コラム
2004年12月06日

ユーロ圏拡大への視点

経済研究部 常務理事 伊藤 さゆり

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○ なお不透明なユーロ圏拡大のタイミング
今年5月のEU拡大後も、新旧加盟国間には通貨の障壁や労働力移動、一部の資本取引に関わる制限が残存しており、市場の一体化は妨げられている。通貨障壁撤廃のタイミングは、移行期間が明示されているその他の制限と異なり不透明だ。スロヴェニア、エストニア、リトアニア、キプロスの4カ国は2007年まで、ポーランド、チェコなど残りの6カ国は2010年までの加盟を目指しているが、果たしてこの間にユーロ参加の条件である経済収斂条件と法的基準を達成できるのか不確かだ。


○ 構造的に難しいインフレ率の収斂、財政赤字の削減
今年10月、欧州委員会・欧州中央銀行は、新規加盟国のユーロ参加条件への適合状況について、インフレ率は5カ国、財政基準は6カ国、長期金利は2カ国、為替相場制度と法的基準は10カ国すべてが満たしていないという判断を示した(図表)。
 

 
2007年の先行加盟を目指す4カ国のうち、スロヴェニアは経済収斂条件の2項目、エストニアとリトアニアは3項目に適合している。これら3カ国は、今年6月にすでにERMIIに参加しており、一歩リードしていることは確かだが、スロヴェニアはインフレ抑制、エストニアとリトアニアは大幅な経常赤字の抑制が課題とされている。キプロスは対ユーロ・ペッグ制度で為替相場の安定に成功しているが、政府債務残高が60%を超え、しかも拡大傾向にある点が問題だ。

その他の国々は、条件達成により長い時間をかける計画だが、移行国がユーロ圏水準へのインフレ率引き下げ、財政赤字の削減を通じて自由な資本取引の下で為替相場の安定を実現することは決して容易ではないため、確実に達成できるとは限らない。
インフレ率は、短期的には、サービス価格や公共料金などの分野での価格改革やEU加盟に伴う間接税や公共料金、農産物価格の調整などの特殊要因で押し上げられやすくなっている。長期的には、キャッチアップの過程での「バラッサ・サミュエルソン効果(注)」、財・サービスへの潜在的な需要の高さもインフレ圧力になると想定される。
財政赤字の削減にも時間が必要だ。赤字の原因は、税収基盤の狭さや税制優遇制度、納税回避などで歳入構造が脆弱な一方、年金や公務員給与の物価スライド制による歳出構造の硬直化、インフラ支出やEU法制との整合化などのEU加盟関連支出が増加していることなどだ。行政、税・社会保障制度などの改革の余地はあるが、競争力維持とキャッチアップにインフラ支出等は欠かせないことや、EU加盟、ユーロ導入への国民の継続的な支持を得る必要などから、思い切った緊縮策は採りづらい。


○ 条件の適合状況はより厳格に判断
さらに言えば、ユーロ圏拡大の早期実現のために基準が柔軟に適用される可能性も高くない。

ユーロ導入時の参加国は97年の実績に基づき、98年5月に最終決定された。第一陣での参加を希望していた12カ国のうち、96年時点では8カ国の財政赤字が基準を上回っていたが、97年にはイタリアのユーロ税、フランスの民営化資金の活用など1回限りの措置の効果もあり、ギリシャを除く7カ国が基準をクリアした。
しかし、新規加盟国については、過去6年のユーロの経験から、財政基準の達成状況について、より厳しいチェックを受けることになるだろう。財政基準は、その他の経済収斂条件と異なり、ユーロ導入後も継続的な達成が求められる。ところが、2003年にはドイツ、フランス、オランダの3カ国、今年は半数が上限を突破する見通しで規律は形骸化しつつある。現在、行われている見直し作業では、従来よりも「国ごとの事情」を勘案するとしながらも、持続可能性を重視し、1回限りの措置には厳しい目を向ける方向が示されている。そもそも、新規加盟国の場合には、主だった民営化が完了しているため、1回限りの措置を活用する余地自体も狭まっている。

