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- 中国、社会保険料徴収をとりまく課題【アジア・新興国】中国保険市場の最新動向(71)
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2025年10月21日
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中国では毎年6~8月ごろに、各地域で社会保険料の算定基準(以下、「社保基数」または「基数」)を発表するのが通例である。しかし、今年は9月に入っても発表されず、報道でも取り上げられる事態となった。社保基数は被保険者の社会保険料負担額を決定する重要な指標であり、その変動は労働者の可処分所得や企業の人件費構造に直接的な影響を及ぼすからである。
1――「社保基数」とは?
中国における社保基数は、日本における社会保険料の「標準報酬月額」に相当する。標準報酬月額は、健康保険や厚生年金の保険料額を計算する基礎となり、被保険者が受け取る月額報酬を一定の等級に区分した上で算定される。すなわち、日本では実際の給与額を基準として一定の幅ごとに等級化する仕組みを導入することにより、被保険者や企業が毎月安定的な保険料を負担できる制度設計となっている。具体的には、4月から6月の3か月間の給与総額を3で割り平均した額(報酬月額)を、等級表に当てはめることで標準報酬月額が決定される。
一方、中国の社保基数は、医療保険や年金保険料の算定基準として位置づけられているが、その仕組みは日本とは大きく異なる。社保基数は地域ごとに前年の在職職員の平均賃金1を基礎として算定される。各被保険者の社会保険料は、原則として、被保険者の前年平均給与に保険料率を直接乗じることで算出される。ただし、被保険者の前年平均給与が社保基数の60%(下限)を下回る場合は下限に、また、社保基数の300%(上限)を下回る場合は上限に、保険料率を直接乗じることで、各被保険者の社会保険料は算出される。日本のような等級制は採用されておらず、給与額のわずかな差異であっても、結果として算出される保険料額に違いが生じる。この点は、日本の標準報酬月額制度における「等級ごとの一律性」とは対照的であるといえる。
この制度的相違は、被保険者に与える影響においても顕著である。日本では等級制によって、給与変動が一定範囲内であれば保険料に直ちに影響を与えないため、従業員にとって予見可能性と安定性が担保される。他方、中国では給与額が直接基数に反映されるため、微細な変動であっても納付額が変動することになり、被保険者の負担感が相対的に強まりやすい。また、低所得の労働者にとっては、基数の下限が適用されるため、実際の賃金水準に比して過大な負担を強いられるケースが少なくない。この点が、「断繳(中国語/社会保険料納付の中断)」を引き起こす要因の一つともなっている。
1 都市部における、前年の私営部門(民間企業)、非私営部門(国有企業や外資系企業など)の従業員の賃金の加重平均によって算出。
一方、中国の社保基数は、医療保険や年金保険料の算定基準として位置づけられているが、その仕組みは日本とは大きく異なる。社保基数は地域ごとに前年の在職職員の平均賃金1を基礎として算定される。各被保険者の社会保険料は、原則として、被保険者の前年平均給与に保険料率を直接乗じることで算出される。ただし、被保険者の前年平均給与が社保基数の60%(下限)を下回る場合は下限に、また、社保基数の300%(上限)を下回る場合は上限に、保険料率を直接乗じることで、各被保険者の社会保険料は算出される。日本のような等級制は採用されておらず、給与額のわずかな差異であっても、結果として算出される保険料額に違いが生じる。この点は、日本の標準報酬月額制度における「等級ごとの一律性」とは対照的であるといえる。
