2017年05月10日

英国のEU離脱とロンドン国際金融センターの未来

基礎研REPORT(冊子版)2017年5月号

経済研究部 常務理事 伊藤 さゆり

文字サイズ

1―始まった英国のEU離脱手続き

17年3月29日、英国のメイ首相が欧州連合(EU)に離脱の意思を通知し、EU基本条約第50条の手続きが始動した。同条に基づけば、英国を除く27カ国が期限延長で全会一致しない限り、英国は19年3月29日をもってEU加盟国としての地位を失う。

英国は、財・サービス・資本・人の移動の自由を原則とする「単一市場」からも、域内関税ゼロ、共通域外関税、共通通商政策からなる「関税同盟」からも離脱し、EUとは包括的自由貿易協定(FTA)を締結する方針だ。

メイ首相は、離脱意思を告げる書簡で、離脱に関わる協定の協議と並行してFTA協定についても協議、離脱までに大枠で合意し、離脱と同時に「導入期間」に入ることで、ビジネス環境の激変を回避したいという意向を示した[図表1-英国案]。

しかし、メイ首相の書簡の受理から2日後にEU側が示したのは、離脱協定の協議が十分進展したと判断した段階で、FTA協定の準備協議に入り、英国がEUを離脱し、第3国になってから、公式協議に入るという「段階的アプローチ」だった[図表1-EU案]。
英国案とEU案が想定する離脱協定及び包括的FTA協定協議の流れ
EU側も、離脱に伴う英国とEUの間のビジネス環境の激変は回避すべきとの立場では一致する。しかし、その方法として想定するのは離脱と新協定の発効をつなぐ期間限定の「つなぎ協定」の締結だ。つなぎ協定の期間中は、EU法や予算上の義務、監督体制を適用する。離脱したものの、国民投票のキャンペーン期間中に離脱派が主張した立法権やEUに拠出する財源は、ただちには取り戻せない訳だ。

包括的なFTAについても、EUは「加盟国と同等の権利やベネフィットは享受できない」と釘を刺す。

EUは、単一市場と残るEU27カ国の結束を優先し、英国に厳しい条件を突きつけた。

協議の難航は必至の情勢だ。

2―ロンドン国際金融センターの今

英国には、国際金融センター・ロンドンを中心に多様な金融機関とその活動をサポートする専門サービス業からなる集積が形成されている。

ロンドンは、ニューヨークと並ぶ真にグローバルで総合的な金融センターである。英国のシンクタンクZ/yenが、定量評価と定性評価に基づいて、半期毎に作成しているグローバル金融センターのランキングでもロンドンはニューヨークを抑えて、世界第1位の座をキープしてきた。

英国経済にとって、金融・専門サービス業は重要だ。金融サービス業と専門サービス業は合わせて英国内で全体の7.3%に相当する221.5万人の雇用を生み出している。粗付加価値(GVA)では全体の10.7%を占める。地域的にはロンドンに雇用では英国全体の3分の1ほど、GVAでは半分弱が集中する。

金融サービス業からの税収は15年度時点で英国の全税収の11.5%を占める。

英国の金融サービス貿易の黒字額は世界最大であり、財収支の赤字の拡大を部分的に相殺してきた。

3―EU離脱のロンドン国際金融センターへの影響

英国のEU及び単一市場からの離脱に対応して、在英国の金融・専門サービス業はEU圏内への一部機能の移管という対応を迫られる見通しだ。

離脱によって、英国から、単一の規制体系の下で、規制当局からの単一の承認により、対象地域内で金融サービスを提供する自由を認める「シングル・パスポート」を利用したEU圏内へのサービス提供ができなくなるからだ。

英国政府は今年2月に公表した「離脱白書」で、EUとのFTAでは、金融サービス分野では「可能な限り自由な取引」を目指す方針を掲げた。EUが域外の第3国の規制や監督体制がEUと同等を認め単一市場へのサービスの提供を認める「同等性評価」や、金融監督面での「相互協力協定」などの代替措置をベースに、「シングル・パスポート」に近い特別な協定をまとめたいとの意向が感じられる。

