2018年12月27日

ノー・ブレグジット(離脱撤回)という選択肢-経済合理性はあるが、分断は解消しないおそれ-

経済研究部 常務理事 伊藤 さゆり

このレポートの関連カテゴリ

文字サイズ

3|将来の関係の曖昧さへの不安
アイルランドの国境管理のバックストップ恒久化への懸念と表裏一体ともいえる問題が、将来の関係が曖昧であることだ。

離脱協定が599ページにわたるのに対して、英国がEUを離脱した後の将来の関係の「政治合意」は26ページに過ぎない。政治合意は、経済パートナーシップ、安全保障のパートナーシップ、制度的枠組みなどもカバーしているため、経済パートナーシップに関わる章は10ページだけだ。

そもそも、将来の関係についての正式な協議は、離脱協定が発効した場合、離脱と同時に始まる移行期間に行うため、政治合意は、協議の叩き台に過ぎず、法的拘束力もない。

それでも、政治合意は、離脱協定の賛否を判断する重要な材料ではある。経済パートナーシップでは、包括的な自由貿易協定と幅広いセクターの協力を目指す。その主な内容は、(1)財については規制と通関手続きでの緊密な協力に基づく「自由貿易圏」を創設する、(2)サービス・投資では、相互の規制の権限を尊重しつつ、世界貿易機関(WTO)のルールやEUの自由貿易協定(FTA)を大きく上回るレベルの自由化を目指す、(3)金融サービスでは、相互の規制と意思決定の独立性を尊重する。同等性評価を20年末までに終える、(4)デジタル分野では、電子商取引、国境を超えるデータ移動の自由のための規定を設ける、通信サービスの相互アクセスを認める、(5)人の移動の自由に替わる枠組み(短期訪問者のためのビザなし渡航、研究・学業、職業訓練のための入国滞在など)を構築することなどである(図表4)。

これらの内容は、メイ政権が7月にまとめた白書の要望事項と大枠で一致し、産業毎の異なったアプローチを受け入れる姿勢が見える点はEU側の譲歩だ。EASA(欧州航空安全庁)、ECHA(欧州化学庁)、EMA(欧州医薬品庁)への第3国の参加は、18年3月に採択したガイドラインでは否定されていたが、政治合意には「英国の当局の参加の可能性を探る」と明記された。他方、白書で求めた内容のうち、「促進された関税アレンジメント」のための関税の代行徴収、金融の単一パスポートから離脱する代替策として求めた同等性評価の強化などは含まれていない8

政治合意の内容には、強硬離脱派と穏健離脱派がともに不満を抱く。強硬離脱派は「自由貿易圏」の構築が、バックストップと同様に事実上のEUルールへの恒久的な適合につながるリスクを懸念する。穏健離脱派は、財以外の分野でも、より深い関係を維持することが望ましいと考えている。法的拘束力がない政治合意は、「願い事リスト」に過ぎず、将来について何の確約もないままEUを離脱することを「目隠し離脱(blindfold Brexit)」という表現で労働党のコービン党首、SNPのスタージョン党首、緑の党のキャロリン・ルーカス党首らは問題視する。
図表4 「将来の関係の政治合意」の経済パートナーシップの概要
 
8 HM Government (2018)。主な論点については、Weeklyエコノミスト・レター2018-7-24「見えない英国のEU離脱の道筋−メイ政権の妥協案には強硬派も穏健派もEUも不満−」(https://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=59154?site=nli)をご参照下さい。
 

3――英国議会が協定案を否決した場合の選択肢

3――英国議会が協定案を否決した場合の選択肢

現時点では、労働党の議員の大半と、SNP、LDPの議員らは、総選挙や、より穏健な離脱、再国民投票を求めて協定案に反対することが見込まれている。

メイ首相の協定案に基づく離脱の可否は、保守党の強硬離脱派とDUPの翻意に掛かっている。その可能性は高いとは言えないものの、残っている。メイ首相は、協定案は、秩序立った離脱のための唯一の選択肢であり、否決すれば離脱そのものも危うくなるとして支持拡大を図っている。協定案を否決すれば、ノー・ディールのリスクを高めることになり、野党が望むとおり、事態収拾のために総選挙や再国民投票を迫られることになれば、政権交代や離脱撤回の可能性も出てくるからだ。

以下では、仮に、14日の週に英国議会下院がメイ首相案を否決した場合について整理しておきたい。

まず、手続きについては、英国の離脱法の第13条9が、「政府が21日以内に方針表明(第4項)」し、次に「方針表明から7日以内に中立的な表現による動議を提出(第6項)」つまり、7日以内に採決すると規定している。

しかし、議会の分裂状態を考えると、速やかに方針を決定し、足並みを揃えることができるのかという疑問がわく。離脱協定の英下院での審議初日の12月4日、保守党の親EU派のドミニク・グリーブ議員が提出した離脱法第13条に関する修正動議が321票対299票で可決されている。この動議の可決によって、政府が提出する動議の修正が可能になった。この修正は、法的に政府を拘束するものではないが10、政治的には意味があり、幾つかの選択肢が浮上し得るようになった。