この制度的相違は、被保険者に与える影響においても顕著である。日本では等級制によって、給与変動が一定範囲内であれば保険料に直ちに影響を与えないため、従業員にとって予見可能性と安定性が担保される。他方、中国では給与額が直接基数に反映されるため、微細な変動であっても納付額が変動することになり、被保険者の負担感が相対的に強まりやすい。また、低所得の労働者にとっては、基数の下限が適用されるため、実際の賃金水準に比して過大な負担を強いられるケースが少なくない。この点が、「断繳(中国語/社会保険料納付の中断)」を引き起こす要因の一つともなっている。
1 都市部における、前年の私営部門(民間企業)、非私営部門(国有企業や外資系企業など)の従業員の賃金の加重平均によって算出。
2――上海・北京の社保基数の上昇がストップ
社保基数については、各地域が9月に入り暫くしてようやく発表し始めた。しかし、今度は発表した基数が前年と比較してそれほど上昇していない点に注目が集まっている。これまで都市部における社保基数は経済成長と賃金上昇に伴って、大幅に上昇してきた。しかし、2024年頃から増加率に下降傾向がみられ、2025年は特にこれまで経済成長を牽引してきた北京市、上海市といったメガ都市における基数の上昇が大きく鈍化している(図表1)。
例えば、2025年の上海市の基数は12,434元(月額)で、これは前年比わずか1.0%上昇にとどまった。上海市の場合、2020年の前年比19.2%上昇、2021年の前年比10.7%上昇と大幅に上昇していた時期と比較するとその落差は大きい。一方、2025年の北京市の基数は11,937元(月額)で、前年比1.5%上昇となり、こちらも上昇幅は小さくとどまった。このような状況は従業員の平均賃金の伸びが大きく鈍化したことを反映している。上海市、北京市のGDP成長率が5%前後と比較的堅調であるにもかかわらず、賃金の伸びが追随していない点が重要である。
例えば、2025年の上海市の基数は12,434元(月額)で、これは前年比わずか1.0%上昇にとどまった。上海市の場合、2020年の前年比19.2%上昇、2021年の前年比10.7%上昇と大幅に上昇していた時期と比較するとその落差は大きい。一方、2025年の北京市の基数は11,937元(月額)で、前年比1.5%上昇となり、こちらも上昇幅は小さくとどまった。このような状況は従業員の平均賃金の伸びが大きく鈍化したことを反映している。上海市、北京市のGDP成長率が5%前後と比較的堅調であるにもかかわらず、賃金の伸びが追随していない点が重要である。
3――賃金が伸びない背景
一見矛盾するように見える「GDP成長は堅調だが賃金は伸びない」という現象には、いくつかの要因が存在する。
まず、労働者の賃金は名目値である一方、政府が発表するGDP成長率は実質値であり、物価変動を除いた数字である。2024年には中国全体で低インフレあるいはデフレ圧力が見られ、名目GDPの伸び率は実質値を下回った。これは長期化する不動産不況や個人消費の低迷による景気停滞が背景にあり、結果として企業収益や賃金支払い余力が制約され、給与水準は伸び悩んだ。
更に、中国の雇用の大部分を担うのは中小規模の民間企業(私営部門)である。非私営部門(国有企業や外資系企業など)と比較して賃金水準は低く、近年は賃金伸び率の差がさらに拡大している2。私営部門の停滞が、全体の平均賃金を押し下げたと考えられる。
加えて、不動産やインフラといった伝統産業の成長余地が縮小する一方、新興産業(AI、ハイエンド製造、アニメなどコンテンツ産業など)の雇用吸収力はまだ限定的である。このギャップが賃金上昇力の低下として表面化した点も考えられる。
2 人力資源・社会保障部によると、2024年の私営部門(民間企業)の平均年収は前年比1.7%増の69,476元、非私営部門(国有企業、外資系企業)は前年比2.8%増の124,110元であった。非私営部門の平均年収は私営部門の1.8倍となる。
まず、労働者の賃金は名目値である一方、政府が発表するGDP成長率は実質値であり、物価変動を除いた数字である。2024年には中国全体で低インフレあるいはデフレ圧力が見られ、名目GDPの伸び率は実質値を下回った。これは長期化する不動産不況や個人消費の低迷による景気停滞が背景にあり、結果として企業収益や賃金支払い余力が制約され、給与水準は伸び悩んだ。
