コラム
2012年08月06日

100m道路に想う~語り継ぐべき被爆と復興の歴史~

山田 善志夫

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広島には、市街地を東西に4kmにわたって横断する「平和大通り」と名付けられた100m道路がある。

100m道路とは、昭和20年12月に閣議決定された「戦災地復興計画基本方針」に基づいて計画された100m以上の幅員を有する道路で、当初は、東京、川崎、横浜、名古屋、大阪、神戸、広島の7都市で計24本の建設が計画されていた。しかしながら、想定を超える戦後の社会、経済環境の変化の影響を受けて、計画が大幅に縮小された結果、最終的に、名古屋の若宮大通と久屋大通、広島の平和大通りの3本のみが建設された。

広島の「平和大通り」では、昭和50年に、広島東洋カープのセントラルリーグ優勝パレードが行われ、当時としては驚異的な30万人を越える人々が沿道を埋め尽くした。この優勝パレードをきっかけとして、市民が参加できる祭りを開催しようという機運が高まり、昭和52年から、「平和大通り」と、隣接する平和記念公園をメイン会場とする、平和の祭典「ひろしまフラワーフェスティバル」が始まった。「ひろしまフラワーフェスティバル」は、毎年5月3日から5日まで開催され、近年では、100万人を超える人々が参加する一大イベントとなっている。また、平成8年から全国都道府県対抗男子駅伝が広島で開催されることとなり、毎年1月、全国の選りすぐりのランナーたちが、各都道府県の襷を胸に、「平和大通り」を駆け抜けている。

このように、現在の「平和大通り」は、広島有数の大規模イベントが開催される、まさに広島を象徴するエリアとなっている。

実は、筆者は、この「平和大通り」の起源を、「原爆投下によって一面の焼け野原になった広島の東から西に、進駐軍が地図上で一本の線を引いたので、100mもの幅員を有する立派な道路ができた」と伝え聞き、そのように信じ込んでいた。今回、改めて、「平和大通り」の起源を確認したところ、正しい起源は冒頭に記載のとおりであり、筆者が伝え聞いた起源は間違いであることが分かった。また、広島では、戦後の一時期、市街を南北に縦断する現在の鯉城通りの北端部分が、マッカーサー道路と呼ばれていたので、もしかしたら、「平和大通り」の起源に関しても、筆者が伝え聞いた内容と同じような噂や俗説があったのではないかと思い、複数の被爆者の方にもお話を伺ったが、そのような話は聞いたことがないとのことであった。

確かに、戦後の広島の復興への軌跡を事実に沿って振り返ると、「地図上で線を引いたら道路ができた」というような簡単なものでは決してなかった。復興計画自体は、国の戦災復興都市計画に基づき、昭和21年の10月から11月にかけて、具体的な事業計画が決定されたが、極度の財源難により、計画は遅々として進まなかった。本格的に復興への歩みが動き始めたのは、昭和24年の「広島平和記念都市建設法」制定以降である。

100m道路についても、「広島平和記念都市建設法」制定以降、道路の両脇を緑地化した公園通りとして整備する計画が、漸く動き始めるが、依然として住宅難に苦しんでいた市民の不興をかい、昭和30年の市長選挙において、100m道路の幅員を半分に削り、そこに市営住宅を建設するという公約を掲げた市長が当選するという事態に至った。しかし、市長は当選後、復興事業の関係者から説得されて、公約の履行をあきらめ、代わりに、100m道路の緑化に向けた供木運動を展開した。その結果、昭和32年から33年にかけて、県内外から、さらには海外からも、10万本を越える木や苗木が寄付され、道路並びに周辺の緑化に大いに役立つこととなったのである。

筆者が、誤った100m道路の起源を、何故、また、誰から伝え聞いたのかは、今となっては、確かめることはできない。ただ、広島が「原爆投下によって一面焼け野原になった」ことは、紛れもない真実であり、その「焼け野原」に、さまざまな困難を乗り越えて、「平和都市広島」を象徴する「平和大通り」は建設されたのである。

原爆投下から65年以上が経ち、被爆や復興の記憶は薄れつつある。私たちが今まさになすべきことは、決して繰り返してはいけない原爆投下という歴史と幾多の困難を乗り越えた復興の軌跡を、必ずかつ正確に、後世に語り継いでいくことであろう。

<参考文献>
  1.広島市公文書館紀要(広島市公文書館)
  2.戦災復興事業誌(広島市)
  3.都市の復興-広島被爆40年史(広島都市生活研究会)
  4.復興計画(越澤明)

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