コラム
2015年07月28日

「少子化」進む“根深い”理由-子ども忌避する社会構造

土堤内 昭雄

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本格的な人口減少時代を迎えた今日、国をはじめとして多くの地方自治体が人口減少への危機感を露わにしている。しかし、少子化を食い止めるために、社会全体で出産や子育てを応援しようという雰囲気が余り感じられないのは、なぜだろう。私の家の前の小学校では、今年も恒例の夏休みラジオ体操が始まった。早朝から大勢の子どもたちの歓声が響き渡るが、近年では子どもの声も騒音とみなされることがあり、ラジオ体操の存続が危ぶまれる地域もあるそうだ。

また、通勤電車などに小さな子ども連れの人が乗車してくると、車内には迷惑そうな気配が広がることもよく経験する。確かに街や建物のバリアフリー化が進み、小さな子ども連れにとっても外出しやすい物理的環境は整いつつある。しかし、駅のエレベーターを必要とするベビーカー利用者などの移動制約者がいても、必ずしも優先的に使えるわけではない。厚生労働省の「21世紀成年者縦断調査」(平成27年7月)では、独身者が子どもを希望しない割合は、過去10年間に男性は8.6%から15.8%へ、女性は7.2%から11.6%へ上昇している。意識のバリアフリー化が余り進んでいない状況下では、若者たちが子どもを産み育てようと思わないのも当然かもしれない。

先日の本欄に、現代社会の少子化の主な要因は、婚姻件数と夫婦の完結出生児数の低下だと書いた*。その背景としては、非正規雇用の増加や仕事と子育ての両立の難しさなどの社会経済要因が大きいが、少子化が進むさらに“根深い”理由は、現代の子どもを忌避する社会構造にあるのではないだろうか。

本田和子著『子どもが忌避される時代~なぜ子どもは生まれにくくなったのか』(新曜社、2007年)には、日本では「子どもを産み育てる」営みが、「家制度」の崩壊と共に成人になるための基礎条件から計画と選択の可能な私的行為になり、子どもを持つことが費用対効果で評価され、非効率な子育てを忌避することも当然になった、とある。少子化を止めるためには、従来の「家のため」や「国家のため」ではなく、新たな子どもの「公共的な位置づけ」を取り戻すことが肝要だと記述されている。

新たな子どもの「公共的な位置づけ」とは何だろう。将来の社会保障制度の維持や経済成長を支える労働力の確保だろうか。「子どもを産み育てる」営みが大きなリスクを孕む今日、子どもの存在意義は曖昧になり、時に子どもは忌避される存在になった。しかし、学校の校庭に響く子どもの歓声を聞くと、私は大人として明るい未来と希望と大きな責任を感じる。対症療法的な少子化対策にとどまらず、子どもが社会の大切な構成員として包摂される社会が根源的に求められているのではないだろうか。



 
   (参考)  研究員の眼『子どもに優しい社会~「いつか来た道・いつか行く道」』(2013年8月5日)
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(2015年07月28日「研究員の眼」)

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