2023年02月22日

中国の高齢者デモ、その背景は何か。

保険研究部 主任研究員・ヘルスケアリサーチセンター兼任 片山 ゆき

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2月8日、中国の湖北省武漢市で、定年退職した高齢者が市庁舎の前に集まり、医療保険制度改革に対する抗議デモを行ったと報じられた1。武漢市が、公的医療保険制度の改革の一環として、定年退職者向けの通院補助の削減や、保険の給付対象となる医療用医薬品(処方薬)の範囲を縮小したからとされている。また、1週間後の15日には、前回のデモ以降、その内容の大幅な改善がなかったとして、抗議集会も開かれた。デモの参加者は国有企業を定年退職した者などを含め、1回目はおよそ1万人、2回目も数万人規模にのぼったという。中国では公的医療保険制度の改革関連で各地で様々な紛糾が見られ、昨年8月には、北京市でも銀行で行列ができる騒ぎ2も発生していた。
 
武漢市のデモの発端の1つである通院補助の減額であるが、そもそも「通院補助」とは何を意味するのか。武漢市の公的医療保険制度の仕組みから確認してみたい。

武漢市では、雇用主である企業と従業員が医療保険料を拠出し、それを一旦、市が管理する基本医療保険基金に集めている(図表1)。中国では、現役の従業員と定年退職者は、医療保険専用の個人口座(医療保険口座)を持っており、基本医療保険基金から、年齢に応じて、所定の金額がこの口座に振り分けられていた。「通院補助」とはこの医療保険口座に振り分けられる金額を意味する。つまり、高齢者の通院補助の多くは現役の従業員や企業が支払った保険料ということになる(ただし、それまでの積立金の運用や一部財政補助も含まれる)。医療保険口座の資金は、通院の自己負担部分(医療保険からの給付を超える通院費用)の支払いや、診療後の薬代の支払いに使用することができる。
 
デモの発端はこの医療保険口座へ振り込まれる金額が減額されたことを不満とするものだ。その原因は、武漢市が今年の1月から公的医療保険に関して新たな規定を適用するとし、基本医療保険基金から医療療保険口座への振替えの基準や比率を大幅に改定した点にある3。高齢者向けの振替えはこれまで優遇されていたため、特に、大幅に削減されてしまう結果となった4。具体的に見ると、高齢者の通院補助については、それまでの「本人の前年の平均年金受給額(月額)」の4.8%(定年退職年齢から70歳まで)または5.1%(70歳以上)から、「武漢市における基本年金の平均受給額」の2.5%(2023年については2021年を基準とし、月額83元となる)へ変更となった(図表1の右表参照)。中国において、都市部の会社員を対象とする年金制度は2階建てとなっており、1階部分が基本年金(賦課方式)、2階部分が個人積立口座(積み立て方式)から構成されている。新たな規定では、1階部分の基本年金のみを基準とするので、その金額は従前よりも少なくなる。同時に、基準額に乗じる比率も大幅に引き下げていることから、そのインパクトは大きい。
図表1 武漢市の公的医療保険制度のおける保険料徴収・給付
デモの背景には、新型コロナによる財政拠出の増加、不動産不況など財政収入の減少から、武漢市が財政の引き締めをしている点が理由に挙げられている。確かに、財政といった視点から考えると、中国では地方政府が社会保険制度を運営しているため、当該地方政府の経済・財政の規模やその状況によって、給付内容が大きく左右されてしまう。つまり、地域間の格差が大きくなりやすいという課題はある。

しかし、それ以上に深刻なのは、医療保険制度が従来より抱える構造的な問題である。それは高齢者における負担と給付のバランスが保たれていない点にある。従来より、都市部の企業に勤める会社員は、定年退職前に所定の期間の保険料の納付が完了していれば、定年退職後も同一の制度に加入し続けることができ、更に、保険料の負担が免除されている5。免除のために必要な納付期間は各地方政府によって異なるが、武漢市の場合は男性30年間、女性25年間である。更に、定年退職時に納付年数が満期に達していない場合は、残りの保険料の一括納入も認められている。高齢化の進行を踏まえると制度の持続可能性に疑問が持たれ、これまでもこの措置の検討が指摘されてきた。
 
