2023年06月08日

年金額改定の本来の意義は実質的な価値の維持-2023年度の年金額と2024年度以降の見通し (1)

保険研究部 上席研究員・年金総合リサーチセンター 公的年金調査室長 兼任 中嶋 邦夫

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1 ―― 本稿の問題意識:年金額改定の本来の意義を確認する

6月15日は、2023年度で最初の公的年金(4~5月分)の支給日である。2023年度の年金額は、前年の物価上昇を受けて、67歳までは前年度比+2.2%増、68歳からは+1.9%増と3年ぶりの増額となった。しかし、同時に、3年ぶりにマクロ経済スライドによる調整(-0.6%)が発動されており、実質的には目減りとなっている。

そこで本稿では、年金額改定のルールのうち本来の改定について、意義や経緯を確認する。

2 ―― 改定ルールの全体像

2 ―― 改定ルールの全体像:本来のルールと年金財政健全化のための調整ルールの2つを適用

公的年金の年金額は、経済状況の変化に対応して価値を維持するために、毎年度、金額が見直されている。この見直しは改定(またはスライド)と呼ばれ、今年度の年金額が前年度と比べて何%変化するかは改定率(またはスライド率)と呼ばれる。ただ、現在は年金財政を健全化している最中であるため、年金額の改定率は、常に適用される改定率(以下、本来の改定率)と年金財政健全化のための調整率(いわゆるマクロ経済スライド1)を組み合わせたものとなっている(図表1)。
図表1 年金額改定ルールの全体像

3 ―― 本来の改定ルールの基本的な意義

3 ―― 本来の改定ルールの基本的な意義:年金額の実質的な価値を維持するため

本来の改定ルールは、年金財政の健全化中か否かにかかわらず常に適用されるルールを指す。経済状況の変化に対応して年金額の実質的な価値を維持する、という年金額改定の基本的な役割を果たすための仕組みである。

2000年改正の前までは、受け取り始めるまでの(新規裁定の)年金額も受給開始後の(既裁定の)年金額も、約5年ごとの法改正によって、加入者全体の賃金水準の変化に連動して改定されていた2。これは、おおまかにいえば、年金受給者の生活水準の変化を現役世代の生活水準の変化、すなわち賃金水準の変化に合わせるためである。言い換えれば、現役世代と引退世代が生活水準の向上を分かち合う仕組みといえる。また、この仕組みは年金財政の観点からも合理的である。年金財政の主な収入は保険料で、これは賃金の水準に連動して変化する。このため、年金財政の支出である給付費も賃金に連動して変化させれば、年金財政のバランスは維持される。

しかし、この財政バランスが維持される話は、現役世代と引退世代の人数のバランスが変わらない場合にしか成り立たない。少子化や長寿化が進む社会では、現役世代の人数が減って保険料収入が減り、引退世代の人数が増えて支出である給付費が増えるため、財政バランスが悪化する。そこで2000年改正後は、受給開始後(66歳以上)の年金額は物価水準の変化に連動して改定されることになった3。過去の経済状況では賃金の伸びよりも物価の伸びの方が低かったため、この見直しによって給付費の伸びを抑え、将来の保険料の引上げを抑えることが期待された。

さらに2004年改正では、従来は法改正を経て行われていた年金額の改定を、予め法定したルールで毎年度自動的に行うことになった。これにより、年金額の改定がその時々の政治状況に左右されにくくなった。具体的なルールは図表2のように規定された。賃金水準の変化については、年金水準の過度な変動を抑えつつ物価変動にはなるべく早く対応するため、前年(暦年)の物価上昇率と実質賃金変動率の2~4年度前の平均を合わせた名目手取り賃金変動率が適用される形になった4。これに伴い、改正前と同様に64歳時点までの賃金変動率が年金額に反映されるよう、受給開始後でも67歳になる年度までは名目手取り賃金変動率が適用されることになった。
図表2 本来の改定ルールの原則
 
2 毎年度の年金額は物価上昇率に連動して改定され、5年目に過去5年分の賃金変動率に合わせて改定される方式だった。
3 諸外国の中には受給開始後の年金額を物価水準の変化に連動する国があることも、見直しの根拠とされた。
4 前年度の実質賃金変動率が参照されないのは、改定率を決定する時点(改定率が適用される前年度の1月)では前年度が終わっておらず、判明する直近の実質賃金変動率が2年度前のものになるためである。なお、実質賃金変動率の計算では、各人の賃金の変動を反映するために、性・年齢構成の変化の影響は除去される。また、2020年の法改正により、2024~2029年度の実質賃金変動率の計算では、2022年と2024年に実施される厚生年金の適用拡大の影響も除去される。

