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プレコンセプションケア 自治体の炎上事例から学ぶリスク管理-科学的エビデンスと推奨モデルは区別し、性と健康の自己決定権を侵害しない内容構成が必要-

生活研究部 研究員・ジェロントロジー推進室・ヘルスケアリサーチセンター 兼任 乾 愛
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1――はじめに
しかし、プレコンセプションケアの推進にあたり、各自治体の情報発信の内容や事業内容に対する批判や炎上事例が散見されている。
本稿では、日本のプレコンセプションケアに関する批判・炎上事例を紹介し、今後の情報発信や展開時のリスク管理の視点を示していきたい。
1 乾愛 基礎研レポート「プレコンセプションケアとは?(3)」(2022年10月31日)
https://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=72831?site=nli
2 「経済財政運営と改革の基本方針2024」(令和6年6月21日閣議決定)(抄) https://www.cfa.go.jp/assets/contents/node/basic_page/field_ref_resources/19f3feb3-912a-4741-9bd9-7f523d28e971/19bf7086/20240808_councilsA_kodomonojisatsutaisaku- kaigi_19f3feb3_11.pdf
3 子ども家庭庁「プレコンセプションケア推進5か年計画~性と健康に関する正しい知識の普及と相談支援の充実に向けて~」https://www.cfa.go.jp/assets/contents/node/basic_page/field_ref_resources/355db5bf-037d-4d17-bd25-d1382da80d5f/0b580c68/20250701_councilspreconception-care_05.pdf
2――日本のプレコンセプションケアに対する批判・炎上事例
秋田県では、プレコンセプションケアの一環として、県内の高校2年生を対象に「将来ママにパパになりたいあなたへ~妊娠~・出産のリミット」という冊子を令和5年度に配布したが、その内容について物議を醸した4,5。
この冊子の最初のページには、「女性のライフサイクルと妊娠・出産について」と題し、20歳時点にいるキャラクター「バリバリのキャリアウーマンよ」と言っており、35歳頃では、シワが深く刻まれた女性の顔と若い男性のキャラクターが、「まだいけるかしら?」「熟女キラーです!」という会話が記載され、50歳頃には、女性の閉経を表現して「閉店」と書かれた建物と、若い男性のキャラクターが「え!もう会えないの!?」と驚いている構図になっている。
また、冊子では、「高齢出産の危険性」についても強調され、「奇形および染色体異常の頻度が上昇する」ことや、「遅くとも初産を35歳までに」、「妊娠・出産にはタイムリミットがあるのです!」と記載されている。最後のページには、「脱!草食化!女性だけではない妊娠・出産について」と題し、「脱草食化!脱セックスレス!」という言葉も並んでいる。
この冊子の問題点は、(1)卵子の劣化を通し、女性の妊孕性の限界だけに言及していること、(2)女性の妊孕性の限界について、「危険性」という言葉を用いて、若い年齢で産むことを推奨する表現となっていること、(3)多様性が尊重される現代において、男性の草食化を揶揄し、肉食化を促していることである。
基本的に、生物学的な妊孕性の限界が生じるのは科学的エビデンスに基づいた既知の事実ではあるが、卵子の劣化だけに言及する必要はなく、近年では、男性の加齢による精液量の減少や男性不妊症のリスクも顕在化している6。女性の妊孕性の限界も年齢で一律に区切れるものではなく、卵胞の数が元々少ない方や別の疾患で外科的侵襲を受けて妊孕性が低下している10歳代、20歳代の方も存在し、50歳を超過しても閉経しない方もいるなど、個人によって妊孕性の限界は異なる。
この冊子では、一般的なデータを示す意味合いもあったかと考えられるが、伝えるべきメッセージは、「その情報を通して、自分自身がどのような健康状態にあるか、生殖能力を有するのかということを知ることが将来の選択肢の幅を広げる上で重要である」という点であると筆者は考える。医学的な既知の事実と現在の個人の健康状態とは区別して考える必要があろう。
また、「高齢出産の危険性」という表現も適切ではない。生物学的に高齢になるほど、周産期リスクや子どもの染色体リスクが高まるのは事実ではあるが、妊娠高血圧症候群や妊娠糖尿病などのリスクを予防するための事前の健康づくりがプレコンセプションケア啓発の本質であり、怖がらせて早く産むことを推奨するためのものではない。女性の高学歴化や社会進出が進む中で、多様なキャリア形成とともに、子どもを考えるタイミングが先送りになる社会構造を考慮すると、望んだ方が望むタイミングで安全に産めるように事前に健康づくりをしてきましょうと伝えることが適切である。
さらに、男性の肉食化を促す表現には、性と生殖に関する健康の権利(Sexual Reproductive Health and Rights : SRHR)7の視点が欠けている。これは、1994年に開かれた国際人口開発会議(ICPD)でリプロダクティブ・ヘルス&ライツが提唱され、2002年にWHOがセクシャルという概念を追加したもので、「自分の身体や自分の人生は自分のもので、誰かに強制されるものではないこと、誰かのために捧げるものではない」という当たり前のことを保証する理念であり、「どんな人を好きになるか、子どもを持つか持たないか、どの様な人生を歩むか」を自由に決定することができる権利であるとされている。国際的には基本的人権のひとつとして考えられる非常に重要な権利であるが、この冊子の男性の肉食化推奨表現は、相手の性的同意や子どもを持つ持たない権利を無視した表現に当たると考えられる。少子化対策としての側面を合わせもつことからも、産む方向に誘導したい気持ちも分からなくはないが、若い年齢から妊娠出産を勧める「推奨モデル」を強要することは避け、現代の人権保障を考慮した内容構成が必要であろう。