実現可能性という点では、英国の選択を、「再交渉に応じない」としているEU側が承認するかも重要だ。
 
9 European Union (Withdrawal) Act 2018 (http://www.legislation.gov.uk/ukpga/2018/16/section/13/enacted
10 Institute for Government ,”Parliament’s 'meaningful vote' on Brexit”(https://www.instituteforgovernment.org.uk/explainers/parliament-meaningful-vote-brexit)
1|ノー・ディール(合意なき離脱)
メイ首相の協定案が否決された場合のノー・ディールの実現の可能性は高い。議会が分裂状態にあり、離脱の期限が近づいている。保守党の強硬離脱派も、ノー・ディールを望んでいる訳ではないが、分裂する議会が方針を決められない状態が続けば、偶発的にノー・ディールとなる。

ノー・ディールの場合、離脱とともにEU法の英国への適用が停止されることで、物流、金融、通信、英国在住のEU市民、EU在住の英国民の権利など幅広い分野に影響が及ぶ。英国政府とEUは、それぞれ、企業や家計にノー・ディールのリスクへの準備を促すための分野別の文書などを発行し、注意を喚起してきた。

ノー・ディールによる混乱は、特別な法的措置によって、ある程度コントロールすることが可能だ。EUは、合意を促すため、特別な法的措置の公表に慎重な姿勢をとってきたが、12月19日にはデリバティブ(金融派生商品)に関わる中央清算・決済業務や、中央預託業務(デポジタリー)、航空サービスなど、重大な混乱が生じうる14の領域に限定する形で行う、期間を限定した緊急対応措置を公表した11

メイ政権も、休暇を短縮し、1月2日にノー・ディールについて協議する閣議を開催すると伝えられている12。英国財務省はノーディールによる支出に備えて42億ポンドの資金を用意する。

ノー・ディールの影響は、特別立法や人員の増強などである程度コントロールできるとしても、人々の暮らしや企業の活動の先行きの不透明感を長期化するおそれがあり、好ましい選択肢ではない。
 
11 European Commission(2018)
12 “May cuts cabinet break short to rally Brexit deal support”, Financial Times, 24 December 2018 (https://www.ft.com/content/a211f012-06c1-11e9-9fe8-acdb36967cfc)
2|ノルウェー・プラス(単一市場、関税同盟残留)
ノルウェー・プラスは、EUと再交渉し、異なった条件でEUを離脱する場合の選択肢の1つだ。EUは離脱するものの、欧州経済領域(EEA)という既存の枠組みには残留して、EUの単一市場に参加する「ノルウェー型」に関税同盟への残留を付加する選択肢だ。

ノルウェー・プラスという選択肢のベネフィットは2つある。1つは、EU離脱による激変を回避できることだ。もう1つは、既存の枠組みがひな形となるため、EUにも受け入れる余地があることだ。EUは「離脱協定」の修正には応じない方針だが、法的拘束力のない「政治合意」の内容の修正であれば、応じる余地があり、ノルウェー・プラスの場合は対応可能だ。

問題は主権の奪還というEU離脱の目的の殆どが失われてしまうことだ。EEAに残留するのであれば、(1)財・サービス・資本・人の「4つの移動の自由」という単一市場の原則を切り離し、人の移動のみを制限することはできない、(2)EUの規則の一方的な受け入れ、(3)EU予算にも一定の拠出を求められる。関税同盟に残留すれば通商交渉の権限も制限される。

このようにノルウェー・プラスは、強硬離脱派にとっては受け入れ難い選択肢だが、強硬離脱派は議会の多数派ではない。ノー・ディールによる混乱回避のための選択肢となる可能性はある。

なお、労働党のコービン党首は、自身は筋金入りのEU懐疑主義者であるが、労働党内と支持者、とりわけコービン党首の人気を支える若い世代で再国民投票を支持する割合が高いこともあり、離脱戦略に対して曖昧な姿勢を貫いてきた。12月21日付けのガーディアン紙のインタビュー13では「党の方針を一方的に決めることはできない」としつつ「総選挙に勝利した場合には、関税同盟への残留についてEUと再交渉する」と述べ、離脱を推進する立場を示した。再国有化を主張するコービン党首は、インタビューの中で、EUの単一市場を構成するルールの1つである「国家補助規制」への懸念を表明している。労働党の方針はさらに変わる可能性があるが、今のところ、ノルウェー・プラスは、選択肢ではないようだ。
 
13 “Corbyn: Brexit would go ahead even if Labour won snap election”, The Guardian, 21 Dec 2018 (https://www.theguardian.com/politics/2018/dec/21/jeremy-corbyn-labour-policy-leaving-eu)
Xでシェアする Facebookでシェアする

このレポートの関連カテゴリ

経済研究部   常務理事

伊藤 さゆり (いとう さゆり)

研究・専門分野
欧州の政策、国際経済・金融

公式SNSアカウント

新着レポートを随時お届け!
日々の情報収集にぜひご活用ください。

週間アクセスランキング

レポート紹介

【ノー・ブレグジット(離脱撤回)という選択肢-経済合理性はあるが、分断は解消しないおそれ-】【シンクタンク】ニッセイ基礎研究所は、保険・年金・社会保障、経済・金融・不動産、暮らし・高齢社会、経営・ビジネスなどの各専門領域の研究員を抱え、様々な情報提供を行っています。

ノー・ブレグジット(離脱撤回)という選択肢-経済合理性はあるが、分断は解消しないおそれ-のレポート Topへ