コラム
2003年04月21日

SARS(新型肺炎)の影響

経済研究部 専務理事   櫨(はじ) 浩一

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1.拡大するSARS感染地域

報道によれば、世界保健機関(WHO)は17日現在で新型肺炎(SARS)の感染者がいる国は27ヵ国・地域に広がり、患者数は3389人、死者数は165人となったと発表したということだ。イラク情勢がようやく落ち着きを見せるかと思われたとたんに、世界にまた新たな不安のタネが出てきた。原因となっているウィルスは特定されたものの、飛沫感染なのか空気感染なのかも今の時点でははっきりしない。電子メールで米国の知人から「予防法」が送られてきたが、期待して読んでみれば、「睡眠を良くとるなど無理をせず、身体を健康に保ち、免疫力を高めること」というカゼの予防法のようなものだった。対症療法以外に有効な治療法も確立されておらず、国内で感染が報告されれば社会的な不安が高まるだろう。SARSの影響で世界的な人の交流が減少するなど経済的な影響も懸念される。


2.短期的な日本経済への影響は軽微

日本経済への影響としてまず指摘できるのは海外旅行を通じた影響があげられるだろう。国際収支統計によると2002年の日本の旅行収支は支払が3兆3259億円あり、日本から香港・中国以外でも伝播確認地域とされた、シンガポール、ベトナムなどへの海外旅行が減少し、これは民間最終消費支出を減少させる。しかし日本からの海外旅行者が日本国外で行なう消費は、GDPの計算上では同時に輸入に計上されて控除されているので、海外旅行者が減少し民間最終消費支出が減少してもこの部分は輸入が減少することで相殺されてしまい、日本のGDPへのマイナスの影響は旅行会社の手数料や運賃などごく一部にとどまる。9.11テロ事件の影響で海外旅行者が大きく減少した2001年末ころには国内旅行の増加が見られており、輸入で控除されてGDPに寄与しなかった海外での消費分が国内消費に回ってGDPにはプラスに働くので、海外旅行の減少は日本のGDPにとってマイナスとばかりは言えない。

また、これらの地域を初めとして海外から日本への海外旅行者が減少して、海外からの旅行者が日本国内で行なう消費の需要が減少することになる。アジアからの旅行者が多い大規模テーマ・パークやその周辺に立地してこうした旅行者を迎え入れているホテルなどにはかなりの影響が出るだろう。しかし、国際収支統計で旅行収支の受取りは4381億円にすぎず、海外から日本への旅行者が日本国内で支出するお金が減少しても、日本のGDPの規模約500兆円からするとごく小さなものである。

次に考えられるのは、日本からの輸出の減少である。日本企業はアジア各国に生産拠点を移しているために、これらの地域にSARSが広がり生産活動に影響が出てくれば、日本からの部品などの輸出が減少することが想定される。しかし、最終的な製品の需要が変わらなければ企業は海外での生産を日本国内での生産によって代替しようとするだろうから、日本のGDPにとってはむしろプラス要因となるだろう。 こうして見てくると、航空産業や旅行業など特定の産業が大きな打撃を受けるということはあるものの、SARSの影響は短期的には日本経済にとってそれほど大きなものではなく、これによって経済成長率を大きく変えるものではないことが分かる。

むしろ問題はより長期の影響だろう。新型肺炎による経済的影響がアジア各国に広がりこれらの国々の景気が悪化すれば、日本からの輸出が減少することになる。技術者の国際的な交流が難しくなれば、海外への技術移転が困難になり、アジア各国の経済成長率も鈍化を免れない。日本企業だけでなく欧米各国企業も世界的な生産の分業体制を維持することも困難になるだろう。


3.増大するグローバル社会の安全コスト

新型肺炎やエボラ出血熱のような新型の感染症も、人の移動に時間がかかった時代には水際での防疫により海外からの感染症の侵入を防ぐことができただろう。しかし経済活動のグローバル化による人の国際移動の活発化や航空機による迅速大量輸送により、新しい感染症が短時間のうちに世界中に広がってしまうというリスクに対して、現代社会は極めて脆弱である。さらに言えば、人や物の自由な移動というグローバル社会に不可欠な条件が、同じようにテロリストの国際的な活動を許すことになっていることは否定できない。2001年の同時多発テロ事件は、グローバル社会がテロに対していかに脆弱であるかをさらけ出した。

この二つの問題が結び付けば、さらに事態は深刻になる。人類を滅亡させる恐れがあるような大量破壊兵器は国家によって保有されてきた。これが愚かな指導者によって利用されないように、民主主義が機能して賢明なリーダーが選ばれている限り世界は大量破壊兵器による破滅の危機を回避できるというのが、民主主義の信奉者の考えだろう。しかし、かつて「材料さえ手に入れば大学院生程度の知識があれば簡単に原子爆弾が製造できる」という報道が世界を震撼させたが、科学的な知識を持った狂人が個人で新型の病原菌を作り出し、航空機で世界中にばら撒くということも考えられないわけではない。

20世紀後半の世界経済は、人間の性善説に基づいてヒト・モノ・カネの国際的な移動を妨げるバリアを低くし、グローバル化という国際分業による利益を享受することで発展してきたが、新型肺炎の問題と同時多発テロ事件の問題は、こうしたグローバル社会の持つ脆弱性を暴き出した。しかし、こうした危険があるからと言ってグローバル化による利益を放棄して、昔の社会に戻ることはできないだろう。21世紀の社会は、グローバル社会の必要条件である人や物の自由な移動を維持するために、膨大な安全コストを覚悟しなくてはならないかも知れない。


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経済研究部   専務理事

櫨(はじ) 浩一 (はじ こういち)

研究・専門分野
マクロ経済・経済政策

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