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2025年07月01日

加熱する中国フードデリバリー抗争-ドライバー争奪の切り札として進む社会保険適用

保険研究部 主任研究員・ヘルスケアリサーチセンター兼任 片山 ゆき

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1――「公開書簡」による牽制

2025年2月、中国のネット通販大手の京東集団(JDドットコム)が、フードデリバリー事業(「京東外売」)に参入すると発表し、大きな話題を呼んだ。その理由は、フードデリバリー市場がすでに美団(Meituan)の独占状態にあり、2024年時点での市場占有率は美団が64%、アリババ系の餓了麼(Ele.me)が33%と、上位2社で市場をほぼ寡占している状況だからである1

京東は参入にあたり、ユーザー向けに割引クーポンの配布2など様々なキャンペーンを展開し、登録する飲食店向けには年間手数料の免除(2025年5月1日まで)などの措置を発表した。このような動きは新規のプラットフォーマーが市場に参入する際によく用いられており、その度に美団など既存大手との攻防が展開されてきた。

今回、特に注目されたのが商品を運ぶドライバー(配達員)の社会保険の適用である。京東は正社員の募集を強化し、雇用契約を結んだドライバーには社会保険の加入と住宅補助金3の提供を行うとした。これは、他社では多くのドライバーが非正規雇用であり、社会保険に加入できていない実態を逆手にとったのである。

さらに、京東は4月に「すべてのドライバーに向けた公開書簡」を公表し、事実上、美団を牽制する動きに出た。書簡では美団の名前を明示していないものの、「競合他社」がドライバーに対して京東の配達業務を受注しないよう強要し、事実上、(美団か京東かの)二者択一を迫っているとした。京東によると、これに違反したドライバーは美団側でアカウントが凍結される事例があるとし、その結果、ドライバーの収入が大幅に減少する恐れがあると警告した。通常、ドライバーは複数のプラットフォームから配達業務を受注し、収入の安定を図っているからである。京東はこうした状況に対応するためとして、ドライバーの自由な受注と収入の確保を目的に、以下の4つの緊急措置を発表した。
 
  1. アカウントが凍結されたドライバーには、京東が十分な受注量を提供し、収入の減少を回避する。
     
  2. 正社員のドライバーの採用枠を拡大し、今後3ヶ月で5万人から10万人に倍増する。
     
  3. (夫婦など)パートナーがいるドライバーには、パートナーの就職を優先的に斡旋する。例えば、正社員のドライバ―や清掃員などの仕事を提供し、共働きによる世帯収入の向上をはかる。
     
  4. 京東と雇用契約がないドライバー(アプリから配達の発注を直接受けるギグワーカーなど)に対しては二者択一を強要しない。各社のプラットフォームで自由に受注できるよう奨励し、収入の最大化を保証する。
 
加えて京東は、あるプラットフォームへの忠告として、これまでのドライバーの社会保険未加入、長時間労働、配達中の交通事故の多発、飲食業界の赤字問題、消費者の食の安全といった問題が軽視されてきたと指摘し、フードデリバリー市場の急速な成長には多くの課題があると訴えた。これに対して美団は他社の受注を制限した事実はないと否定したが、業界やメディアを巻き込み大きな騒動へと発展している。京東-美団との攻防が激化する中で、市場監督管理総局も規制に乗り出す事態となっている。
 
1 21世紀経済報道「力見丨淘宝“殺入”外売:一場流量与生態攻防戦」、
https://www.sfccn.com/2025/4-30/wMMDE0MDdfMjAyODIwMQ.html 2025年4月30日。
2 例えば、4月11日には「100億クーポンキャンペーン」を実施し、25元の発注で20元分の値引きをするクーポンを配布。
3 住宅積立金は労使で費用を負担し、従業員の住宅購入や住宅改修など住宅に関する費用を補助する制度である。

2――それぞれの社会保険適用のあり方

2――それぞれの社会保険適用のあり方

2024年時点でオンラインデリバリー市場の規模は1兆6,000億元(約32兆円)を越え、過去5年でおよそ3倍に拡大している。オンラインデリバリーのユーザー数は5億9,000万人と、全インターネット利用者11億1,000万人のおよそ半分に上る。新型コロナウイルス禍により非接触型の消費が拡大し、さらに割引きキャンペーンの普及により、実店舗よりも安価に利用できる利便性から、学生や働く世代を中心に利用が浸透した。デリバリーサービスは人々の日常に深く根付いている。

市場の成長とともに、ドライバー数も上位2社でおよそ1,000万人に達し、コロナ禍以降は年齢を問わず失業の受け皿としての役割も果たしている。しかし同時に、京東が指摘するような課題があるのも事実である。市場の急成長はドライバーの長時間労働を引き起こし、遅配に関する過度な罰金制度4による交通事故やケガの多発、その保障をめぐってトラブルも多発するなど労働環境の問題が顕在化した。そのため、次第にドライバーの労務改善、権利保護、ケガ・病気・老後保障などのリスク保障(社会保険の加入)が重要な課題として認識されている。

特に、ドライバーの社会保険未加入問題については、政府が2017年頃から取組みを開始している5。プラットフォーム経済の成長を支える非正規労働者にも公的年金や医療保険への加入を促進し、さらに、労災保険、失業保険についても保障のあり方を検討してきた。2021年には、業務を委託する側のプラットフォーマーにもドライバーの社会保険適用について一定の責任があるとした6。プラットフォーマーは直接の雇用契約のないギグワークのようなドライバーについてもその対応を考える必要に迫られたのだ。

