- シンクタンクならニッセイ基礎研究所 >
- 保険 >
- 保険会社経営 >
- サンクコストの呪縛-もったいないから、やめられない?
サンクコストの呪縛-もったいないから、やめられない?

保険研究部 主席研究員 兼 気候変動リサーチセンター チーフ気候変動アナリスト 兼 ヘルスケアリサーチセンター 主席研究員 篠原 拓也
文字サイズ
- 小
- 中
- 大
なぜだろうか? それは、どんな事業にも、常にリスクがつきものだからだ。事業を始めた後に、費用対効果を見積もっていたときと比べて、収益環境や競争条件が変化してしまうことは、よくあることだ。ひどい場合には、環境や条件が大きく変化して、効果が全く見込めなくなってしまうことだってある。そういう場合、着手していた事業は中止とすべきだろう。ところが、中止の判断はそんなに簡単にはできない。それまでに既にかかってしまった費用が、事業中止の判断に水をさすのである。ひとつ、身近な例で考えてみよう。
サッカーやラグビーで、お気に入りのチームが出場する試合のチケットを購入したとしよう。試合の日がくるのを、毎日、楽しみにしていた。ところが、あいにく試合当日の天気は大雨。ゲームは、どしゃぶりの雨の中で行われることとなった。雨中の観戦は壮絶なものとなる。観客にとって、試合を観戦することの効用よりも、大雨のせいでずぶぬれになってしまう不効用の方が勝ってしまうかもしれない。ところが、それにもかかわらず、チケットを購入した人は、試合観戦に行こうとする。
なぜか? チケットの費用は、既に支払ってしまったので、試合を見にいってもいかなくても、とりかえせない。それならば、どんなにひどい大雨でも、かかった費用の分だけ試合を観戦して効用を得ないと損だ、と考えるからだ。
このように、既にかかってしまっていて、いまさらとりかえせない費用のことを、経済学では「サンクコスト」(埋没費用)と呼んでいる。サンクコストは、過大視されやすい。人は、サンクコストにこだわり過ぎて、ついつい不合理な判断をしてしまうといわれる。
ここで、もし、試合のチケットが自分で購入したものではなく、誰かからもらったものだったとしたらどうだろう。この場合、サンクコストはない。試合観戦の効用と、大雨による不効用を天秤にかけて、不効用のほうが大きいと判断すれば観戦にはいかない。そういう合理的な判断が可能だ。
サンクコストは、過去に起こってしまった費用である。今後、どのように判断したり、行動をとったりしても、とりかえすことはできない。逆にいえば、サンクコストがどれだけかかっていようと、これからの判断や行動によって生まれる効用や不効用に影響を及ぼすことは、本来ないはずである。
つまり、過去のサンクコストと、現在や将来の効用や不効用は、時制が異なっているので切り分けて考えるべきだ。合理的に考えると、サンクコストにこだわるのはナンセンスといえるのだ。にもかかわらず、サンクコストは、どうしても気になってしまう。そこには、「もったいない」という日本の人によく見られる意識も、影響しているのかもしれない。
「既に買ってしまったチケットがムダになるのは、もったいない。試合観戦を楽しんで、チケットの費用を少しでも取り返さなくては……」と、そんな風に考えて、どしゃぶりの雨の中で試合を観戦する人がいるかもしれない。「もったいない」という意識は、物を大切にしようという意味では、すばらしい考え方であろう。そのままでは廃棄してしまう資源を、上手に再利用して、社会や生活を豊かにする。そうした意識は、日本発で世界中に広めていくべき美徳であろう。この考え方は、資源の廃棄と再利用が、どちらも現在や将来の同じ時制になっていることがポイントといえる。
しかし、「過去にかけた費用が取り返せないので、もったいない」というときの、「もったいない」は、これとはニュアンスが異なる。サンクコストの時制は、あくまで過去である。正確にいえば、「もったいない」のではない。「もったいないことになってしまった」のである。サンクコストを「もったいない」と現在の時制で語るとき、あきらめのつかない気持ちや、他人のそしりを受けたくないという見えが、人の心の中に潜んでいるのかもしれない。