更に、中国の雇用の大部分を担うのは中小規模の民間企業(私営部門)である。非私営部門(国有企業や外資系企業など)と比較して賃金水準は低く、近年は賃金伸び率の差がさらに拡大している2。私営部門の停滞が、全体の平均賃金を押し下げたと考えられる。
加えて、不動産やインフラといった伝統産業の成長余地が縮小する一方、新興産業(AI、ハイエンド製造、アニメなどコンテンツ産業など)の雇用吸収力はまだ限定的である。このギャップが賃金上昇力の低下として表面化した点も考えられる。
2 人力資源・社会保障部によると、2024年の私営部門(民間企業)の平均年収は前年比1.7%増の69,476元、非私営部門(国有企業、外資系企業)は前年比2.8%増の124,110元であった。非私営部門の平均年収は私営部門の1.8倍となる。
4――社保基数の盲点
上述のとおり、各被保険者の社会保険料の上限・下限は、社保基数(前年の当該地域の在職職員の平均賃金)の300%および60%に基づいて算出される。この仕組みの下で、基数の上昇はそのまま保険料負担の増加に直結する。近年、社保基数が急上昇した結果、低所得層への負担は深刻化していた。
中国では、国有企業・外資系など非私営部門の賃金水準は比較的高く、私営部門(特に中小企業)はそれよりも大幅に低い水準にある。しかし、社保基数は両者を含めた全体平均を基に計算されるため、非私営部門の高賃金が平均値を押し上げ、結果として「下限」も高止まりしてしまう。そのため、民間企業の労働者にとっては実態以上の負担となりやすい状況にある。特にエネルギー産業などを中心とした公的機関や国有企業の賃金が高く、民間企業の賃金が相対的に低い地方においてそのケースが散見される3。苦しい状況が続けば、保険料の納付をやめてしまう「断繳」が発生しやすい。
一方、社保基数の伸び悩みは、年金財政にも影響を与えている可能性もある。政府は2025年の基本年金(1階部分)の伸び率(全国)の目標を、前年の月額平均の基本年金の2%増の水準にとどめた1(図表2)。医療費負担の増加、低金利による資産運用難といった問題も重なり、退職者の生活は一層厳しさを増している。このため、国は個人養老金制度(確定拠出型)の拡充や企業年金の普及を急いでいるが、浸透には時間を要する状況にある。
中国では、国有企業・外資系など非私営部門の賃金水準は比較的高く、私営部門(特に中小企業)はそれよりも大幅に低い水準にある。しかし、社保基数は両者を含めた全体平均を基に計算されるため、非私営部門の高賃金が平均値を押し上げ、結果として「下限」も高止まりしてしまう。そのため、民間企業の労働者にとっては実態以上の負担となりやすい状況にある。特にエネルギー産業などを中心とした公的機関や国有企業の賃金が高く、民間企業の賃金が相対的に低い地方においてそのケースが散見される3。苦しい状況が続けば、保険料の納付をやめてしまう「断繳」が発生しやすい。
一方、社保基数の伸び悩みは、年金財政にも影響を与えている可能性もある。政府は2025年の基本年金(1階部分)の伸び率(全国)の目標を、前年の月額平均の基本年金の2%増の水準にとどめた1(図表2)。医療費負担の増加、低金利による資産運用難といった問題も重なり、退職者の生活は一層厳しさを増している。このため、国は個人養老金制度(確定拠出型)の拡充や企業年金の普及を急いでいるが、浸透には時間を要する状況にある。
3 騰訊網「社保繳費基数難産、漲不動了?」(2025年9月7日)によると、内モンゴル自治区のフフホト市では2024年の民間企業(私営部門)の月平均賃金が4,935元であったのに対し、社保基数の下限は4,863元に達し、ほぼ同水準となる事態が発生したとしている。フフホト市を含む内モンゴル自治区では、エネルギー産業や公的機関に雇用される労働者の賃金は比較的高い一方、零細サービス業や農村出身労働者の賃金は低水準にとどまっている。この「二極化」が平均値を押し上げる一因となり、民間企業や低所得層の実際の賃金と基数下限の乖離を拡大させている。
5――政策的対応と今後の展望
今回の社保基数を取り巻く状況は、経済減速の単なる兆候ではなく、名目賃金の伸び悩み、低所得層への負担増、負担の在り方の再検討など多くの課題を映し出している。中国経済は現在、旧来型成長エンジンの限界と新興産業の台頭という転換期にあり、今回の状況はその一端に他ならない。
