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この映画は2014年に中国で実際に起きた、通称「陸勇事件」がもとになったとされている。慢性骨髄性白血病患者の陸勇が高額な治療薬の支払いに耐えられず、インドから安価なジェネリック医薬品を輸入。効果があったため、同じ病気を抱える患者に善意ながらも販売したことで逮捕された事件だ。しかし、この事件が報道されると市民デモが発生し、本人は翌年に釈放された。多くの関心が集まったのは、自分の家族の誰かが病気になれば同じ状況になる、だれもが明日は「陸勇」になる可能性があったからだろう。当時、中国の医療保険制度では、癌や白血病といった重大疾病の治療に効果的な医薬品は輸入薬が多く、高額なうえ、その多くは保険適用外とされていた。薬を服用するだけで莫大なお金がかかり、それによる一家離散や破産、生活の困窮が長い間社会問題になっていた。
少し大げさかもしれないが、映画のヒットや反響は、国民の思い、共感度合いをはかるバロメーターだと思う。「我不是薬神」は2018年7月に公開されると興行収入は3日間で9億元(約146億円)、最終的に30億元(約500億円)を超えたという。映画の意義やもたらす効果は、むしろ欧米や日本のような自由主義国ではなく、中国のような国にこそ大きいのかもしれない。欧米のような議会制民主主義や選挙が実施されていない中国の場合、政治に民意が反映されにくいとも考えられている。しかし、それゆえ、民意との乖離が知らない間に大きくなってしまうことこそ、政府にとって最大のリスクだ。多くの民衆の共感にこそ、政府を変える力があるのかもしれない。映画では、医療の問題のみならず、高齢者の介護、農村からの出稼ぎ労働、埋めようのない貧富の格差、海外への移住など、誰もが身近に抱える内容も散りばめられているが、映画全体のトーンは決して暗くはない。
映画公開は2018年7月で、陸勇事件から4年も経過している。なぜ、4年前のテーマで大きな反響がうまれたのか。きっかけの1つは、映画公開とほぼ同じタイミングで、児童のワクチン接種についての問題が発生したことにあろう1 。それに、日頃からの医療保険制度への不満、いつまでたっても粗悪な薬を流通させる悪徳メーカーや業者への怒りが加わった点にあろう。映画の反響の大きさは、同じく7月、李克強首相がこの映画を引き合いに出し、関係当局に癌治療薬の価格引き下げや保険適用を速やかに行うよう指示した点にも表れている。通常では、首相が民間で作成された映画に触れ、政策をとくことはまずないと考えられる。映画への多くの共感が政府を動かしたのは事実であろう。
しかし、もう少し調べてみると、李克強首相は映画公開の前の2018年4月、6月の国務院の内部の会議で、輸入薬の関税撤廃や審査の迅速化、価格の引き下げ、保険適用の増加などをすでに決定していたという2 。7月の映画の反響、噴出した医療・医薬品流通の問題、それに対して‘タイミングよく’民意をくみ上げる動きを見せる政府、という構図ができあがったとなると、最終的に最大の効果を獲得したのはだれか、と考えるのは悪い癖であろうか。
1 2018年7月15日に、中国の薬品監督当局が吉林省長春市のワクチンメーカー長春長生生物科技有限責任公司が人用の狂犬病ワクチンの生産について記録の改ざんなど厳重な違反行為があるとして生産停止を命じた。2017年11月にも同社は別のワクチンの製造基準違反で廃棄処分を命じられていたが、ひそかに流通させ、児童が摂取していたことが発覚。これによって社会的な反響が大きくなった。
2 http://www.gov.cn/guowuyuan/2018-07/18/content_5307223.htm
■映画の概要(公式ウェブサイトhttp://kusurikami.com/より引用・抜粋)
上海で、男性向けのインドの強壮剤を販売する店主 チョン・ヨン(程勇)は、店の家賃さえ払えず、妻にも見放され、 人生の目標を見失っていた。ある日、「血液のがん」である 慢性骨髄性白血病を患うリュ・ショウイー(呂受益) が店に訪れる。国内で認可されている治療薬は非常に高価であるため、安価で成分が同じインドのジェネリック薬を購入して欲しいという依頼だった。
最初は申し出を断ったものの、 金に目がくらんだ程勇は、ジェネリック薬の密輸・販売に手を染め、より多くの薬を仕入れるため白血病患者たちとグループを結成。依頼人の呂を始め、白血病患者が集まるネットコミュニティ管理人のリウ・スーフェイ(劉思慧)、中国語なまりの英語を操る劉牧師、不良少年のボン・ハオ(彭浩)が加わり、事業はさらに大きく拡大していく。しかし、警察に密輸として目をつけられ始め、一度はグループを解散した程勇だったが、薬を絶たれた患者たちの悲痛な叫びに決意を固める。患者の負担を軽くするため仕入れ値以下の価格で薬を売り、あえて危険な仕事を続ける彼に待ち受ける結末とは・・・。
(2020年10月27日「研究員の眼」)
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- 【職歴】
2005年 ニッセイ基礎研究所(2022年7月より現職)
(2023年 東京外国語大学大学院総合国際学研究科博士後期課程修了) 【社外委員等】
・日本経済団体連合会21世紀政策研究所研究委員
(2019~2020年度・2023年度~)
・生命保険経営学会 編集委員・海外ニュース委員
・千葉大学客員教授(2024年度~)
・千葉大学客員准教授(2023年度) 【加入団体等】
日本保険学会、社会政策学会、他
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