2003年09月25日

累進所得税と消費税による厚生上の損失 -所得階層別に見た税制変更の家計に及ぼす影響-

石川 達哉

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1.
少子高齢化の更なる進行を前にして、経済活動における効率改善を求める声が強まる一方、結果としての所得不平等に対する関心も高まっており、資源配分と所得再分配の両面で大きな影響力を持つ税制の改革を行うことは、公正・公平で活力ある経済社会を維持するうえで極めて重要度の高い政策課題と言える。効率と公平のトレード・オフ関係の中での可能な選択肢から社会としての価値基準に合致した最適な選択がなされるべきであり、そのための現実的な議論を進めるには、各種の税制改革がもたらす具体的な効果を明らかにする必要がある。特に、各種の税制改革が国民各層に対して厚生上の利得や損失をどの程度もたらし、所得再分配にどのような影響を及ぼすのか、総合的な効果がいかなる社会的価値基準と整合的なのか、それらがどのような条件に依存するのかについて、実証的な根拠を示すことが重要であろう。
2.
以上の課題認識に基づいた試みの1つとして、本稿では、税収上の第1位と第2位を占める所得税(住民税を含む、以下同様)と消費税が家計の行動と効用に及ぼす影響に焦点を当てた分析を行う。所得税、消費税のいずれに関しても、課税される賃金や一般の財・サービスと課税されない余暇の相対価格を変化させるため、課税に伴って超過負担(死加重損失)が発生することを避けることができない。しかし、その深刻さの度合いは、個々の家計が直面する限界税率や労働供給の賃金弾力性など家計行動の感応度に依存しており、所得階層によって税制効果も異なる。また、課税後の社会全体の厚生については、課税前の所得分布の状況や各階層の効用水準をどのようにウエイト付けして集計するかという価値判断にも依存する。累進的な所得税には所得格差を縮小させる効果があり、消費税とどのように組み合わせることが望ましいのか、税収を確保するという制約の中で現行制度をどのような方向に変更することが求められるかは、一概には論じられない。
3.
これらの問題を検討するため、最適課税論の視点を踏まえた先行研究に倣って、所得階層別の家計にnested-CES型の効用関数を想定し、税制変更に伴う各階層の厚生変化を部分均衡分析の枠組みで考察する。具体的には、労働供給と表裏の関係にある余暇と消費および貯蓄との選択に重きを置いて、現行の所得税制・消費税制とその変更が家計の効用最大化行動に及ぼす影響を所得階層別に分析する。また、所得不平等に対する回避度に応じて異なったウエイトにより各階層の家計効用を集計する社会的厚生関数を用いれば、税制について効率と公平の両方の観点から社会全体の評価が可能になる。家計の効用関数の特定化やパラメターの選択は分析結果に少なからぬ影響を与えるため、先行研究の成果を踏まえて現実のデータと照合しながら妥当なパラメター値を設定する。これは分析手法上の技術的な見地からだけではなく、各種の前提条件やパラメター値が持つ経済的な意味を吟味することが目的である。ひとつの税制変更であっても、税率の水準や所得階層によって逆方向の影響をもたらす可能性があり、そうした家計行動や効用水準の変化がいかなる条件、いかなる構造の下で実現するかを設定パラメターとの関係においても検討するためである。
4.
現役期と引退後の2期間における予算制約の中でフローの所得から現在消費と将来消費(貯蓄)の配分を行い、両者が合成された消費と余暇(労働供給)の選択から効用を得る家計のモデルの構造は次のとおりである。効用最大化の条件から導出される現在消費と将来消費の配分決定に対して所得税も消費税も直接の影響を及ぼさない。所得税と消費税が直接影響するのは、前述の合成消費と余暇の選択に対してなのである。同時に、その選択が労働供給への報酬である賃金との予算制約を満たすように決定される。現在消費と将来消費の配分を規定するウエイト・パラメターと異時点間消費の代替の弾力性は、消費性向を絡めて一定の関係式を満たしており、帰属家賃も含めて適切に計測された消費性向が所得階層によって異なれば、ウエイト・パラメターと代替の弾力性のいずれか少なくとも一方は階層によって異なることを意味する。つまり、異なった階層に属する家計は所得水準が違うだけでなく、合成消費と余暇の選択行動における嗜好の違いを持っていることになる。もし、異時点間の代替の弾力性が1.0であれば、現在消費と将来消費のウエイト・パラメターは消費性向に一致する。異時点間の代替の弾力性を橋本・大竹・跡田・齊藤・本間(1989)で採用されている全世帯共通の値0.4に設定し、2002年の「家計調査」における「標準世帯」(有業者1人の4人家族)のデータに当てはめると、各階層の現在消費のウエイト・パラメターは1(100%)に近い値が計測される。そして、多くの先行研究における推定結果を参考にして、合成消費と余暇の代替の弾力性を全世帯共通の0.3に設定し、データに当てはめると、各階層の合成消費に対するウエイト・パラメターは更に1(100%)に近い値となる。なお、フローの所得でのみ生涯の予算制約を考える当該モデルの枠組みは、フローの所得に比べて保有資産の額が小さい家計や、高額の資産を保有していても自らは手をつけずに遺産として残してしまうような家計を暗黙のうちに想定していることになる。
5.
