コラム
2012年05月21日

50歳からの「老い支度」-幸齢社会の「しない後悔」より「した後悔」

土堤内 昭雄

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今年3月、文部科学省が『長寿社会における生涯学習の在り方について~人生100年 いくつになっても 学ぶ幸せ「幸齢社会」』という報告書を出した。同報告書は長寿社会における生涯学習の意義・役割を、「生きがいの創出」、「個人の自立と社会での協働」、「新たな縁の構築」、「健康維持や介護予防」に資すると位置づけている。そして長寿社会となった現在、高齢者は地域社会の支え手として社会的役割を担う存在となり、画一的な人生モデルから多様な多毛作人生が可能で、一人一人が選択的に自身の生きがいを選び取れる時代が来たのだとしている。

このような人生100年時代の「幸齢社会」を幸せに生きるための「老い支度」はどうすればよいだろう。そのキーワードは「後悔」ではないかと思う。「後悔」という言葉を国語辞典で調べると、「あとになって、自分のやった事を振り返り、どうしてあんなばかな事をしたのかと、自分の思慮の足りなさをくやしく思うこと」(三省堂・新明解国語辞典第7版)とある。

この「後悔」について、エッセイストの酒井順子さんが、次のように書いている。『何かをしてしまったことによる後悔は、もしかすると若い時代のものかもしれません。「した」ことによる後悔の味があまりに苦すぎて、人は次第に何もしなくなる。結果、「しない」ことによる後悔ばかりが、募ることになる。(中略)ばかな事をするのもばかだが、なにもしないのもまたばかなのだよ』(2004年12月23日週刊文春)。何か“ストン”と腑に落ちる言葉だ。

私には行動を伴う意思決定をする場合、ひとつの原則がある。それは「熟慮した結果、それでも迷った場合は、必ず実行する」ということだ。実際、実行して失敗し、後悔することもある。しかし、「あの時、やっておけばよかった」と後悔するより、いいと思う。

幸福度研究によると、「喜び」は「悲しみ」ほどは持続せず、人は利益を得るよりも損失を避けることを選ぶそうだ。特に中高年では、新たにチャレンジして失敗したときの不利益が大きいと考えると、どうしてもリスク回避のために何もしなくなるのだという。

昨年100歳を迎えた聖路加病院理事長の日野原重明さんは、『何か新たなことを始めるのに、年を取り過ぎていることはない』と常々言われている。失敗を恐れず、新たな学びとチャレンジは人生をわくわくさせるものだ。私の「老い支度」も、最期まで輝き続けるために「しない後悔」より「した後悔」を選びたい。みなさんも「幸齢社会」を幸せに生きるための「老い支度」、始めませんか!

(参考) ジェロントロジージャーナル『高齢者が活きる時代~幸福な高齢社会への政策選択』 (2012年1月31日)

(2012年05月21日「研究員の眼」)

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土堤内 昭雄

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