コラム
2023年05月25日

文化から平和を考える-釜山国際文化フォーラムに出席して

吉本 光宏

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去る5月4日、5日の二日間、韓国釜山で開催された「釜山文化会議」に出席した。釜山文化財団の招へいを受け、初日に開催された「釜山国際文化フォーラム」の総合討論に参加するためである。

フォーラムのテーマは「芸術文化は、対立する近隣諸国の平和を回復し、世界を変えることができるか」。極めて野心的だが、その背景には、釜山文化財団が、国際文化政策の主要なアジェンダに芸術文化を通じて世界平和を回復するという理念を掲げていること、同財団の2030年ビジョンにSDGsの17の目標のうち「平和」と「パートナーシップ」を反映した文化政策を実現するという目標を設けていること、がある。

フォーラムでは、パオラ・レオンチーニ・バルトーリ氏(ユネスコ本部 文化政策・開発部長)の「抱擁と調和、協力のためのUNESCO文化政策アジェンダ」、フェン・ジン氏(ユネスコバンコク事務所 文化ユニット長)の「アジア太平洋の文化的多様性、地域紛争の克服のための解決策」、そしてナム・ソンウ氏(高信大学 名誉教授)の「平和と連帯のための釜山の実践的な対応と努力」という3つの講演の後、総合討論が行われた。

登壇者はナム・ソンウ氏、リ・チャンギ氏(韓国広域文化財団連合会長、ソウル文化財団代表理事)、筆者の3名、モデレータは釜山文化財団代表理事のイ・ミヨン氏が務めた。筆者は主催者の依頼で予め作成したディスカッション・ペーパーに基づいて発言したが、釜山文化財団や参加者の方々から賛同を得ることができた。以下に紹介させていただきたい。

◎芸術文化が平和に欠かせない3つのポイント(筆者の発言)

1958年生まれの私にとって、今ほど戦争を身近に感じたことはありません。平和がいかに尊いものか、認識を新たにしています。おそらく会場の皆さまも同じではないでしょうか。

そんな時代にあって、芸術や文化をとおした国際交流、相互理解がかつてないほど重要になっていることは間違いありません。なぜ、芸術や文化なのか。私は3つのポイントを指摘したいと思います。

1つ目は、芸術や文化には政治や経済から独立した国際交流が可能だということです。仮に国同士が政治的に対立していたとしても、あるいは両国の間に経済的な摩擦が横たわっていたとしても、文化を通じた交流と相互理解は可能です。芸術家たちは政治や経済情勢に束縛されることなく、自由に国境を超え、芸術活動を展開します。

国力や経済力は競争や争いの種となりますが、芸術や文化には競争はありません。ピアノコンクールや映画祭のコンペティションなどはありますが、それは競争が目的ではなく、よりよい作品を生みだし、才能溢れるアーティストを見出すための仕組みで、その芸術的な成果は広く世界に還元されます。

2つ目は、今後、ますます重要になる都市間交流において芸術や文化は必須だ、ということです。なぜなら、芸術や文化はその都市の価値や魅力を象徴する存在だからです。韓日中3ヶ国の文化大臣の合意で2014年に始まった「東アジア文化都市」は、まさしくそれを具現化したものです。

その最初の年、韓国は光州広域市、中国は泉州市、日本は横浜市が文化都市に選ばれ、私は横浜市の企画部会の委員長を務めました。光州市との交流はスムーズに始まり、横浜のアートNPO BankARTが「東アジアの夢」と題した大規模な展覧会を開催しました。その一環として「続・朝鮮通信使」という事業も展開されました。その実現には釜山文化財団の大きな協力があったと聞きます。

それに対し、泉州市との交流は、当初とても心配でした。なぜなら当時は尖閣諸島の問題で日中関係が最悪の状態だったためです。それが過熱化し、中国の書店から日本人作家の書籍が引き上げられたとき、作家の村上春樹氏は文化や芸術家たちの交流を「魂の行き来する道筋」だと形容し、それを「ふさいではならない」と新聞紙上で警鐘を鳴らしました1

ところが、横浜市の関係者が泉州市を訪問したところ大歓迎を受け、国家間の政治的な問題に関係なく文化交流を力強く推進しましょうとなり、両市は数多くの文化交流事業を展開しました。

