コラム
2007年03月19日

タイト化するユーロ圏の労働市場

経済研究部 常務理事 伊藤 さゆり

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1.強まる企業の価格、賃金設定への圧力

2007年のユーロ圏は2年連続での潜在成長率を上回ると成長が見込まれているが、インフレ率は、ユーロ発足以来、初めて、欧州中央銀行(以下、ECB)が定義する物価安定(2%以下でその近辺)の範囲内におさまることになりそうだ。
しかし、こうした高成長下での物価安定という「理想的な」見通しは、原油価格が前年同月を下回るという前提に負うところが大きい。ユーロ圏では、ここにきて稼働率の上昇、失業率の低下ペースが加速しており、内生的なインフレのリスクを警戒する必要はむしろ高まっている。
ポイントとなるのは、素原材料の上昇や税率の引上げを吸収してきた企業部門の、価格や賃金設定の行動に生じる変化だ。うち、価格設定に関しては、エネルギー価格の伸びがピーク・アウトする一方、稼働率の高い資本財価格は上昇、中間財価格は高止まるなど、価格転嫁の動きが見られるようになっている。
 

2.ユニット・レーバー・コストの動きに注目

賃金設定に関しても、雇用情勢の急速な改善を受けた変化が予想される状況だ。ユーロ圏の失業率は、今年1月には7.4%となり、8%前後と推定されるユーロ圏のNAIRU(インフレを加速させない失業率)や、前回の景気拡大局面のボトム(7.7%)を、すでに下回っている。欧州委員会の企業サーベイでは、サービス業の旺盛な雇用意欲とともに、製造業でも能力増強型の設備投資の増大に合わせた雇用意欲の回復が見られるようになっており、一層の雇用拡大が見込まれる。
その一方、生産一単位あたりの労働コスト(ユニット・レーバー・コスト、以下ULC)を見る限り、労働市場からのインフレ圧力は顕在化していない。ユーロ圏のULCは、2002年初の3%をピークにほぼ一貫して低下し、2005年以降は横這いとなっている。ただ、足もとでは賃金の伸び自体は上向きつつある。こうした中で、ULCの伸びの安定が続いているのは、分子の一人当たり名目雇用者報酬と分母の労働生産性の伸びが見合っているからだ。
業種別のULCは、製造業の大幅な低下とサービス業の上昇というコントラストが鮮明になっており(図表)、賃金インフレ圧力の抑制にはもっぱら製造業が貢献してきた。製造業では、グローバルな競争圧力に対応するため、賃金を抑制する一方、雇用の削減に取り組み、生産性の回復を実現した。景気回復のテンポが加速した2005年以降も、製造業の雇用調整は続いたため、生産性の伸びは高まり、ULCのマイナス幅は拡大したのである。
しかし、今年は、製造業のULCのマイナス幅は縮小に転じるだろう。この間、雇用の調整を抑えるために、賃金を抑制する傾向が最も顕著に見られたのはドイツだが、今年度の賃金交渉では、先行していた化学労組は、すでに4%台の賃上げ要求に対して、賃上げ3.6%増、ボーナス0.7%増という2002年以来の高水準で合意した。最大の労組であり他産業の賃金交渉に影響力を持つとされる金属産業労組(IGメタル)の要求水準も2002年以来の高水である6.5%増となっている。好調な企業収益の賃金への反映を求める動きは他の業種でも広がっている。


 

(注)ユニット・レーバー・コスト=一人当たり名目雇用者報酬/労働生産性 (資料)欧州中央銀行

 

3.生産性に見合う賃金設定、労働供給面での改革が鍵

2006年のユーロ圏経済は高成長ではあったものの、企業部門の力強さに比べて、家計の回復は緩慢だった。その原因は、日本と同じように、企業部門の回復が、雇用を通じて家計に波及するようになったものの、賃金の伸びは十分に高まらなかったことがある。
グローバルな競争力の維持・向上の観点では賃金抑制が望まれるものの、経済成長のバランスを改善し、自律的な好循環を維持する観点からは、引き上げによって労働分配率を反転、家計に景気回復の恩恵を分配することが必要となっている。
その際、賃金の設定が、生産性に見合ったものとなることは大前提であり、さらに、かつてのように画一的ではなく、個別の業種や企業の生産性を十分に反映することも、競争力の維持と内生的なインフレ圧力を抑制する上で不可欠だ。
また、労働需給のタイト化を回避するという観点から、労働供給面での改革の加速も期待されよう。ユーロ圏の雇用情勢は目覚しく改善していると言っても、失業率はOECD諸国全体の5.8%を大きく上回っており、就業率(就業者数/生産年齢人口)は依然日米を下回っている。スペイン、イタリアなど一部では移民の積極活用で労働力不足に対応しているが、より本質的な解決策として、日米に見劣りする女性と高齢者の就業率の引き上げを課題とする国は多い。ワーク・ライフ・バランス(仕事と家庭の調和)支援や早期退職のインセンティブの見直しを、職業訓練などの積極的な雇用政策との組み合わせによって行っていくこと、労働市場のマッチング機能を一層高めていくことなどが望まれる。労働需要の高まりは、長年の課題に取り組む好機でもある。  


 

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経済研究部   常務理事

伊藤 さゆり (いとう さゆり)

研究・専門分野
欧州の政策、国際経済・金融

経歴
  • ・ 1987年 日本興業銀行入行
    ・ 2001年 ニッセイ基礎研究所入社
    ・ 2023年7月から現職

    ・ 2011~2012年度 二松学舎大学非常勤講師
    ・ 2011~2013年度 獨協大学非常勤講師
    ・ 2015年度~ 早稲田大学商学学術院非常勤講師
    ・ 2017年度~ 日本EU学会理事
    ・ 2017年度~ 日本経済団体連合会21世紀政策研究所研究委員
    ・ 2020~2022年度 日本国際フォーラム「米中覇権競争とインド太平洋地経学」、
               「欧州政策パネル」メンバー
    ・ 2022年度~ Discuss Japan編集委員
    ・ 2023年11月~ ジェトロ情報媒体に対する外部評価委員会委員
    ・ 2023年11月~ 経済産業省 産業構造審議会 経済産業政策新機軸部会 委員

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