コラム
2016年03月15日

認知症高齢者の“看取り”-介護施設での「最期」を考える

土堤内 昭雄

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先日、認知症高齢者が徘徊中にJRの列車にはねられて死亡した事故で、遺族に監督責任者としての賠償責任があるかどうかを争う訴訟の判決があった。最高裁第三小法廷は、「家族が高齢者を監督できる状況になかった」として妻に賠償を命じた2審判決を破棄、「家族の責任を認めない」と判断した。最高裁は、認知症高齢者の介護を家族だけに委ねておくことに限界があることを示したのだろう。

厚生労働省によると、2012年の認知症高齢者は約462万人、2025年には約700万人前後と、高齢者の5人にひとりになると見込まれている。急増する認知症の人たちが重度の介護状況においても住み慣れた地域で暮らし続けるために、同省は平成27年、「認知症施策推進総合戦略」(新オレンジプラン)を策定し、認知症の人と家族を支援する「認知症サポーター」の養成に力を入れている。

また、近年では老々介護が増え、介護疲れから介護者による悲惨な殺傷事件が多く発生している。このように認知症高齢者の家族介護の負担がきわめて大きいことから、政府は受け皿として特別養護老人ホーム(以下、特養)の増設を進めている。特養の入所者の介護度は年々重くなり、ここが認知症高齢者の“終の棲家”にもなりつつあり、特養で最期を迎える人は入所者の6割を超えているのだ。

特養での看取りの大きな課題は、入所者の多くが認知症で、どのような最期を望むのか意思確認が難しいことではないだろうか。先週の本欄で、『私たちは単に長く生きたいのではない。幸せに生きて、幸せに逝きたいのだ。そのためには自らのリビングウィル(生前の意思)を明確に示すことが必要だ』と書いたが、認知症高齢者の場合、本人の意思とは異なる形で最期を迎えざるを得ない人も多い。

特養の常勤医である石飛幸三氏は、著書『「平穏死」のすすめ』(講談社文庫、2013年2月)の中で、特養で自分らしい最期を迎えることが難しい理由のひとつは、ほとんどの特養に常勤医が不在であることだと述べている。人の尊厳ある看取りを行うためには、老衰の果ての死に対して医療がどのようにかかわるべきなのか、終末期医療との適切な連携が欠かせないからだ。

特養など介護施設で最期を迎える場合も、看取りのあり方は本人の意思、家族の意向、医療・介護の状況から判断されるべきだろう。終末期には、病気を治療するキュアではなく、心と体のケアがより重要になることもある。また、介護職員の看取りのスキルの習得や職員自身の心のケアを行うことも重要だろう。認知症高齢者がますます増える今日、認知症になっても、長く生きてきた人間が尊厳を持って「最期」を迎えるために、介護施設での“看取り”の体制の整備・充実が必要ではないだろうか。
 
 
(参考) 研究員の眼『長寿時代の“看取り図”~幸せな「最期」迎えるために』(2016年3月8日)

(2016年03月15日「研究員の眼」)

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土堤内 昭雄

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