また、給付については、政策上、定年退職者は現役世代よりも自己負担割合が軽減される仕組みとなっている。図表2はその一例として、武漢市の外来診療に関する自己負担割合を示したものであるが、免責額、給付限度額を含め、定年退職者の負担が軽減されていることが分かる(図表2)。政府は医療給付額について年齢別の状況を公開していないため断定はできないが、昨今の急速な高齢化を考えれば、現役層と比較して高齢者への給付が多い点は容易に想像できる6
(図表2)武漢市の外来診療に関する免責額・給付限度額・受診時の自己負担割合(例)
当然のことながら、新型コロナなどの影響を受けて経済成長が鈍化し、保険料を負担する現役層の収入減少や離職が進めば、保険料収入そのものが減少する。基準の改定がなかったとしても、保険料負担のない高齢者の通院補助額が調整されるのはある意味自然な流れであろう。中国の公的医療保険制度は、1990年代後半に大きな改革があったが、それ以降、経済の高度成長に伴って就労者の所得が向上し、補助額は毎年増額される傾向にあった。それゆえ、今般の基準の改定やそれに伴う減額処置は衝撃が大きかったと考えられる。政府としても、企業や現役層に対して更なる保険料負担を求めるのは厳しく、現役層と高齢者層の給付と負担のバランスや、今後の財政状況を考えた上での苦心の策と見受けられる。なぜなら、定年退職した高齢者に相応の保険料負担を求めれば、もっと大きな反発が予想されるからだ。

このように、今回の武漢市のデモは、これまで先延ばしにしてきた公的医療保険制度の構造問題が表面化したと捉えることもできる。また、制度改正の議論の過程が公表されないため、受給者側としては突然発表される制度改定に身構えてしまうという行政・政策決定上の課題もある。いずれにしても、現行制度を高齢社会に適した制度に改正しつつ、その必要性を丁寧に説明していかなければ、今後もこういった紛糾は後を絶たない可能性がある。
 
1 時事通信「中国・武漢で再び大規模デモ 医療手当減に高齢者怒り」(2023年2月15日)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2023021501071&g=int 2023年2月20日アクセス。
2 北京日報「北京銀行提示:不必着急到網点排隊取款 已打入医保存折資金仍可支取」、2022年8月19日、https://china.huanqiu.com/article/49IsewN9GEx  2022年8月29日アクセス。日本においても、8月21日に読売新聞「預金引き出そうと「北京銀行」に行列できる騒ぎ・・・市当局の新規制が発端か」、https://www.yomiuri.co.jp/world/20220821-OYT1T50095/ 2022年8月29日アクセス。
3 「武漢市基本医療保険弁法」(2023年1月1日施行
4 「武漢市城鎮職工基本医療保険弁法」(2005年9月1日施行)、「武漢市職工基本医療保険門診共済保障実施細則」(2023年2月1日発出)。
5 「社会保険法」第27条で規定。
6 「2018年武漢市人口老齢化形勢分析」によると、2018年時点で武漢市の高齢化率(60歳以上)は21.27%。
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保険研究部   主任研究員・ヘルスケアリサーチセンター兼任

片山 ゆき (かたやま ゆき)

研究・専門分野
中国の社会保障制度・民間保険

経歴
  • 【職歴】
     2005年 ニッセイ基礎研究所(2022年7月より現職)
     (2023年 東京外国語大学大学院総合国際学研究科博士後期課程修了) 【社外委員等】
     ・日本経済団体連合会21世紀政策研究所研究委員
     (2019年度・2020年度・2023年度)
     ・生命保険経営学会 編集委員・海外ニュース委員
     ・千葉大学客員准教授(2023年度~) 【加入団体等】
     日本保険学会、社会政策学会、他
     博士(学術)

(2023年02月22日「基礎研レター」)

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