コラム
2014年01月27日

いま、求められる「対話する力」-ダイアログ型社会とディベート型社会

土堤内 昭雄

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今から30年近く前になるが、留学していたアメリカの大学で、「ディベート」の授業を受けたことがある。その時のテーマは「銃規制の是非」だったと記憶している。クラスの学生を賛成派と反対派に二分し、それぞれのチームが自らの主張を正当化する論理を構築し、相手を説得するためのプレゼンテーションをする。授業の後半は、両チームの立場を逆転しての議論が続いた。

学生時代に行うこのような訓練が、教育的な大学の授業であればともかく、社会に出てから実践の場面で通用するとなると、何か腑に落ちない点がある。それは論理構成力があり、弁舌の立つ人間の主張することが、あたかも正論のように社会にまかり通ってゆくからだ。まさに『勝てば官軍』だ。しかし、社会には表現が稚拙でも、その意見が理に叶っていることもたくさんあるはずだ。

このようなディベート型社会では、頭がよく、プレゼンテーション能力の高い人の主張が、正義や正論であるかの如く認知される。そこに反対意見があれば、激しい軋轢が生じ、立場の違いは論理と論理のぶつかり合いとなり、お互いの力ずくの説得が問題解決の方向性を決めてゆく。

一方、ダイアログ型社会では、まず自分の主張をするのではなく、相手の主張に耳を傾けることから始まる。最初から自己の正当性を相手に押し付けるのではなく、相手の主張を理解するために相互の共通点を探し、相手のものの見方を観察する。それによって自論が変わることもあり得るのだ。

近年、TPPなど利害関係が錯綜する国際間の課題も多い。利害関係者がお互いの立場をしっかり主張することは重要だが、ディベート型の正当性をいくら積み重ねてもなかなか打開策は見つからない。まずは双方が率先垂範し、相手の話に耳を傾けるダイアログ型のアプローチをとらなければ事態は前進しないのである。

先日、本欄で紹介した鷲田清一著『パラレルな知性』(晶文社、2013年)には、『「ダイアローグを通じて考えを変える」とは、無節操に自説を曲げることではない。じぶんの考えを絶対視せず、別の視点・他者の視点からも考える複眼的な柔軟さを持つこと』と書かれている。そして全員が同意できる「正解」がない場合も、「理解できないけれど納得はできる」ことがあるという。鷲田さんは「納得」は長くて苦しい議論、譲れない主張の応酬の果てに生まれ、そこで初めて相手に歩み寄り、相手の内なる疼きを本当に聴くことができる、と述べている。複雑で解決の難しい問題を内外に多く抱える今の時代を乗り越えるためには、辛抱強い「対話する力」が求められているのである。

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