その一環として、政府は2022年7月から、ライドシェアやデリバリー業務に従事するギグワーカー向けに業務中のケガ・疾病・障害保障についてのパイロット事業(「職業傷害保障」)を実施している。北京市、上海市、江蘇省など7地域で、美団や餓了麼など7つのプラットフォーマーを対象とし、既存の労災保険から切り離された、ギグワーカーのためのもう1つの労災保険を運営している(片山2025a)7。保険料に相当する費用はプラットフォーマーが負担している8

このような状況の中で、京東は市場参入の翌月に、正社員のドライバーには年金、医療、生育9、労災、失業の5つの社会保険への加入に加えて、住宅補助金も提供すると発表した(図表1)。また、京東はドライバーの手取り収入を確保するために、本来であれば個人が支払う社会保険料分も企業が負担する方針を打ち出した。 

ただし、京東と雇用契約がないギグワークのドライバーについては、民間の傷害保険、医療保険を提供するにとどまり、社会保険の適用は想定されていない。京東で正社員のドライバーとして働く場合、社会保険料は個人負担分まで免除され、その分収入を確保でき、社会保険で保障される多くのリスクに備えることが可能となる。その一方で、(正社員ではない)ギグワークのドライバーは、ケガや病気などについては民間保険(団体保険)での保障は可能であるものの、年金などその他の社会保険への加入は考慮されないことになる。なお、2025年6月1日時点で、京東の正社員のドライバーはすでに10万人を突破し、当初の予定よりも2ヶ月前倒しで達成している。これを受けて、京東は今後短期間でドライバーの規模を15万人まで増やす予定としている。

一方、745万人のドライバー10を抱える美団については異なるアプローチを取っている。美団は早くより政府と連携し、ギグワークのドライバーの社会保険適用を模索してきた。例えば、前述の職業傷害保障にも2022年の試行当初から参加し、これまでに600万人分の費用を負担している。さらに、2025年4月には、公的年金制度への加入を促進するために、年金保険料の半分を補助すると発表した。これは京東が3月に正社員のドライバーの募集と社会保険適用を発表したことに対する対抗措置との見方もある。なお、この場合の年金保険料率は、ギグワーカーなど非正規労働者向けに低減されたものが適用される。既存の年金保険料率は雇用主が16%、個人が8%の合計24%であるが、非正規労働者向けには年金保険料全額を個人が負担し、20%となっている。ただし、低減されたとはいえ個人による20%の負担は重く、これまで普及が進んでいなかった。このため、美団は福建省の泉州市と江蘇省の南通市で年金保険料の補助を試験的に導入するとした。対象となるのは直近6ヶ月の給与のうち3ヶ月以上が社会保険料の最低納付基準額(前年の当該地の在職職員の平均給与の60%)に達していない所得が相対的に低いドライバーである。また、出稼ぎ労働者が多い点からも保険料を納付する地域も選択可能とした(片山2025b)11
図表1 京東/美団におけるドライバーの社会保険適用(就労形態別)
このように、フードデリバリー事業では京東の参入を契機にドライバーの社会保険適用に動きが見られる。政府にとって、これまでは非正規のドライバーにどのように社会保険に加入してもらうかが課題であり、加入のしやすさを追求する視点から保険料率や条件の緩和、新たな保障などで対応してきた。政府は美団のようなプラットフォーマーと連携することで、加入の促進をはかってきた面もある。しかし、今般、京東がドライバーの正社員化・定着化、社会保険適用を当初から掲げたことで、雇用のあり方といった視点から、業界を巻き込んだ再検討が進められることになる。
 
4 美団は2025年中に廃止することを発表している。
5 国務院「関于做好当前和今後一段時期就業創業工作的意見」(2017年)。
6 人力資源社会保障部 国家発展改革委員会 交通運輸部 応急部 市場監管総局 国家医療保障局 最高人民法院 全国総工会「関于維持新就業形態労働者労働保障権益的指導意見」(社部発〔2021〕56号)。
7 片山ゆき(2025a)「ギグワーカーの社会保険適用―もう1つの“労災保険”の出現」、ニッセイ基礎研究所。
8 費用については、前月の受注件数にリスク係数を掛けて算出される。フードデリバリーのドライバ―のリスク係数は1件あたり0.06元となっている。
9 生育保険は出産、それにともなう休業における所得保障などを提供する社会保険である。2019年に都市の会社員が加入する公的医療保険(都市職工基本医療保険)と統合されている。
10 2024年時点で、1年間のうち、1回でも受注したことがあるドライバー数。
11 片山ゆき(2025b)「ギグワーカーの社会保険適用―中国フードデリバー大手美団の取組み」、ニッセイ基礎研究所。

本資料記載のデータは各種の情報源から入手・加工したものであり、その正確性と完全性を保証するものではありません。
また、本資料は情報提供が目的であり、記載の意見や予測は、いかなる契約の締結や解約を勧誘するものではありません。

(2025年07月01日「基礎研レポート」)

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保険研究部   主任研究員・ヘルスケアリサーチセンター兼任

片山 ゆき (かたやま ゆき)

研究・専門分野
中国の社会保障制度・民間保険

経歴
  • 【職歴】
     2005年 ニッセイ基礎研究所(2022年7月より現職)
     (2023年 東京外国語大学大学院総合国際学研究科博士後期課程修了) 【社外委員等】
     ・日本経済団体連合会21世紀政策研究所研究委員
     (2019~2020年度・2023年度~)
     ・生命保険経営学会 編集委員・海外ニュース委員
     ・千葉大学客員教授(2024年度~)
     ・千葉大学客員准教授(2023年度) 【加入団体等】
     日本保険学会、社会政策学会、他
     博士(学術)

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