上記の手続きによって推定されたモデルを用いれば、現行税制下における超過負担(死加重損失)を計測することができる。税制が存在しない状況を起点として、相対価格変化による代替効果を生じさせない架空の定額税を所得階層別に想定し、現実の効用と同水準の効用を実現する定額税の額をモデルから求めると、その額は現実の所得税・消費税・社会保険料の総計を上回る。両者の差額が現行税制による超過負担である。現実の総税負担額に対するこの超過負担額の割合を所得階層別に見ると、階層間の差は比較的小さい。一世帯当たりの加重平均値は12.3万円、現実の総税負担額の11.1%にとどまっている。ただし、消費税や所得税を増税すれば、この超過負担も逓増することになる。
6.
政府税制調査会の「中期答申」によって示された「二桁の消費税率」に対応する消費税率5%引き上げが実施された場合の影響は上記のモデルを用いて試算することが可能である。重要な結果は次の3点である。第1に、すべての所得階層で労働供給が増加する。これは、余暇以外の財・サービス需要の課税後価格上昇に伴う余暇への代替効果を、余暇需要への負の所得効果の方が上回るためである。第2に、所得階層別に効用水準の変化を見ると、高所得層ほど効用水準の低下率が大きくなる。第3に、1世帯当たりの加重平均値で見た税・社会保険料の合計額は年間23.0万円増加する。その内訳は、消費税19.2万円、所得税2.1万円、社会保険料1.7万円である。また、消費税率引き上げ幅が2倍の10%の場合についても試算すると、労働供給についてはすべての世帯で増加し、効用水準も高所得層ほど低下率が大きくなるという、消費税率5%引き上げの場合と同様の結果が得られた。1世帯当たりの加重平均値で見た税負担増は、消費税37.6万円、所得税4.0万円、社会保険料3.3万円、総計44.8万円となり、消費税率引き上げ幅1%当たりの政府収入増加効果はやや逓減する。
7.
消費税率引き上げを代替する所得税制変更には様々な可能性があり得る。このうち、現在の所得階層間の相対的な累進度を維持しつつ増減税を行う形態として、すべての所得階層の限界税率を同じ幅で引き上げる方法がある。消費税率5%引き上げと同じ政府収入をもたらすのに必要な限界所得税率の事前的な引き上げ幅を反復計算によって求めると、3.37%となる。この税制変更によって、消費税率5%引き上げの場合と同じように、労働供給はすべての階層で増加する。そして、効用水準の低下率が高所得層ほど大きくなることも同様である。1世帯当たりの加重平均値で見た負担増の内訳は、消費税-0.4万円、所得税22.1万円、社会保険料1.2万円である。消費税率5%引き上げと比べると、年収600万円以下の階層にとっては限界所得税率引き上げによる方が総負担は小さい。しかし、全般的に差はきわめて小さい。また、分配の不平等度を示すタイル指数を見ても、格差是正効果における消費税率引き上げと限界所得税率引き上げの差はきわめて小さい。このため、所得不平等回避度に応じて定義した社会的厚生関数においても、2つのケースの差は小さい。
8.
生涯消費に関する予算制約式に保有資産から生ずる財産所得だけでなく、資産残高を含める形でこれまでの基本モデルを拡張すると、効用最大化条件から導出される変数相互の関係式は、基本モデルにおける可処分所得を期首資産と可処分所得の和に読み替える形になる。また、現在消費と将来消費のウエイト・パラメターと異時点間消費の代替の弾力性も、消費に対する期末資産の割合との関係に読み替えられ、フローの所得のみで予算制約を考える場合とは大きく異なる値が計測される。この代替的モデルは、主として、保有資産を自分の代で使ってしまう家計に適している。異時点間の代替の弾力性を基本モデルと同じ0.4に設定し、99年の「全国消費実態調査」のデータに当てはめると、各階層の現在消費と将来消費のウエイト・パラメターは0.019~0.084となる。合成消費と余暇の代替パラメターとウエイト・パラメターの相互関係は基本モデルとほとんど変わらない。
9.
代替的モデルを用いて消費税率5%引き上げのシミュレーションを行うと、低所得層を中心に労働供給を増加させる度合いが高まるが、高所得層ほど効用水準の低下率が大きいことなど、全般的には基本モデルの結果と大きく異ならない。他方、同じ政府収入が得られる限界所得税率4.62%引き上げの場合には、多くの世帯で労働供給が減少するという顕著な違いが現れる。労働所得税課税は保有資産には及ばないため、資産を取り崩して消費できるという構造の下で労働よりも余暇が選択されやすいことを具現したものと解釈できる。
10.
以上の結果は、効用関数の特定化やパラメター設定、予算制約式における資産の取り扱いなどに依存している。しかし、重要なことは、条件を明示しながら議論することであり、税制改革論議に向けた材料提示は可能である。避けるべきは先入観で可能な選択肢を最初から狭めてしまうことである。社会全体にとって、消費税率5%引き上げと同じ政府収入をもたらす限界所得税率3.37%引き上げとは甲乙つけ難いという結果は、その一例であろう。また、結果の解釈に際しても、引退後の家計がどの程度資産を取り崩すと考えるべきか、社会保険料負担をどのように位置づけるべきかなどの論点は、分析上の技術的課題というより、税制や公的年金制度のありように関わる問題である。税制の影響は繊細で複雑であり、望ましい税制の実現に向けて理論分析や実証研究を重ねることが重要であろう。

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