4 ―― 本来の改定の特例:

4 ―― 本来の改定の特例:当初は当面の受給者に配慮、2021年度からは将来の給付水準に配慮

1|2004年改正で特例ルールが設けられた意図:当面の受給者への配慮
2004年の改正では、上記の原則的なルールに加えて特例ルールも規定された。従来は賃金の伸び(賃金変動率)が物価の伸び(物価変動率)を上回ることが一般的だったが、2000年代に入ると賃金変動率が物価変動率を下回る場合も想定されるようになってきた。そこで、賃金変動率が物価変動率を下回る場合には、現役世代の賃金の伸びと年金額の伸びとのバランスや、既に引退して公的年金以外に収入源が乏しい受給者の生活への影響などを考慮して、原則とは異なる特例的なルールが設定された(図表3の中央)。

特例的なルール(図表3の(4)~(6))が設けられた理由は、それぞれ次のとおりである。

賃金変動率と物価変動率がともにマイナスでかつ賃金変動率が物価変動率よりも小さい場合(図表3の(4)の場合)は、原則どおりだと受け取り始めた後の年金額の改定率が新しく受け取り始める年金額の改定率より高くなるため、2000年改正の主旨に反して不適切である。しかし、受け取り始めた後の年金額を物価変動率を下回る賃金変動率で改定して名目額でも実質額でも前年度を下回らせるのは不適切という理由で、新しく受け取り始める年金額の改定率を賃金変動率よりも高い受け取り始めた後の年金額の改定率(すなわち物価変動率)に揃えることになった。

賃金変動率がマイナスで物価変動率がプラスの場合(図表3の(5)の場合)は、前の場合(図表3の(4)の場合)と同様に、原則どおりだと受け取り始めた後の年金額の改定率が新しく受け取り始める年金額の改定率より高くなるため、2000年改正の主旨に反して不適切である。しかし、受け取り始めた後の年金額の改定率を、ゼロ(前年度と同額)よりも低くしてまで新しく受け取り始める年金額の改定率に合わせるのは不適切という理由で、新しく受け取り始める年金額の改定率と受け取り始めた後の年金額の改定率をともにゼロにする、という、いわば痛み分けの形になっている。

賃金変動率と物価変動率がともにプラスで、かつ賃金変動率が物価変動率よりも小さい場合(図表3の(6)の場合)は、現役世代と年金受給者とのバランスを考慮し、現役の賃金の伸びを上回る年金額の引き上げは不適切という理由で、受け取り始めた後の年金額の改定率を物価変動率よりも低い賃金変動率にとどめることになっている5
図表3 本来の改定ルールの全体像(原則と特例)
 
5 以上の説明は、2004年改正時の厚生労働省の説明(具体的には、厚生労働省数理課『厚生年金・国民年金平成16年財政再計算結果(報告書)』, p.102)を参考に記載した。なお、2016年改正に近い厚生労働省の説明(例えば、社会保障審議会年金部会(2014年10月15日)の資料1 p.6)では、後述する見直しを念頭に置き、受け取り始めた後の年金額の改定率が新しく受け取り始める年金額の改定率より大きくなると給付と負担の長期的なバランスが保てなくなる旨が、記載されている。
2|特例ルールの見直し(2016年改正、2021年度施行):将来の給付水準や現在の現役世代を考慮
この特例的なルールのうち、賃金変動率が物価変動率よりも小さくかつ賃金変動率がマイナスである(4)と(5)の場合には、年金財政の支出を左右する年金額の改定率が年金財政の保険料収入を左右する賃金変動率よりも高くなるため、年金財政が悪化する方向に働く。年金財政が悪化すると、別稿で説明する年金財政健全化のための調整(マクロ経済スライド)をより長期に行う必要がでてくるため、将来の給付水準(所得代替率、図表4右側の黒線)は、特例がない場合(図表4右側の赤線)よりも低下する。その一方で、特例に該当した時点の給付水準(所得代替率)は、分子の年金額の伸び率である改定率が、分母の現役世代の賃金の伸び率である賃金変動率よりも高くなるため、上昇する(図表4左側の黒線)。つまり、「特例がない場合と比べて、特例に該当した時点の高齢者はより高水準の給付を受け取れる一方で、将来の高齢者はより低水準の給付を受け取ることになる」という意味で、世代間のバランスが悪化する。

