1998年12月25日

「年末年始シーズンに思う」

  細見 卓

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旧聞に属するが、 ニクソン大統領の時代、 国務長官であったキッシンジャーが、 「日本人と会うのは意味がない」 と言った。 それは 「皆同じように挨拶し、 同じようなことを述べて、 結局何を聞きに来たのかわからない」 からということであった。 そのような日本人をキッシンジャーは"faceless"と呼び、 一部の日本人がその発言に憤慨したということが話題になった。


国際的ルールからはみでた日本人の習性
その後、 日米財界人会議やその他民間の国際会議も活発になって、 「日本人もものを言う、 質問をする」 という評価も聞かれるようになった。 随分日本人も国際的に洗練されてきたと思っていたら、 つい最近、 邦字新聞が中国紙での朱鎔基首相の記事を転載していたのが眼に止まった。 それによると、 朱鎔基首相が 「なるべく日本人とは会いたくない」 と言っていたという。 「挨拶が長い、 説明が要領を得ない、 何を言いに来たのかわからないということが度々あるので、 時間を浪費しているような気がする」 ということであった。 それを読むと、 日本人はやはり変わっていない、 西欧化した人とそうでない人との差がいくらかでてきた程度で、 世界規準を語れるまでには至っていないようだ。
日本人には繁文縟礼 (はんぶんじょくれい:礼法等が繁雑なことの意) というか、 やたら人間関係に無駄な儀礼を重んずる因習があり、 本論の議論に入るのに手間取りすぎる点、 改まっていないようである。 こうした国際的な交際や会話のルールからはみでた日本人の持つ習性が日本の経済や外交に与える害は大きく、 それは終身雇用制の及ぼす害悪にまさるとも劣らないもののようである。
折りしも、 年末・年始が迫り、 例年の通りであれば、 "お世話になった御礼"とか"普段の無沙汰を謝す"と称して、 やたら人が動き回り、 それでなくとも多忙の人たちの時間をいたずらに一人占めするような非合理で暴力的な行いがまた始まる。 日本中が不況に悩み、 無駄を排除して経済再建を目指そうという時に、 このように大きな無駄はそのままに残りそうである。 礼儀を正して、 先輩に敬意を表することはよいことには違いないが、 相手への苦痛をあまり考えず、 自分の敬意を示せば正しいという式の発想は、 日本社会に染み込んでいる非合理的で身勝手な思考形態である。 こうした無駄がなくなるかどうかは、 ある意味では日本経済が従来の惰性から抜け出て、 脱皮することができるかどうかの試金石とも考えられる。


古い因習は断ち切る時にきている
インターネットが発達し、 相互の接触は、 距離を越えて瞬時に可能な時代である。 ワザワザ自動車を連ね、 都市の交通渋滞を倍加させることは愚であると、 少し考えれば分かることであるにもかかわらず、 なかなか日本人に染み込んだこの風習は直るまい。 近年インターネットによる連絡・交渉は膨大な量に及び、 そのことを取捨選択し管理するための色々な技術さえ開発されようとしている。 その一方で日本では挨拶まわりのような時代錯誤がまかり通るということは、 日本社会の遅れた部分は少しも改善されておらず、 したがって日本社会の再起についても大きな期待を抱けないという一面を表しているように思える。
年末年始を如何に過ごすかということに関しては、 国によっても随分差異があり、 同じ日本の中でも企業によって差異があるのが現状である。 むしろそのような特異さを拡大していくことが望ましい面が多い。 例えば、 従業員の研修、 長期休養ということに利用すれば、 はるかに効率が高いとも考えられる。 相変わらず挨拶回りで無為に時間を費やすことは、 もう止める時が来ている。
古い因習を断ち切ることができるかどうかは、 日本経済が来世紀にかけて生まれ変わることができるかどうかの分かれ目である。 年末年始の現象も放置してもよい些細なことということはできない。 要は、 日本人の心のもちよう、 ビジネスへの心構え、 生活の合理化への心構えということの端的な現れのような気がする。

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