4 日テレNEWS「「女性を何だと思っているのか」SNSで炎上、県にも苦情…秋田県配布の"プレコン"冊子が物議 専門家の考えは」(2025年2月28日)https://news.ntv.co.jp/n/abs/category/life/ab61b03e6232ba435e8f38d08777b83f4d
5 河北新報オンライン「35歳女性は「手遅れ?」50歳以上の卵子は「閉店」 秋田県の高校生向け冊子が炎上」(2025年2月14日)https://kahoku.news/articles/20250213khn000080.html
6 乾愛 基礎研レター「プレコンセプションケア 男性こそ必要なワケ」(2025年3月25日)
https://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=81428?site=nli
7 SRHR Initiative(研究会)「SRHRとは」https://srhr.jp/srhr/
熊本県では、新たな少子化対策としてのモデル事業として、希望する県の女性職員を対象に卵子量の目安を測る卵巣予備機能検査を計画していたことが話題となった8,9。
卵巣予備機能検査(AMH検査)とは、血液中のAMHというホルモン濃度を調べて卵巣の機能を評価する手法で、プレコンセプションケアの取組みの一環として、プレコン外来や妊活前のスクリーニング検査等でも用いられている一般的なものである。
批判があったのは、この検査を県職員の20歳代の未婚女性のうち希望する者に実施すると限定した点である。熊本県としては、モデル事業としての試験的な位置づけであったため、年齢や性別を限定するなどしたと説明しているが、秋田県の事例と同様、女性の妊孕性評価だけが際立ってしまう形となった。
各自治体に取組み方針を示した子ども家庭庁の「プレコンセプションケア」5か年計画においても、「性別を問わず、適切な時期に、性や健康に関する正しい知識を持ち、妊娠・出産を含めたライフデザイン(将来設計)や将来の健康を考えて健康管理を行う」概念である示されている。プレコンセプションケアのモデル事業としての位置づけであれば尚更、20歳代未婚女性に限定する根拠を示すことができない。現在は、男性の精液検査キットの販売も進んでおり、まずは男性も含めて検査の対象者とする必要があろう。
8 朝日新聞「県職員の卵子量測定、モデル事業見直し 熊本知事「配慮欠けた」」(2025年6月16日)https://www.asahi.com/articles/AST6F5G7KT6FUTFL014M.html
9 TBS NEWS DIG「熊本県が中止を発表「卵子の数調べるモデル事業」 AMH検査とは何か?医師に聞く」(2025年6月13日)https://newsdig.tbs.co.jp/articles/rkk/1977649?display=1
特に話題となった上記2自治体の他にも、取り上げられているプレコン啓発の内容がある。例えば、東京都の「プレコンセプションケアを知ろう!(60秒ver)」動画では、「お姫様と王子様、いろいろな選択肢の中で、二人は相談し、子どもを望むようになりました」とアニメ風のキャラクターとともに表現されている箇所がある。
また、神川県のプレコンセプションケアのサイトでは、YouTube動画で、産婦人科医が夫婦に助言している設定の場面で「だんだん性行為の数が減ってきてしまう…」とテキスト字幕が添えられている。大分県のプレコンセプションケアのサイトでは、「妊娠・出産には適切な時期があります」と題して、35歳以上の高齢妊娠・出産では、赤ちゃんの染色体異常の発症率が上昇することが記載されている。
これらについても、子どもを持つことを前提の価値観としている、夫婦間の性的同意を無視して性行為を強要している、医学的リスクで脅して人権を無視しているなどの誤ったメッセージを与える可能性を孕んでいるため注意が必要である。
3――自治体のリスク管理の視点
また、少子化対策としての側面を併せ持つことから出産奨励に繋げたい意向も理解できるが、性と健康の自己決定権に踏み入る推奨モデルを強要するのではなく、将来の選択肢を広げるために今の健康づくりの必要性を訴えかける必要がある。将来子どもを希望する可能性がある場合には、今の健康状態が自身と次世代の健康に影響する可能性があることを知り、子どもを希望しない場合にも、自分自身の将来の健康を守るために必要な取り組みであると理解する必要がある。
さらに、この概念は「10歳代だけ」「独身者だけ」「女性だけ」のように属性で対象を縛られるものではなく、ライフコースアプローチの視点から全年齢・全世代に必要な概念であることを強調したい。
今後、自治体に限らず、企業や教育機関においても、プレコンセプションケアに関する情報発信が展開されるが、批判や炎上事例に晒される概念として注目をあびるのではなく、本来の概念が正しく理解された上で普及し、本質的な効果が発揮されることに期待したい。
(2025年10月02日「基礎研レター」)
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03-3512-1847
- 【職歴】
2012年 東大阪市入庁(保健師)
2018年 大阪市立大学大学院 看護学研究科 公衆衛生看護学専攻 前期博士課程修了(看護学修士)
2019年 ニッセイ基礎研究所 入社
・大阪市立大学(現:大阪公立大学)研究員(2019年~)
・東京医科歯科大学(現:東京科学大学)非常勤講師(2023年~)
・文京区子ども子育て会議委員(2024年~)
【資格】
看護師・保健師・養護教諭一種・第一種衛生管理者
【加入団体等】
日本公衆衛生学会・日本公衆衛生看護学会・日本疫学会
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