コラム
2013年11月18日

現代社会の「待つ力」 - 次世代に伝えたい「お年寄り」の“ちえ”

土堤内 昭雄

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進化生物学者である長谷川英祐さんの『働かないアリに意義がある』(メディアファクトリー新書、2010年12月)に面白い話が載っていた。アリやハチなどの「真社会性生物」には、年齢に伴う労働内容の変化「齢間分業」が観察されるという。アリの仕事は加齢とともに、「育児」⇒「巣の維持」⇒「採餌」へと、巣の中から外への危険度の高いものに変わっていく。それは余命が短い個体が、より危険な仕事に従事することで、コロニー全体の生存確率を高める合理的な進化の結果だというのだ。

一方、人間社会では「お年寄り」は大切にされるのが一般的だ。これはひとが高度な学習能力を持つことで、「お年寄り」の豊富な経験や智恵が人間の生存確率を高めることにつながるからだ。つまり、身体能力が低下した「お年寄り」を大事にすることが、ひとにとって有利な選択になるのである。昔から「亀の甲より、年の功」と言われるように、長い人生に培われた「お年寄り」の“ちえ”が重要なのだ。

私は現代社会が必要とする“ちえ”のひとつに、「待つ力」があるのではないかと思う。現代社会はICT(高度情報通信技術)の発達で、瞬時に情報が伝わるようになった。パソコンや携帯電話の普及でライフスタイルも大きく変わった。デートの際も、相手が現れるのを「今か今か」とワクワクしながら待つこともない。募る思いを手紙にしたため、その返事を待ちわびることもなくなった。

鷲田清一著『「待つ」ということ』(角川選書、2006年8月)には、『現代は、待たなくてよい社会、待つことができない社会になった』と記されている。「待つ」ことを失った社会とは何か。本来、「待つ」ことには、「希望」や「期待」や「不安」が内包されていたはずだ。現代を生きる我々は、性急に結論や成果を求めるあまり、「待つ」ことを忘れ、その先にある「希望」や「期待」を見失っていないだろうか。

鷲田さんは続ける。『「待つ」とは、意のままにならないこと、じぶんを超えたもの、じぶんの力ではどうにもならないものを受容れること』なのだと。少子高齢化が進み、「育児」と「介護」が注目される時代になったが、私は60年近く生きてみて、両者はともに「待つ」ことであり、それがどれだけ大切で、そして難しいことか、わかった。「待つ」ことは信じること、信頼すること、そして無条件にすべてを受容れることなのだ。どれほど科学技術が発達しても、このようなひとの営みは変わらないだろう。

人間は体が衰え、生殖能力を失った後も長く生き続ける稀有な生物だ。だからこそ次世代の成長を阻害することなく、「年の功」を発揮しなければならない。「待つ力」は、ひとが次世代に伝えるべき重要な「お年寄り」の“ちえ”のひとつだと思うのである。




 

(2013年11月18日「研究員の眼」)

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土堤内 昭雄

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