コラム
2004年02月09日

EU拡大で何が変わるか

経済研究部 常務理事 伊藤 さゆり

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1.温度差がある現加盟国と新規加盟国のEU拡大への期待感

今年5月、欧州連合(以下、EU)加盟国が、中東欧など10カ国の新規加盟で25カ国に拡大する。EUの歴史で5度目となる今回の拡大は、新規加盟国の数では過去最大の規模であり、政治的には中東欧に民主化を根付かせ、平和と安定を確保すること、ポスト冷戦体制の欧州にEU主導の新秩序を構築するという重要な意味がある。しかし、新規加盟国の経済規模が押し並べて小さく、所得水準の格差もEUを100とした場合、新規加盟国は46.4(購買力平価ベース)と大きいために、現加盟国にとっては経済的なベネフィットが限られているのに対し、EUの共通政策に対する意志決定の遅滞や域内における政策協調の足並みの乱れなどの問題が、従来以上に深刻化することも懸念されている。
新規加盟国はEU加盟の承認を受けるにあたり、EU法を国内法に置き換え、行政改革を通じて、法を適切かつ効果的に施行する環境を整えることが要求された。新規加盟国がこれらの条件に意欲的に取り組んできたのは、ヨーロッパへの回帰、政治・社会的安定の確保、安全保障のほか、経済面ではEU域内の4つの自由(ヒト、モノ、サービス、資本移動の自由)を享受し、貿易や直接投資が促進されること、EUレベルの財政からの所得移転の受益者となるなどのベネフィットが期待されたからだ。
EU拡大の経済的なベネフィットについて、EUの行政機関である欧州委員会は、新規加盟国の成長率は「2000年~2009年の10年間」で「年間1.3から2.1ポイント高まる」とし、現加盟国についても今後10年間にわたって「累計で0.7%」成長率が高まる可能性があると試算している。その他各種研究機関の調査結果などでも、EU拡大のベネフィットは全体としてコストを上回り、新規加盟国がより大きいベネフィットを享受するとの見方はおおむね一致している。

2.現加盟国にとっての拡大のコストとベネフィット

確かに、EUの現加盟国の場合には、EU拡大に先手を打つ形で新規加盟国での事業基盤を築いてきた多国籍企業は、域内事業の効率化や市場の成長による収益機会の増大というベネフィットを享受することになりそうだが、新規加盟国と競合する労働集約的企業やEUの低所得国などは、競争激化による淘汰の圧力にさらされることになる。後者がEUの雇用構造に占めるウェイトは決して低くないというのも現実だ。
新規加盟国に対して比較優位を持つ分野での創業が活発化し、雇用の受け皿が作られるなど、環境変化への対応が速やかに進展するかが、現加盟国が全体としてEU拡大の利益を享受できるかどうかの鍵を握っていると考えることができる。

3. 新規加盟国にとっての拡大のコストとベネフィット

新規加盟国へのインパクトを考える際にも、以下の2つの点に注意が必要である。
第1に、EU加盟効果の一部は「先取り」され、一部は「先送り」されるために、加盟直後に効果が集中し、経済成長を押し上げるわけではないことである。現加盟国と新規加盟国の間には、90年代半ばまでに締結された「欧州協定」に基づき、すでに直接投資と貿易を通じた緊密な経済関係が築かれてきた。加盟準備のための公的支援も、効果の「先取り」にあたる部分だ。他方で、加盟後の公的支援には、現加盟国の負担を抑制するために、当面は上限が設定されることや、予算執行能力がEU水準に見合わなければ十分な供与を受けることができない取り決めとなっている。さらに、労働力移動や不動産投資など一部の資本取引は一定期間制限され、通貨の障壁が残存することも、加盟効果を「先送り」する要因となる。新規加盟国のユーロ参加への意欲は押し並べて高いが、多くの国は財政赤字の削減、インフレの抑制、為替相場の過大評価の回避などに取り組み、ユーロ参加の条件を整える段階にある。このため、新規加盟国のユーロ参加は最も早い国でも2008年頃と見られるのである。

第2点目は、EUへの加盟がEU域外に留まる国々に対して、コストの割高化や政策的な自由度の低下など、直接投資に関わる競争条件の不利化をもたらす側面があるということである。新規加盟国は、低関税や投資関連ルール・行政手続の透明化、制度・政策に対する信認の向上といったEU加盟国としてのアドバンテージを得る反面、労働コストの割高化へとつながるEUの社会福祉政策や社会調和のための法制度を採用し、EU域内の競争条件公平化のために、法人税免除などの優遇措置の大幅な縮小を求められることになる。これにより、賃金競争の面ではすでに不利な状況にある南東欧(ブルガリア、ルーマニア、クロアチア、ウクライナ、旧ユーゴなど)など域外諸国に対するコスト面での競争条件は一層悪化するおそれがある。

新規加盟国への直接投資の流入状況を見ると、90年代前半に積極的な外資導入戦略により直接投資ブームを享受したハンガリー向けは、主だった民営化案件が完了したことや生産コストが上昇したことで、すでに頭打ちとなっている。ハンガリーに遅れて民営化が本格化し、投資ブームが波及したポーランドへの投資もピークアウトし、最近では経済情勢がようやく安定し、積極的な外資導入に転じたチェコ向けの投資が増大するなど、ブームの主役は移り変わっている(図表)。
新規加盟国の計画経済から市場経済への移行のプロセスは、この間、EU加盟というインセンティブが働き、官民両レベルでのEUとの関係強化が両輪となって、速やかに進展してきた。しかし、今後、これらの国々が、経済成長を維持するには、市場が一体化するEU現加盟国と低コストを武器に追い上げを図るEU域外諸国の双方に対する比較優位を維持・確立し、外資の導入だけでは解決できない構造問題にも取り組むことで、経済基盤を強化しなければならない。初期の直接投資ブームが一巡した国々では、相対的に高い賃金とEU加盟によるコストアップ分に見合った生産性の向上が実現できなければ、加盟のコストに見合うベネフィットを得ることができないということも考えられるのである。

 

(2004年02月09日「エコノミストの眼」)

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経済研究部   常務理事

伊藤 さゆり (いとう さゆり)

研究・専門分野
欧州の政策、国際経済・金融

経歴
  • ・ 1987年 日本興業銀行入行
    ・ 2001年 ニッセイ基礎研究所入社
    ・ 2023年7月から現職

    ・ 2011~2012年度 二松学舎大学非常勤講師
    ・ 2011~2013年度 獨協大学非常勤講師
    ・ 2015年度~ 早稲田大学商学学術院非常勤講師
    ・ 2017年度~ 日本EU学会理事
    ・ 2017年度~ 日本経済団体連合会21世紀政策研究所研究委員
    ・ 2020~2022年度 日本国際フォーラム「米中覇権競争とインド太平洋地経学」、
               「欧州政策パネル」メンバー
    ・ 2022年度~ Discuss Japan編集委員
    ・ 2023年11月~ ジェトロ情報媒体に対する外部評価委員会委員
    ・ 2023年11月~ 経済産業省 産業構造審議会 経済産業政策新機軸部会 委員

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