まさしく、私が一つ目に指摘したとおり、国レベルの政治的な対立を超えて、都市間の文化交流が行われたのです。釜山市も2018年に東アジア文化都市に選ばれています。

3つ目は、文化は民間同士、とりわけ個人と個人の間に深い友情や信頼関係を育むということです。「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」ご存じのとおり、これはユネスコ憲章の冒頭の一文です。まさしく、個人と個人が国境を超え、文化を通して理解し合い、互いの違いを尊重し合うことが平和の礎になる、と思うのです。

平和を標榜する日本の国際的な文化事業の代表例をひとつ紹介します。それは、1990年に音楽教育フェスティバルとして始まったパシフィック・ミュージック・フェスティバル札幌、PMFです。これは、米国の著名な指揮者レナード・バーンスタインの提唱で始まったもので、毎年世界中からオーディションで選ばれた約100名の有望な若手演奏家たちが札幌に集まり、夏の1ヶ月間、寝食をともにし、ウィーンフィルやベルリンフィルなど世界トップレベルの演奏家の指導を受けます。

バーンスタインは、米国マサチューセッツ州で1930年代に始まって、大きな成果を残していたタングルウッド音楽祭と同じような教育音楽祭をアジアでも創設したいと考え、当初は北京での開催を計画していました。しかし、1989年の天安門事件で北京開催は断念せざるを得なくなりました。そこで、急遽、札幌市が候補となり、同市が受け入れを英断して、実に短期間の準備で開催にこぎ着けました。

以来、約30年間、PMFの修了生は、世界77ヶ国・地域の3,600名以上にのぼります。韓国からの参加は日本に次いで多い234名で、ウクライナやロシアからの参加もあります。彼らは卒業後も交流を続け、お互いに励まし合いながら世界中のオーケストラで活躍しています。

私はPMFの評議員を務めていますが、昨年2月にロシアのウクライナ侵攻が始まった直後の評議員会でこんなことがありました。ロシアをオーディションから排除すべきではないかという意見が出たのです。私は、平和をかかげる音楽祭だからこそ門戸を閉ざすべきではないと申し上げ、実際、オーディションは通常どおり行われました。

バーンスタインの死後、音楽監督を引き継いだ指揮者のクリストフ・エッシェンバッハは、2019年に再び音楽監督を務めた際、「音楽は、政治も宗教も肌の色もすべてを超えて、世界中の人々の感情に話しかけ、人々を一つにする」と語っています。

繰り返しになりますが、芸術や文化は、1.政治や経済から独立していること、2.都市間交流に欠かせないこと、そして3.個人と個人の深い信頼関係を生み出すこと、その3つが芸術や文化が国際平和になくてはならない理由なのです。

韓国と日本の間には、不幸な歴史が横たわっています。私は日本人の一人としてそのことに対する反省を忘れてはならないと思っています。しかし、6世紀に百済を通じて日本に仏教が伝来するなど、遥か昔から日本は朝鮮半島、韓国から入ってきた文化を起源に自らの文化を育んできたことを私たちは知っています。江戸幕府は「朝鮮通信使」として二百年以上、朝鮮半島から500人規模の「文化使節団」を招いていました。韓国との文化交流がなければ、現在の日本の文化は存在していなかったとすら言える。私はそう思うのです。

この釜山文化会議は、百年、千年を超える韓日交流の歴史の中では、ほんの一瞬のことかもしれません。しかしこの会議をとおして、韓日が文化からの友好を深め、それが国際的な平和構築へとつながっていくことを切に願っています。

どうもありがとうございました。

 
1 村上春樹「魂の行き来する道筋」(朝日新聞2012年9月28日)

◎文化芸術を通じた平和と協力の釜山宣言

ディスカッションの後、フォーラムを締め括ったのは、釜山文化財団の「文化芸術を通じた平和と協力の釜山宣言:ユネスコ文化多様性世界宣言と朝鮮通信使の精神の受容」の発表だった。「我々、2023年5月4日に韓国・釜山で開催された釜山文化会議の参加者は、芸術と文化を通じて世界平和を推進することへの揺るぎない決意を、誇りを持って宣言する。我々は、文化政策が、国際的な課題である平和、相互理解、持続可能な開発を促進するという目的を優先させるべきだと確信する」という前文で始まる宣言は、以下の7項目で構成されている。

