスの両国を結ぶ橋では、上下線が平面交差によって入れ替わる構造になっていたりする。
6 第2次世界大戦後に各国で右側通行に統一する動きが見られ、英国でも1960年代に検討が行われたが、膨大なコストがかかる等の理由もあり、保守派が抵抗して、実現しなかった。欧州では、英国、アイルランド、キプロス、マルタの4カ国のみが左側通行の国となっている。
過去には、必ずしも同じ大陸の主要国間で統一されていないケースもあった。例えば、英連邦加盟国のカナダは、「英語圏では左側通行、フランス語圏では右側通行」と統一されていなかったが、米国のルールに合わせる形で、1920年代に右側通行に変更した。欧州主要大陸国で、左側通行を維持していたスウェーデンも、国民投票の大多数の反対にも関わらず、1967年9月3日(Dagen H:right-hand traffic day)に、右側通行に変更した。
なお、右側通行の国と陸続きになっている左側通行の国として、インド、タイ、ケニアといった国々がある。この場合、例えば、タイとラオスの両国を結ぶ橋では、上下線が平面交差によって入れ替わる構造になっていたりする。
6 第2次世界大戦後に各国で右側通行に統一する動きが見られ、英国でも1960年代に検討が行われたが、膨大なコストがかかる等の理由もあり、保守派が抵抗して、実現しなかった。欧州では、英国、アイルランド、キプロス、マルタの4カ国のみが左側通行の国となっている。
まとめ
このように過去の歴史を見てみると、世界が元々は「左側通行」であったことからもわかるように、理論的には、少なくとも右利きの人にとっては「左側通行」がより適切であった、ということになる。
それが、上記で述べたように、政治的・宗教的な理由を契機として、強制的に「右側通行」への変更が行われ、さらに、実用性をより重視する観点等から、世界各国に拡がっていった、ことになる。そうした影響を直接的に受けることがなかった英国だけが、本来的な「左側通行」を堅持して、英連邦の国々を含めて、そのルールを拡げていった、ということになる。
日本も、公式なルール制定時には、英国による影響を受けてはいるものの、島国として、その後の世界の「右側通行へのシフト」の影響をあまり受けることなく、現在の制度に至っている。唯一、前回の「研究員の眼」で述べたように、戦後のGHQによる、米国に倣った制度変更への要求はあったものの、これに反論して、過去からの「自動車は左側通行」のルールを維持してきている。
このように、現在の世界における自動車の通行ルールの体制が構築されるに至った政治的・社会的背景等を見てみることは、大変興味深いものがある。世の中のルールは、必ずしも万人にとって最適なものになっているとは限らないが、1人の独裁者の意向で大きなルールの変更も行われてきたということになっている。
そもそも、絶対的に不変なルールというものがあるわけでもなく、何らかのきっかけで、社会の基本的なルールも大きく変更されることがありうるということである。ただし、そのことが、結果として、後世に大きな利便性をもたらすことになるのだとすれば、それはそれで良かった、ということにもなる。
ただし、自動車の通行ルールに関しては、結果として、現在の世界において、2つのルールが並存して、統一的な取扱いが行われていない状況にある。そのため、左ハンドルの車と右ハンドルの車が存在し、大陸続きの国々の間の交通では、通行方向を変更するための特別な設備の設置等が行われる等、確かに非効率で追加の費用負担も発生している状況になっている。
それにも関わらす、今後、これらを統一していくということは、変更に伴う多大な費用の発生と周知徹底の困難さからくる事故発生リスクの増大等の問題があり、殆ど考えにくいものになっている。
世界におけるルール統一の重要性とそれを実現することの困難性について、再認識させられた次第である。
それが、上記で述べたように、政治的・宗教的な理由を契機として、強制的に「右側通行」への変更が行われ、さらに、実用性をより重視する観点等から、世界各国に拡がっていった、ことになる。そうした影響を直接的に受けることがなかった英国だけが、本来的な「左側通行」を堅持して、英連邦の国々を含めて、そのルールを拡げていった、ということになる。
日本も、公式なルール制定時には、英国による影響を受けてはいるものの、島国として、その後の世界の「右側通行へのシフト」の影響をあまり受けることなく、現在の制度に至っている。唯一、前回の「研究員の眼」で述べたように、戦後のGHQによる、米国に倣った制度変更への要求はあったものの、これに反論して、過去からの「自動車は左側通行」のルールを維持してきている。
このように、現在の世界における自動車の通行ルールの体制が構築されるに至った政治的・社会的背景等を見てみることは、大変興味深いものがある。世の中のルールは、必ずしも万人にとって最適なものになっているとは限らないが、1人の独裁者の意向で大きなルールの変更も行われてきたということになっている。
そもそも、絶対的に不変なルールというものがあるわけでもなく、何らかのきっかけで、社会の基本的なルールも大きく変更されることがありうるということである。ただし、そのことが、結果として、後世に大きな利便性をもたらすことになるのだとすれば、それはそれで良かった、ということにもなる。
ただし、自動車の通行ルールに関しては、結果として、現在の世界において、2つのルールが並存して、統一的な取扱いが行われていない状況にある。そのため、左ハンドルの車と右ハンドルの車が存在し、大陸続きの国々の間の交通では、通行方向を変更するための特別な設備の設置等が行われる等、確かに非効率で追加の費用負担も発生している状況になっている。
それにも関わらす、今後、これらを統一していくということは、変更に伴う多大な費用の発生と周知徹底の困難さからくる事故発生リスクの増大等の問題があり、殆ど考えにくいものになっている。
世界におけるルール統一の重要性とそれを実現することの困難性について、再認識させられた次第である。
(2016年11月15日「研究員の眼」)
中村 亮一のレポート
日付 | タイトル | 執筆者 | 媒体 |
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