コラム
2010年06月24日

子育て支援の現物サービス給付はナンセンスである

遅澤 秀一

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民主党のマニフェストによれば、子育て支援策として「子ども手当て」1万3000円の上積み分は、地域の実情に応じて現物サービスに代えられるようになるようだ。現物サービスとして、保育所の定員増・保育料軽減、子どもの医療費の負担軽減、給食の無料化、ワクチン接種の公費助成などが例示されているが、都市部のニーズの中心は保育サービスであろう。待機児童問題がなかなか解消されない中、民間の託児所に子どもを預ける場合、子ども手当てではとても賄いきれないと、親の不満も強かった。また、マスコミもこれを後押ししたからであろう。問題なのは、現物サービス給付で問題が解決するかである。

親が不満なのは、保育サービスをそもそも受けられないか、あるいは、価格が高すぎるという点にある。つまり、保育サービスの供給が少なすぎることが問題なのである。供給を増やすために、地方自治体が託児所を増設するのは効率的でない。官がやれば民間よりもコストが高くなるからである。民間の保育サービスに対してクーポン等を提供するのはどうか。部分給付であれば、流動性の高い現金の方が選好されるはずで意味がない。財源に制約がある中での全額給付の場合、結局、就学前の児童に対してだけ子ども手当てを増額することになりかねない。あるいは、希望者全員にサービスが行き渡らないかのいずれかになろう。

そもそも「コンクリートから人へ」というスローガンは、公共事業から福祉へという以上の意味がある。公共事業とは名ばかりで、実は地方の建設会社や公共事業関連の公務員に対する生活支援策であったことは、周知の事実である。つまり、現物給付になると直接便益を受ける人とそうでない人との間で不公平が生じてしまうのだ。子育て支援の場合も同様で、保育サービスの現物給付を実施すると、限られた財源の中では子どもが就学前後かで不公平が生じてしまうことになるだろう。

では、どのような対策が考えられるのか。需要があるのに供給が伴わないのであるから、規制緩和によって供給を増やして、保育サービスの価格を低下させるしかない。事の本質は、供給不足による価格高騰であって、現金給付か現物給付かではないということだ。思考実験として極端な案を想定すると、地方自治体の保育サービスを民営化した上で、高齢者や母子家庭への福祉の給付を削減して労働市場への参入を促し、さらに保育等に関しては+αのインセンティブを設けた上で、保育サービスに関する資格・認可を全廃すれば、供給は増加するだろう。他人に子どもを預けるのに、無資格・無認可では不安だという声もあるだろうが、そもそも親となるのに資格や認可がいるわけではない。まず量を充足すれば、質やサービスの多様化はついてくるものだ。塾にしても、英才教育を掲げるところもあれば、授業に付いていけない生徒を対象に丁寧な指導をすることを売りにするところもあるように、市場が機能すれば多様なサービスが出てくるはずだ。質の面でも、民間の格付け機関が機能を果たすだろうし、あるいは、コミュニティでの口コミも十分役に立つだろう。

要するに、財源がボトルネックになっており、必要なサービスが供給不足の状況にある場合、現金給付か現物給付かは問題でなく、規制緩和による供給増加によって価格低下を促すしか論理的に解決策はありえないということだ。その場合、追加コストを負担するのは、民間よりも高コストの保育関連の公務員や、参入障壁に護られてきた既存の事業者のような既得権者になるだろう。
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遅澤 秀一

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