2017年05月22日

Brexitを踏まえた保険会社の拠点移転等を巡る動きについて-英国のパスポート権の喪失を見据えた保険会社及び監督当局の対応-

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1―はじめに

英国のEU(欧州連合)からの離脱(Brexit)については、約1年前に、保険・年金フォーカス「英国のEU離脱(Brexit)は英国の保険会社にどのような影響を与えるのか-財務面・監督規制への影響を中心に-」(2016.6.29)(以下、「前回のレポート」という)で報告した。

その後、Brexitを巡っては、各種の動きが見られたが、2017年3月29日に、英国のTheresa May首相が、欧州理事会のDonald Tusk議長に対して、リスボン条約第50条を発動して、EU離脱の意向を正式に表明する書簡を送付したことで、Brexitの手続きが正式にスタートした形になっている。Theresa May首相は6月に総選挙を実施する意向を示し、ここでBrexitの阻止に向けた大きなより戻しの動きがなければ、Brexitに向けて、英国とEUの間の交渉等がさらに進んでいくことになる。

なお、Brexitの内容については、現段階ではソフトBrexitではなくて、ハードBrexitになる可能性が高いと想定されており、英国に拠点を置いて、EUに事業展開している保険会社各社の今後の対応がますます注目されるところとなっている。

今回のレポートでは、Brexitに伴うパスポート権の動向を踏まえての保険会社の拠点移転や新設を巡る動きや保険監督当局の対応状況について、報告する。なお、本家本元である英国の保険監督当局であるPRA(Prudential Regulation Authority:健全性規制機構)の動向については、現時点でパスポート権に関するスタンスが明確でないことや、パスポート権以外の多くの監督・規制に絡む問題が幅広く関係してくることから、これらを含める形の別途のレポートで報告することとする。今回はBrexitによる保険会社の欧州拠点の主要な受入先として想定されているアイルランドの保険監督当局の動向について報告する。

また、BrexitによるソルベンシーII規制や市場への影響等については、今回のレポートでは触れていないので、この点については前回のレポートを参照していただきたい。
 

2―全体的な状況-パスポート権の現状とその喪失による影響-

2―全体的な状況-パスポート権の現状とその喪失による影響-

この章では、Brexitによるパスポート権に関係する保険会社の影響の全体像について報告する。

1|一般的な状況
EUの法律によれば、加盟国における保険会社は、1つの加盟国でのライセンスにより、各個別の加盟国のライセンスを取得しなくても、他の全ての加盟国で、業務を実施し、サービスを提供することができる権利が与えられている。これを「パスポート権(passporting rights)」と呼んでいる。単一市場のパスポートは、金融機関にEU全体で、サービスを提供したり、支店を開設する権利を与えることになる。

Brexitが金融機関に与える影響に関連して、FCA(Financial Conduct Authority :金融行動監視機構)は、2016年8月17日に、財務省特別委員会(the Treasury Select Committee)宛に書簡1を送っている。その中で、欧州の保険会社のパスポート権の状況が明らかにされている。

パスポートにはいくつかの種類があり、企業の活動の種類により、どの指令が適用されるのかによって異なっている。英国ではこれらのパスポートは、一般的にFCAまたはPRAによって発行されるが、保険会社の場合、最も関連性の高いのは、ソルベンシーII指令の下での「支店の設立とサービスの提供」についてのパスポートであり、これはPRAによって発行される。

英国金融機関及び英国で事業展開する外国金融機関のパスポート保有状況は、以下の図表の通りである。ここに、「Outbound」は、英国の監督当局によって、英国金融機関が他のEU加盟国で事業展開することを認めるために発行されたものであり、「Inbound」は、(英国以外の)EU加盟国の監督当局によって、当該国の金融機関が英国で事業展開することを認めるために発行されたものである。

1つの会社が、対象となる単一市場指令のパスポートを保持することになるが、1つの指令の下で複数のパスポートを保持することになることから、合計パスポート数は、パスポートを使用している会社数を大きく上回ることになっている。特に、英国の「Outbound」パスポートについては、国毎に別々のパスポートが要求されることから、合計パスポート数は大きなものとなっている。
パスポートの保有状況(英国及び英国で事業展開する金融機関)
上記の数値は2016年7月27日時点のものであるが、これによれば、いくつかのパスポートを保有する合計5,476の英国金融機関のうち、ソルベンシーII のパスポートを持つ英国保険会社が220社あった。

一方で、英国以外のEU加盟国からのソルベンシーIIのパスポート承認を得て英国で事業を行っている保険会社の数は、合計8,008の外国金融機関のうちの726社であった。
パスポートがなければ、会社は、欧州での事業を継続するために加盟国の監督官庁からの承認を得なければならず、ほとんどの場合、それぞれの国で子会社を設立する必要があることになる。
 
2|英国の保険会社への影響
従って、Brexitにより、英国がパスポート権を保持することができなくなった場合、英国以外のEU加盟国で事業展開している英国の保険会社が影響を受ける可能性がでてくる。

