コラム
2011年09月12日

震災から半年~高台移転はできるのか

土堤内 昭雄

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東日本大震災から半年になる。大津波による甚大な被害が出た三陸地方の被災地では、津波から街を守るための復興計画が検討されている。最も確実に安全な街をつくるためには高台への集団移転をすることが有効だ。三陸地方は1896(明治29)年の「明治三陸大津波」、1933(昭和8)年の「昭和三陸大津波」、1960(昭和35)年の「昭和チリ津波」を経験し、これまでも多くの地域で高台移転を行ってきている。

岩手県大船渡市三陸町の吉浜地区では明治の大津波により壊滅的な被害を被ったことを教訓に高台に住宅を集団移転し、低い土地を田畑にした結果、昭和の大津波や今回の平成の大津波でも大きな被害が出ていない。また、岩手県宮古市重茂の姉吉地区には昭和の大津波後に先人が残した『此処より下に家を建てるな』という大津浪記念碑が建っており、その教えに従った同地区では全ての家屋が無事だった。

一方、高台移転をするための適地が見つからずに別の対策をとった地域もある。平成15年に「津波防災の町宣言」を行った岩手県宮古市の田老地区では、沿岸部に巨大な堤防を二重に構築してきた。しかし、今回の大津波は「万里の長城」にもたとえられた大堤防を易々と乗り越え、さらに一部を破壊して街全体に壊滅的な被害をもたらした。大防潮堤があるという安心感から避難が遅れた住民もいた。

三陸地方では『津波てんでんこ』という言葉がある。これは『津波が来たら自分だけでも高台に逃げろ』という津波防災の行動規範だ。巨大津波は一瞬にして街中を飲み込んでしまうので、少しの躊躇が地域住民すべてを犠牲にしてしまうからである。しかし、田老地区の場合でも予め決められた避難路は急峻な坂道や階段が多く、高齢者や障害者など移動弱者には自力避難が難しく、今回も自宅から一人では避難できずに亡くなった高齢者が大勢いたという。

昭和の大津波の時代とは異なり地域の人口構成が急速に高齢化した今日、『津波てんでんこ』では多くの犠牲者が出る可能性が高い。地域全体で助け合う新たな避難方法を考えることが必要だ。そして高台移転が難しい地域でも、たとえ千年に一度の大津波に対しても人命だけは守ることのできる避難経路のバリアフリー化など移動弱者への対応を確立しておかなければならない。

今回の大津波は市役所などの行政機能も完全に奪ってしまった。津波対策として避難を前提として被害を最小化する「減災」の考え方を基本としつつも、瓦礫の山と化してしまった陸前高田市などの市庁舎をみると、少なくとも役所をはじめとする主要行政機関や病院、高齢福祉施設などは高台移転を行うべきだろう。また、高台移転にはその適地や財源の確保、新たなインフラ整備などの課題も多いが、超高齢社会では高齢者の移動手段など日常生活への影響も十分考慮されるべきだ。

三陸海岸の街の多くは漁業・水産業を中心とした風光明媚な所だ。そこでは暮らしと生業が不可分であり、単純に高台に住んで海辺で仕事をするといった職住分離は難しい。地元の人たちは津波という脅威と隣り合わせに暮らしながらも、海の幸のおかげで生業が成り立ち、これまで豊かに暮らしてきたことを忘れてはいない。そして海と向き合う暮らしの中に三陸地方独特の風景が展開し、文化・風土も根付いているのである。津波からの安全を確保しながらどのように自然と共に生きる街づくりを進めるのか、高台移転の可否も含めて難しい課題が山積している。
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