これらの特例に該当する場合が稀であれば大きな問題はないが、制度開始後に多くの年度で該当した(図表3左の◆)。そこで2016年の法改正で、図表3のうち(4)と(5)の場合も(6)と同じルールを適用して年金財政を悪化させないように見直された(図表3の右)6。この改正を盛り込んだ法案は野党から「年金カット法案」と呼ばれたが、カットというよりも前述した給付水準の上昇を抑える内容である。この改正により改正前と比べて年金財政健全化のための調整(マクロ経済スライド)を早めに停止でき、将来の給付水準が上昇する(図表4右側の丸い吹き出し)7

また、この改正は、年金受給者が現役世代の痛みを分かち合う形への変更とも言える。見直しの対象となった図表3の(4)~(5)のケースでは、物価変動率が賃金変動率を上回っているため、現役世代の賃金の価値が目減りしている状況である。改正前の(4)と(5)のケースでは、年金額の改定率が賃金変動率よりも高くなるため、年金受給者は現役世代よりも痛みが軽い状況にあったと言える。改正後は、年金額の改定率が賃金変動率と同じになるため、年金受給者も現役世代と同じ痛みを分かち合うことになる。
図表4 本来の改定率の特例によって、年金財政の健全化に必要な調整期間が長引いたり、当面の給付水準(所得代替率)が上昇する一方で将来の給付水準が低下するイメージ
なお、この見直しは年金財政や世代間のバランスにとって大変有意義だが、施行は2021年度からと遅めになった。この理由は、年金額の改定に使う賃金変動率(名目手取り賃金変動率)に、2017年まで続いた保険料率の引上げが影響しなくなってから実施するため、と説明されている8。これは、年金受給者に対する配慮と理解できる。保険料率の引上げが影響しない賃金変動率は影響している賃金変動率よりも高いため、影響しなくなってから実施することで今回の見直しによる改定率の低下の影響を抑える効果がある。早期に実施された方が財政悪化の懸念が減って将来の給付水準の低下を防ぐ効果があるが、現在の受給者は既に退職しているため、制度の見直しで予定外に年金給付が目減りした場合に家計をやりくりする余地が小さくなっている。遅めの施行時期は、将来への配慮と現在への配慮のバランス、言い換えれば世代間の思いやりが重要であることを示唆している、と言えるだろう。
 
6 この改正により、本来の改定ルールは、67歳になる年度までの改定率は常に賃金変動率、68歳になる年度からの改定率は賃金変動率と物価変動率のどちらか小さい方、と単純化された。
7 新聞などでこの利点が解説され、各紙の世論調査での同法案に対する賛成の割合は、法案審議から審議後にかけて上昇した。中嶋邦夫(2018)「『年金カット法案』は全国紙3紙でどう報道されたか」『日本年金学会誌』, Vol.37, p.26-30 参照。
8 社会保障審議会年金部会(2016年3月14日)議事録。保険料率の引上げは図表2の可処分所得変化率に影響する。3年度前の値が用いられるため、最後の引上げとなった2017年度の影響は2020年度の改定に影響した。
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保険研究部   上席研究員・年金総合リサーチセンター 公的年金調査室長 兼任

中嶋 邦夫 (なかしま くにお)

研究・専門分野
公的年金財政、年金制度全般、家計貯蓄行動

経歴
  • 【職歴】
     1995年 日本生命保険相互会社入社
     2001年 日本経済研究センター(委託研究生)
     2002年 ニッセイ基礎研究所(現在に至る)
    (2007年 東洋大学大学院経済学研究科博士後期課程修了)

    【社外委員等】
     ・厚生労働省 年金局 年金調査員 (2010~2011年度)
     ・参議院 厚生労働委員会調査室 客員調査員 (2011~2012年度)
     ・厚生労働省 ねんきん定期便・ねんきんネット・年金通帳等に関する検討会 委員 (2011年度)
     ・生命保険経営学会 編集委員 (2014年~)
     ・国家公務員共済組合連合会 資産運用委員会 委員 (2023年度~)

    【加入団体等】
     ・生活経済学会、日本財政学会、ほか
     ・博士(経済学)

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