為替相場の条件も、フィンランド、イタリアのERMIIへの参加はそれぞれ96年10月、96年11月からと評価時点では2年に満たなかった。しかし、参加以前の段階で為替相場は増価基調にあり、参加後は、通常よりも狭い±2.25%のレンジに変動幅を維持していたことで条件を満たしているという柔軟な解釈が行われた。
だが、新規加盟国には「最低2年」の条件は厳格に適用されるだろう。所得水準が同レベルで、いわゆる「実質的収斂」が実現していた2カ国よりも、為替の安定が損なわれるリスクがより大きいため、入念に準備すべきとの認識が存在するからだ。

○ 雇用改革は新規加盟国にとっても重要な課題
ユーロ参加の準備期間には、基準値の達成に限定せず、単一通貨圏内での安定した成長のための基盤整備が進むことが望ましい。

単一通貨導入の適格性を判断する「最適通貨圏の理論」では、単一通貨圏の安定的発展には、外的ショックによる域内諸国間での総需要のシフト、すなわち非対称的なショックが生じにくいよう構造的類似性を有していることと、仮に生じた場合、個別の金融政策や域内の為替相場調整以外のルートで経済パフォーマンスを収斂させるメカニズムとして、価格の柔軟性や資本・労働力の移動性の高さを備えていることが必要と考える。

新規加盟国とユーロ圏の間では、貿易・投資を通じて、景気循環の連動性や産業構造面での類似性が高まる傾向が見られるが、構造的な差異から生じる非対称的ショックの可能性は多分に存在する。同一産業内でも、新旧加盟国間には賃金格差を映じた製品の棲み分けが存在していることや、新規加盟国では輸出関連の製造業のウェイトがより高く、直接投資への依存度が高いために、外的環境変化の影響を受け易いことなどが一例だ。

新規加盟国にとっても、単一通貨の枠組みの下で安定成長を実現する鍵は雇用の改革にある。新規加盟国はユーロ圏以上に低い就業率、高い失業率に悩まされている。市場メカニズムの妨げとなっている規制の撤廃、実質賃金の伸びを生産性に見合ったものに抑制すること、高等教育の充実によるスキル面での労働需給のミスマッチの解消、税制・失業給付制度の見直しによる就業インセンティブの向上などが課題だ。労働力の質的向上とともに、インフラ整備、金融改革が進展すれば、頭打ち傾向が見られる直接投資の流入を確保し、生産性の向上も実現することができる。財政の健全化や賃金決定の柔軟化への取り組みは、経済パフォーマンスの格差が生じた場合の調整メカニズムを強化する効果もある。
向こう数年間の準備期間で、これらの取り組みがどこまで実現するかが、拡大ユーロ圏の安定性を決める。拡大のタイミング以上に注目すべきだろう。


(注)バラッサ・サミュエルソン効果:低所得国で、国際競争により生産性がより高い貿易財での賃金上昇が、生産性の低い非貿易財部門の賃金上昇を引き起こすことで、全体の物価が押し上げられる効果。欧州委員会は、この効果による新規加盟国のインフレ率の押し上げ効果は年当たり0~2%と推定している。

 
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経済研究部   常務理事

伊藤 さゆり (いとう さゆり)

研究・専門分野
欧州の政策、国際経済・金融

経歴
  • ・ 1987年 日本興業銀行入行
    ・ 2001年 ニッセイ基礎研究所入社
    ・ 2023年7月から現職

    ・ 2011~2012年度 二松学舎大学非常勤講師
    ・ 2011~2013年度 獨協大学非常勤講師
    ・ 2015年度~ 早稲田大学商学学術院非常勤講師
    ・ 2017年度~ 日本EU学会理事
    ・ 2017年度~ 日本経済団体連合会21世紀政策研究所研究委員
    ・ 2020~2022年度 日本国際フォーラム「米中覇権競争とインド太平洋地経学」、
               「欧州政策パネル」メンバー
    ・ 2022年度~ Discuss Japan編集委員
    ・ 2023年11月~ ジェトロ情報媒体に対する外部評価委員会委員
    ・ 2023年11月~ 経済産業省 産業構造審議会 経済産業政策新機軸部会 委員

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