1.文化的多様性と権利
2.平和のための芸術と文化
3.持続可能な発展のための文化政策
4.文化的多様性と包摂性
5.文化政策の社会的影響
6.文化パートナーシップ
7.文化プロジェクトにおける連帯と協力

最後に、’Farewell to Arms’ ‘Welcome to Arts and Culture’という見出しが掲げられ、「芸術文化の変革力を結集して世界を救いたい。我々、釜山文化会議の参加者は、文化政策を通じた世界平和と持続可能性を心から支持する。この宣言を実施するための揺るぎない支援を誓い、政府、文化機関、市民団体、アーティスト、学識経験者がこの世界的な使命に参加することを求める。我々は、平和とパートナーシップを促進するために、文化の力を活用することで、より公正で公平、かつ持続可能な世界を築くことができる。

今こそ行動の時、団結しアートと文化の変革力を利用して、全ての人にとってより良い世界を築こう」という文章で締めくくられている。宣言文が発表された後、来賓や主催団体の関係者、会議の登壇者がそれぞれ「平和」「文化」「芸術」「協力」などと書かれたバナーを持って、ステージに上がり、記念撮影が行われた。

釜山文化財団のこの会議にかける思いや熱意が強く感じられる締め括りだった
「釜山宣言」を発表する来賓や主催団体の代表者等(筆者撮影)

◎ 平和文化交流の象徴「朝鮮通信使」と日韓ユネスコ懇談会

この国際会議のもう一つの背景となっているが朝鮮通信使である。朝鮮通信使とは、江戸幕府の招へいによって朝鮮国から日本に派遣された数百名の文化使節団で、1607年から1811年までの間に12回にわたって、対馬や下関、瀬戸内の各都市、大阪、京都、静岡などを経由して、東京(江戸)まで派遣され、時には日光まで訪問したこともある。

朝鮮通信使が訪れた日韓の各地には、現在も当時の様子を物語る様々な資料や記録が残されており、2017年にはそれらがユネスコの世界記憶遺産に登録された。それを推進したのが、釜山文化財団と日本のNPO法人朝鮮通信使縁地連絡協議会(対馬市、瀬戸内市、京都市など朝鮮通信使とゆかりのある自治体が参加)である。

朝鮮通信使の根底には、対馬藩の儒学者雨森芳洲(あめのもり・ほうしゅう、1668~1775年)の唱えた「誠信交隣」(互いに欺かず、争わず、真実をもって交わること)の精神が流れていると言われている。朝鮮通信使は、まさしく平和外交、文化交流の象徴的存在で、釜山文化会議はその精神を引き継いで開催された。

2日目の5月5日には、日本、韓国それぞれのユネスコ委員会や日韓議員連盟のメンバー、NPO法人朝鮮通信使縁地連連絡協議会理事長、元釜山文化財団理事長などが出席し、日韓ユネスコ懇談会が開催され、朝鮮通信使の精神に基づいた韓日の青少年交流、教員交流の可能性などについて意見交換が行われた。

周知のとおり、戦後最悪と言われた日韓関係は、ユン韓国大統領の政策転換によって改善の方向に向かい、3月16日のユン大統領夫妻の日本訪問、5月7日の岸田首相の韓国訪問が実現し、長らく途絶えていたシャトル外交が再開した。ユン大統領の訪日した3月16日には、日本経団連と韓国の全国経済人連合会が共同で「日韓 未来パートナーシップ」宣言を発表し、それぞれ日韓・韓日未来パートナーシップ基金を創設することで一致している2

釜山文化会議は、奇しくも両国の大統領、首相の相互訪問の間に開催されることになった。しかし、それは意図されたものではなく、数ヶ月前から準備されていた釜山文化会議の前後に両首脳の相互訪問が実現したのである。釜山文化財団は、日韓が政治的な対立を極めている時期だからこそ、朝鮮通信使の精神や経験を活かした文化交流が必要だという信念に基づき、パリのユネスコ本部との調整も含め、十分な時間をかけてこの国際会議を企画・準備してきた。会議でそのことに直接言及されることはなかったが、文化による国際平和というテーマは、ロシアのウクライナ侵攻、中国や北朝鮮の動向なども視野に入れて設定されたことは間違いない。

政治的な対立が深まる今こそ、文化から国際平和を構築しようという釜山文化財団の理念や姿勢に深く共感し、敬意を抱きたい。そう思うのは筆者だけではないだろう。
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(2023年05月25日「研究員の眼」)

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