特に、事業が大規模になると、サンクコストは一種の呪縛となって、関係者にのしかかってくる。建設工事などでは、「これまでに、〇〇億円もの多額の費用を投入してしまった。いまさら、建設予定地の地盤が軟弱だとわかっても、もう後戻りはできない。地盤改良工事でもなんでもできることは全部やって、とにかく是が非でもこの事業を成功させなくてはならない…。」こんな思いに駆られる経営者は、少なくないだろう。その結果、ますます事業に費用をつぎ込んで、巨額の赤字に至ってしまう恐れもある。
それでは、実際にサンクコストが生じてしまった場合、どうしたらよいだろうか。まず、サンクコストは時制が違うということを思い出すべきだろう。過去と現在、将来を切り分けないと、ズルズルといってしまう。そして、なんらかの心の割り切りをつけて、事業から撤退するしかない。
心の割り切りをするための例は、いろいろありうる。たとえば、「他の事業と併せてみれば、全体では黒字を確保できている。この事業単独では赤字だが、これはもうしょうがない。いまが、引き時だろう。」「今回、この事業では損を出してしまった。でも、他では味わえない貴重な経験をすることができた。この経験を糧として、これからの経営の発展に活かすようにしよう。」「この事業では思わぬ赤字となったが、いまの赤字規模ならば、なんとか自己資本で処理できる。うまく損失を処理して事業を撤退することも、大切な経営判断だ。」このように考えることができれば、サンクコストの呪縛から解放されたことになるだろう。
「もったいない」と思って無理をする気持ちが芽生えたときには、少し立ち止まって、「もしかしたら、これはサンクコストなのでは?」と冷静に考えてみる必要があると思われるが、いかがだろうか。
(2018年11月08日「研究員の眼」)

保険研究部 主席研究員 兼 気候変動リサーチセンター チーフ気候変動アナリスト 兼 ヘルスケアリサーチセンター 主席研究員
篠原 拓也 (しのはら たくや)
研究・専門分野
保険商品・計理、共済計理人・コンサルティング業務
03-3512-1823
- 【職歴】
1992年 日本生命保険相互会社入社
2014年 ニッセイ基礎研究所へ
【加入団体等】
・日本アクチュアリー会 正会員
篠原 拓也のレポート
日付 | タイトル | 執筆者 | 媒体 |
---|---|---|---|
2025/04/28 | リスクアバースの原因-やり直しがきかないとリスクはとれない | 篠原 拓也 | 研究員の眼 |
2025/04/22 | 審査の差の定量化-審査のブレはどれくらい? | 篠原 拓也 | 研究員の眼 |
2025/04/15 | 患者数:入院は減少、外来は増加-2023年の「患者調査」にコロナ禍の影響はどうあらわれたか? | 篠原 拓也 | 基礎研レター |
2025/04/08 | センチネル効果の活用-監視されていると行動が改善する? | 篠原 拓也 | 研究員の眼 |
新着記事
-
2025年05月02日
金利がある世界での資本コスト -
2025年05月02日
保険型投資商品等の利回りは、良好だったが(~2023 欧州)-4年通算ではインフレ率より低い。(EIOPAの報告書の紹介) -
2025年05月02日
曲線にはどんな種類があって、どう社会に役立っているのか(その11)-螺旋と渦巻の実例- -
2025年05月02日
ネットでの誹謗中傷-ネット上における許されない発言とは? -
2025年05月02日
雇用関連統計25年3月-失業率、有効求人倍率ともに横ばい圏内の動きが続く
レポート紹介
-
研究領域
-
経済
-
金融・為替
-
資産運用・資産形成
-
年金
-
社会保障制度
-
保険
-
不動産
-
経営・ビジネス
-
暮らし
-
ジェロントロジー(高齢社会総合研究)
-
医療・介護・健康・ヘルスケア
-
政策提言
-
-
注目テーマ・キーワード
-
統計・指標・重要イベント
-
媒体
- アクセスランキング
お知らせ
-
2025年04月02日
News Release
-
2024年11月27日
News Release
-
2024年07月01日
News Release
【サンクコストの呪縛-もったいないから、やめられない?】【シンクタンク】ニッセイ基礎研究所は、保険・年金・社会保障、経済・金融・不動産、暮らし・高齢社会、経営・ビジネスなどの各専門領域の研究員を抱え、様々な情報提供を行っています。
サンクコストの呪縛-もったいないから、やめられない?のレポート Topへ