コラム
2010年08月30日

演劇とロボットの出会いが問いかけるもの――――「森の奥」を見て

吉本 光宏

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8月21日から始まった「あいちトリエンナーレ」で、ロボット版「森の奥」の世界初演が行われた。現代口語演劇で知られる劇作家・演出家の平田オリザと、社会で活躍できる知能ロボット研究の世界的な第一人者である石黒浩研究室(大阪大学)が共同で作り上げた作品である。
あいちトリエンナーレ ロボット版「森の奥」 舞台は中央アフリカ・コンゴ、「ボノボ」という類人猿を飼育する研究室。二体のロボット「wakamaru」が、サル研究者と生化学者という「二人の俳優」として登場する。人類とサルの違いは何か、人間の病気を克服するために動物実験は許されるべきか、では類人猿「ボノボ」の生体実験は正当化できるのか。ベルギーの王立フランドル劇場の委嘱作品として2008年春に初演された「森の奥」は、元々、そうした根本的な問いを投げかける作品である。しかし、出演者の一部をロボットが演じることで、その問いはよりシリアスな形で観客に突きつけられる。舞台上のストーリーはもちろん虚構だ。そこに人間の虚構とも言えるロボットが登場することで、作品の主題はよりリアルなものとして立ち現れてくる。我々人類は一体何者なのか――。

これまでも映画には数多くのロボットが登場し、人間と共演してきた。スターウォーズのR2-D2やC-3POは、今見ても新鮮だ。しかし、演劇が映画と大きく異なっているのは、「生身」のロボットが、生身の俳優と一緒に目の前の舞台でライブで演じるということである。映像作品と異なり、そのことにおいて、一切の人工的な加工や処理を行うことはできない。

「ロボットが、日常にとけ込む風景。それは、皆さんがいままで博覧会で見てきたロボットとは違うだろうと、私は考えました」(平田オリザ)「人は心を本当に持っているのか?ロボットは心を持てるか?この難問に直接答えるのがロボット演劇である」(石黒浩)1

ロボット工学の専門家から見ると的外れな見方かもしれないが、これまでロボットは、いかに人間に近づけるか、目に見える技術的な開発、言い換えれば「身体的な進化」ばかりが注目されていたように思う。二足歩行、自転車乗り、トランペット演奏など、記憶に残るロボットのニュース映像は「ロボットなのに・・・そんなことができてスゴイ!」というものばかりだ。しかし、「森の奥」に登場したロボットは、そういう意味で特別のことができる訳ではない。顔つきはキュートとは言え、二足歩行でもなければ、およそ人間らしくない姿形、そして動きである。それでも舞台ではまるで人間のように、いや人間の俳優と同じように自然と役柄にとけ込んでいる。

そう、確かに博覧会のロボットとはまったく違うし、舞台の中ではまるで心を持つ存在のようにさえ感じられた。むしろ、技術的な成果を外見からまったく見えなくしたことが、ロボットを人間らしくさせた要因だろうか。

ロボット俳優の動きは、会場のどこかから遠隔操作しているものではない。ほとんどがプログラムされ、会場内に張り巡らされたセンサーと交信しながら、ロボット自らが90分間の芝居を「演じた」のだという。そう聞くと、私など考えも及ばないような夥しい数の演算が猛スピードで処理されているに違いないことは容易に想像できる。ロボットの動きや台詞を人為的な操作から自由にすることで、舞台上のロボットは心や命を吹き込まれたのだろうか?

とまあ、この舞台は見終えた後も実の多くのことを考えさせてくれた。演劇とロボットの出会いは、芸術と技術の出会いでもある。そう考えると、英語のartには技術という意味もあることを思い出した。それはどうやらartの語源であるラテン語のars(アルス)に起源があるらしい。演劇を生み出す「芸術」とロボットを支える「技術」、それはもともと一体のものだったのかもしれない。

一昔前、我々が夢見るロボットの究極の姿は、命令を何でもこなす「お手伝いロボット」だった。舞台の上に登場したロボットが、そうした「実用」にどれほど近づいているかはわからない。しかし、そのロボットが舞台で演じ、我々に投げかける問いの深さに気づくとき、そこには実用を超えたはるかに大きな存在価値、ロボットならではの芸術的な価値が宿っているとさえ思えてくる。日本を代表する二つのarsの出会いから生まれたロボット版「森の奥」。国際的なプレゼンスが後退する昨今、日本のarsはまだまだ世界に誇れるに違いない、と再認識した芸術・技術作品であった。
 
 
1 いずれも公演プログラムから。
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