コラム
2019年10月31日

指標の罠~定量化には落とし穴も~

櫨(はじ) 浩一

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1――経済見通しの季節

年末が近づいてくると、政府では来年度予算の策定作業が佳境を迎え、予算の前提となる政府の経済見通しが発表される。政府経済見通しの経済成長率が何%になるかは、税収の予測を通じて予算規模に影響するなど、様々な経済活動に影響を与えるので社会の注目を集める。民間エコノミストも企業の経営計画や金融市場の動向の予想のために必要な来年度の経済予測作業で忙しくなる。筆者がエコノミスト生活を続けてきた間、全く変わらない年中行事である。

経済成長率はGDP(国内総生産)の伸び率のことだが、GDPは日本の経済活動水準を示す総合的な経済指標であり、数ある経済指標の中で最も重視されるものだ。しかし、GDPが重要な経済指標であるとは言っても、日本経済の全てを表しているわけではなく、他の様々な指標にも目配りが欠かせない。かつては、政府に毎年度の政府見通しの経済成長率達成が要求されることも多かったが、無理をして高い経済成長率を実現しても一時的な効果しかないことがあきらかとなり、何が何でも一定の経済成長率の実現が求められることはなくなった。

2――定量化の落とし穴

政府の政策や企業活動の目標を表す定量的な指標があれば、現状と目標との距離を客観的に示すことができる。現在の方針で目標が達成できるのか、達成のために何か追加的な努力が必要なのかを、誰の眼にもわかる形で客観的に把握できるようになり、目標の達成には大いに役立つはずだ。

しかし、目標を評価するのに適切な指標を使わないと、本来の目的に反する結果になってしまう恐れもある。病気になると熱が出て体温が高くなるが、体温を下げたからといって病気が治るわけではない。解熱剤のようなものを服用して熱が下がって体調が改善したかのような錯覚を起こしてしまい、病気の本体の治療が遅れるようなことがあれば、体温という指標の利用は却って有害になってしまう。

また、指標自体は適切であっても、指標を利用することが人々の行動を変えてしまうと有効に機能しなくなる恐れもある。例えば、医師の治療成績を単純に比較するようなことをすると、治療成績を良くしようとして医師が軽症の患者を選び、重症患者を忌避する恐れがあると指摘されている。より良い医療が行われるように医師の技量改善を目指した指標が、人々に必要な医療が供給されない原因ともなりかねないのだという。

3――見えない問題に目配りを

多くの場合には目標が一つだけではなかったり、達成すべき目標は一つであっても複数の要素に配慮する必要があったりする。配慮すべき要素のなかには、数値化が難しいものがあったり、適切な指標が簡単には手に入らなかったりすることも多い。簡単に手に入る指標だけに眼が行ってしまい、良いデータの入手が困難な問題が軽視されてしまうという問題もある。政府の統計には、問題が深刻になったために整備されるようになったものも少なくない。本当に深刻になるまでは、問題に注目している人も多くないので、政策などの判断を行う根拠となるデータを集めることすら行われない。問題が深刻かどうか判断するための根拠となる証拠が無いということは、問題が存在しないということを意味するわけではないのだ。

GDPは日本経済全体にとって最重要と言っても良いほどの経済指標だが、これだけで日本経済のすべてが示されているわけではない。GDPが大きく伸びていても、水質や大気の汚染がひどくなるなどの重大な問題が悪化していて、人々の生活が良くなったとは言えないということも起こり得る。どれほど優れた指標であっても、それだけを見て社会が良くなったかどうかを判断できるようなものは無い。

日本に住む人達の生活をより良いものにするという最終的な目標は、非常に多くの要素から成り立っている。経済的な豊かさが増せばそれ以外の問題も自動的に改善するというわけにはいかないし、そもそも日本経済に関する最も総合的な指標ではあっても、GDPが拡大すれば人々の経済的な状況が改善しているとは言い切れない。経済の世界だけで考えてもGDPのみならず様々な指標の動きに眼を配る必要がある。
 
21世紀はデータの世紀とも言われ、定量的な指標が注目されることが多いが、そこには我々が陥りやすい様々な罠があることを常に意識することが必要であろう。
 
 

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櫨(はじ) 浩一 (はじ こういち)

研究・専門分野

(2019年10月31日「エコノミストの眼」)

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