この点について、シンクタンクのOpen Europe が2016年10月に公表したレポート2によれば、英国の保険業界は他の金融サービス分野に比べて、欧州市場への依存が低く、2015年において、他のEU諸国の比率は、保険以外の金融サービスでは44%であったのに対して、保険では25%であった。さらに、87%という大多数の保険サービスは、パスポートではなく子会社を通じて提供されており、残りの13%だけが、パスポートを使用して取引を行っていると指摘した。ただし、Lloyd’s of Londonのみが例外で、ロンドンを拠点とする引受業者のプールがEU全体のクライアントに奉仕することを認めている現在の規制に依存している、とした。

IMF(国際通貨基金)も、2016年6月の英国の国民投票の前に、多くの保険会社が既に子会社を通じてEUで事業展開しているため、保険業界への影響は相対的に小さいが、Lloyd's については、国境を越えた監督上の承認がないと、大幅に影響を受ける可能性がある、としていた。

従って、Brexitに対しては、Lloyd’s of Londonへの影響をカバーするために、英国とEUの間で特別な取り決めを行う必要があるが、多くの保険会社は、既存のEU諸国における子会社の機能等を拡大することで対応し、一部の保険会社が新しい子会社を設立することで対応することになるだろう、と考えられている。
 
2 Open Europeのレポート「How the UK’s financial services sector can continue thriving after Brexit 」http://2ihmoy1d3v7630ar9h2rsglp.wpengine.netdna-cdn.com/wp-content/uploads/2016/10/0627_Digital_Pages-Open_Europe_Intel-Thriving_after_Brexit-V1.pdf
3|英国で事業展開する(英国以外の)EU(又はEEA)の保険会社への影響
英国がEUの加盟国でなくなった場合、英国で事業展開するEEA(欧州経済領域)からの保険会社も影響を受ける可能性がある。現段階では、英国政府やPRAは、EEAからの保険会社のパスポート権の取扱についての立場を明確にしていない。

EUは英国の単一市場へのアクセスを厳しく規制する見通しだと言われている。そうであれば、報復的に英国政府がEEAからの保険会社の英国保険市場へのアクセスについて厳しい規制を課すことも交渉戦略としては考えられることになる。ただし、英国市場において、EEAからの保険会社の存在を失うことは、英国市場にとってむしろ不利益になる可能性がある。さらには、City(シティ)の位置付けにさらなるマイナスの影響を与えることにもなりかねない。

いずれにしても、EEAからの保険会社は、英国政府等の方針を勘案しつつ、英国の保険市場で引き続きプレゼンスを保持するのか、その場合に、実質的なパスポート権の継続を期待して、引き続き支店形式を継続するのか、あるいはパスポート権が喪失するリスクを考慮して、子会社の設立を進めるのか、今後の方針を決定していくことが求められてくることになる。
4|英国に欧州本部をおいているEU(又はEEA)以外の保険会社への影響
EU域外の北米やアジア・太平洋地域等からの保険会社は、英国のロンドン等を大陸欧州へのゲートウェイとして位置付けて、欧州本部をおいているケースが多い。こうした会社の場合、英国の保険会社と同様に、英国のパスポート権が認められなくなった場合、EU加盟国で事業展開を行うためには、英国以外のEU加盟国に拠点となる子会社等を設立して、本部を移転する必要がでてくることになる。
(参考)欧州大手保険グループ等への影響
基礎研レポート「欧州大手保険グループの2016年決算状況について(1)-低金利環境下での各社の生命保険事業の地域別の業績や収益状況はどうだったのか-」(2017.4.25)及び「欧州大手保険グループの2016年決算状況について(2)-低金利環境下での各社の生命保険事業の地域別の業績や収益状況はどうだったのか-」(2017.4.26)で取り上げた欧州大手保険グループ7社のうち、英国の生命保険事業がグループ全体の中で相対的に大きなプレゼンスを有しているのは、英国を親会社国とするPrudentialとAvivaに加えて、AegonとZurichの合計4社である。AXAとAllianzとGenaraliのそれぞれのグループ会社の生命保険事業の中における英国のプレゼンスは、現時点での数値に基づけば、あまり大きくない。先の4社はBrexitに伴うパスポート権への影響について、2016年のAnnual Reportや2017年第1四半期の公表資料等において、以下の通り述べている。

(1) Prudential:基本的にはグループに対して、最低限の戦略的及び財務的な影響しか与えない。
(2) Aviva:大多数の事業は各国の子会社ベースで行われているため、大きな影響はない。
(3) Aegon:英国に子会社を有していることから、直接的な影響はない。
(4) Zurich:英国に子会社を有しているが、Brexitの動向は懸念事項である。

また、英国のPrudential、Aviva以外の主要保険会社の反応は、以下の通りである。

(1) Legal & General:EU市場からのリスクエクスポジャーは最小限度である。
(2) Standard Life:法制や規制への影響やパスポート権についての不透明性についての懸念を有している。

このように、欧州の大手保険グループや英国の主要保険会社にとっては、Open Europe等が述べているように、Brexitに伴うパスポート権に関係する直接的な影響については管理可能(Manageable)なようである。

ただし、各社とも、今後の英国やEUにおけるソルベンシーII規制等の動向の不透明性や市場に与える影響についての懸念を表明しており、こうした観点からは、Brexitは経営にとって引き続き重要な関心事項となっている。
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中村 亮一

研究・専門分野

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