少子高齢化が急速に進展する中で、負担と給付のバランスをどうとっていくのかが今後の大きな課題となる。特に、賃金収入や所得が相対的に低い労働者への対策は必要となるであろう。例えば、低所得者向けの社保基数の下限の見直しや調整、社会保険料の分割納付など緩和策を設け、納付の中断や取りやめを回避する必要もある。8月に最高人民法院が「社会保険料納付の強化」に関する司法解釈を発表しており、今後は雇用主側の負担も厳しく監督されることになる。
もっとも、制度的な監督強化のみでは根本的な解決には至らない。企業にとっては社会保険料負担が人件費の増大を意味し、雇用抑制や非正規雇用の拡大につながる懸念がある。そのため、政府は単なる徴収強化にとどまらず、産業政策や労働市場政策と連動させ、持続可能な形での社会保険財源の確保を模索する必要がある。この点については、山東省など複数の省政府が中小零細企業向けに社会保険料補助の支給を発表している4。加えて、被用者年金のみに依拠した従来の仕組みを補完するため、個人年金や企業年金といった「多層的な年金体系」の構築も急務である。とりわけ都市部の若年層やギグワーカーといった非正規の就労者への適用範囲拡大は、社会保障制度の包摂性を高める上で不可欠となるであろう。
4 例えば山東省政府は2025年9月、重点製造業や生活サービス業で急募されている中小零細企業に就職した重点対象者で、1年以上の労働契約を締結し規定に基づき社会保険料を納付している者に対し、個人負担額の25%を補助すると発表した。(出典)山東省人民政府弁公庁印発「関于加力穏就業的若干措置」的通知、2025年9月15日。
少子高齢化が急速に進展する中で、負担と給付のバランスをどうとっていくのかが今後の大きな課題となる。特に、賃金収入や所得が相対的に低い労働者への対策は必要となるであろう。例えば、低所得者向けの社保基数の下限の見直しや調整、社会保険料の分割納付など緩和策を設け、納付の中断や取りやめを回避する必要もある。8月に最高人民法院が「社会保険料納付の強化」に関する司法解釈を発表しており、今後は雇用主側の負担も厳しく監督されることになる。
もっとも、制度的な監督強化のみでは根本的な解決には至らない。企業にとっては社会保険料負担が人件費の増大を意味し、雇用抑制や非正規雇用の拡大につながる懸念がある。そのため、政府は単なる徴収強化にとどまらず、産業政策や労働市場政策と連動させ、持続可能な形での社会保険財源の確保を模索する必要がある。この点については、山東省など複数の省政府が中小零細企業向けに社会保険料補助の支給を発表している4。加えて、被用者年金のみに依拠した従来の仕組みを補完するため、個人年金や企業年金といった「多層的な年金体系」の構築も急務である。とりわけ都市部の若年層やギグワーカーといった非正規の就労者への適用範囲拡大は、社会保障制度の包摂性を高める上で不可欠となるであろう。
4 例えば山東省政府は2025年9月、重点製造業や生活サービス業で急募されている中小零細企業に就職した重点対象者で、1年以上の労働契約を締結し規定に基づき社会保険料を納付している者に対し、個人負担額の25%を補助すると発表した。(出典)山東省人民政府弁公庁印発「関于加力穏就業的若干措置」的通知、2025年9月15日。
(2025年10月21日「保険・年金フォーカス」)
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経歴
- 【職歴】
2005年 ニッセイ基礎研究所(2022年7月より現職)
(2023年 東京外国語大学大学院総合国際学研究科博士後期課程修了、博士(学術)) 【社外委員等】
・日本経済団体連合会21世紀政策研究所研究委員
(2019~2020年度・2023年度~)
・金融庁 中国金融研究会委員(2024年度~)
・生命保険経営学会 編集委員・海外ニュース委員
・千葉大学客員教授(2024年度~)
・千葉大学客員准教授(2023年度) 【加入団体等】
日本保険学会、社会政策学会、他
片山 ゆきのレポート
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