コラム
2002年01月07日

ユーロ現金流通のインパクト

経済研究部 常務理事 伊藤 さゆり

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1.始まったユーロの現金流通

図表1 欧州市場統合のあゆみ 2002年1月1日、欧州単一通貨ユーロの現金流通が始まった。各国の通貨は、2月末まで並行して流通した後、廃貨されることになる。

ユーロへの切り替えは、90年に始まった経済通貨同盟(EMU)の最終局面であり、同時に、経済的動機と平和と安定の確保という政治的意思に支えられた欧州連合(以下、EU)の市場統合の50年の歩みの重要な節目でもある(図表1)。
図表2 ユーロ圏、米国、日本の規模比較 現在、ユーロに参加している国はEU15か国のうち12か国、人口は3億人と米国を上回り、経済規模も米国の6割に相当する(図表2)。欧州通貨統合は、管理通貨制度に移行して以来の本格的なものである。現金切り替えの規模も史上最大となるため、盗難や偽造などの犯罪、個人や中小企業の認知不足、現金自動預金払い機(ATM)や自動販売機の対応の遅れによる混乱が懸念されたが、これまでのところは、切り替えはおおむね整然と進んでいる。

2.現金流通により通貨統合の効果は一層鮮明化

現金の流通開始によって、通貨統合の効果は、いままで以上に明確になるであろう。企業部門に生じるユーロ対応コスト、便乗値上げやユーロへの不慣れが消費を抑制する影響は短期的なものである。これらは、消費者の行動を通じて産業再編や制度の調和を促し、欧州経済の枠組みを変え、欧州の統合を次の段階につなぐ効果に比べて遥かに小さいものである。

すでにユーロ圏経済には、99年1月に決済取引のためにユーロが導入された段階から様々な変化が生じている。マクロ経済政策の枠組みは大きく変わり、各国が独自の金融政策と為替調整を放棄、欧州中央銀行(以下、ECB)による一元的な金融政策へと移行した。財政政策の主権は各国に残されているが、財政赤字をGDP の3%以内に抑制し政府債務残高の圧縮を目指す規律によって相互に監視する体制が確立された。企業部門は、為替リスクの消滅による不確実性の低下、外為手数料などのコスト負担軽減というメリットを享受する一方、国境を越えた競争に対応するため生産コストの削減や新たな収益基盤の確立に取り組み、低賃金国への生産移転や米国企業などを対象とする買収が加速した。域内の資本市場がユーロ建てとなり格段に厚みを増したことも、資金調達機会の拡大を通じて、こうした変化を後押しした。

国ごとのパフォーマンスを見ると、ユーロ導入後の顕著な傾向は、ドイツやフランスなど主要国に比べ、スペインやアイルランド、ポルトガルなど周辺国や低賃金国の経済成長が加速したことである。この背景には通貨統合の参加による信認の向上、域内金利の収斂に伴う金利の低下、為替リスクが消滅したことによる高コスト国からの直接投資の流入がある。成長が加速した国々は、通貨統合のメリットをより多く享受してきたと言えるだろう。

現金の市中流通の開始によってユーロ建てに価格表記が統一され、国境を跨いだ価格比較は一段と容易になる。この結果、価格引き下げの圧力は一層強まり、企業の生産体制の見直しを通じたユーロ圏域内の産業再編はさらに加速することになろう。

3.通貨統合の成功には構造改革と域内の制度調和が不可欠

このように、ユーロへの切り替えが持つ意味は大きいが、これだけで通貨統合の成功が約束される訳ではない。ユーロ圏経済の活性化には、生産性の向上に向けた構造改革、特に労働市場の柔軟化は引き続き重要な課題である。マクロ経済政策の面では、当面の課題としてはECBの信認確立、不況期における財政健全化基準の適用のあり方、将来的には参加国の拡大に対応した制度や運営方法の見直しも必要となってこよう。ユーロ圏には、未だ政治的統合を伴わないこと、法制、税制、会計基準などの違いが生産要素の円滑な移動を妨げている問題が残されている。現金流通の開始は、構造改革を促し、政治統合や制度の調和に向けた議論に弾みをつけることになるのかという点からも注目される。

ユーロの流通開始直後の5日、イタリアではベルルスコーニ政権の主要閣僚のユーロ批判発言に抗議し、EU統合推進派の外相が辞任、EUとの政策協調に亀裂が生じることへの懸念が広がった。深化や拡大の過程では加盟国間の利害対立が生じやすい。欧州の統合は着実に前進しているが、今後の道のりも平坦なものではないだろう。
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伊藤 さゆり (いとう さゆり)

研究・専門分野
欧州の政策、国際経済・金融

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