しかし、EU側は、交渉のガイドラインで、単一市場への産業毎の参加は認めないとした。

他方、現存する代替措置には限界がある。例えば、同等性評価は、シングル・パスポートのように業務を横断的にカバーする制度ではなく、預金や貸出、資産運用など対象外の業務もある。EUが対象国の規制に逸脱が生じたと判断した場合には、予告なく取り消すなど、安定性にも問題がある。

離脱後の英国からEU域内への金融サービス提供の自由度は、確実に今よりも狭まり、安定性も低下する。

その影響を最も受けるのは、英国当局が発行した様々な種類のパスポートを活用して、単一市場圏内の顧客を対象に、ホールセールの投資銀行業務を大規模に展開している金融機関である。専門性の高い投資ファンドも影響を受ける。このため、英国や欧州大陸を母国とする金融機関以上に米国系の金融機関の動向が注目されている。

単一市場圏内でのパスポート取得のために、拠点の新設や増強を行なう場合、認可には1年半程度の時間が必要とされる。在英国金融機関は、EUとの協議の結果を待たず、他の業界に先駆けて、EU離脱に備えた体制整備に動き出すと見られる。

英国のEU離脱を受けて、金融・専門サービス業がEU圏内に一部の機能を移すことにつながれば、英国の成長と雇用、税収に影響が及ぶ。

16年6月の国民投票後に大きく減価したポンド相場にも減価圧力が加わりやすい状態が続くことになる。

4―欧州の金融都市の市場間競争

英国で活動する金融機関の一部業務の移転先としては、フランクフルト、パリ、アムステルダム、ダブリンなどが有力視されている。

フランクフルトは、都市としての規模は大きくないが、欧州最強の経済力を誇るドイツの金融都市であり、ユーロの番人であり、ユーロ参加国銀行の一元的銀行監督機能を担う欧州中央銀行(ECB)の本拠地である。金融監督機関のドイツ連邦金融監督庁(Bafin)と中央銀行のドイツ連銀は、英国のEU離脱に対応して移転を希望する金融機関の受け入れ体制を強化している。

パリは、ユーロ圏第2位のフランスの首都であり、ロンドンからの金融機関の誘致にも強い意欲を示している。今後の役割の強化が期待されるEUの証券市場監督庁(ESMA)も立地する。都市としての規模は4つの候補都市で最大だ。だが、税率や労働規制などのコストの高さがネックとされる。

アムステルダムはオランダの首都であり、金融都市で、欧州の物流のハブの役割も担う。英語の通用度が高く、多国籍企業には軽減税率が適用され、高度な技能を持つ外国人材の受け入れにも積極的だ。

ダブリンは、英国に隣接するアイルランドの首都である。法人税率は12.5%とユーロ圏内で最も低く、英語が第2公用語であることから、多くの外国企業、とりわけ米国企業、IT企業や製薬企業の投資先として選ばれている。

候補都市はそれぞれに優位性があるが、英国の金融センター機能を代替するキャパシティー、規制や税制面での優位性、監督機関への信頼感などの総合力を備えた都市はない。移転先は、個々の金融機関の判断により、フランクフルト、パリ、アムステルダム、ダブリンなどに分散する見通しだ。

EUには、金融・専門サービスの分厚い集積を形成し、金融監督面でも豊富な経験を有する英国との間に壁が出来る不利益も生じる。

英国の離脱を巡っては協議がまとまらないままの無秩序な離脱の懸念も燻る。だが、強秩序立った離脱とEUの金融市場の統合深化を実現できなければ、英国、EUともグローバルな競争の敗者となりかねない。
ロンドンと移転先候補都市の比較
Xでシェアする Facebookでシェアする

経済研究部   常務理事

伊藤 さゆり (いとう さゆり)

研究・専門分野
欧州の政策、国際経済・金融

経歴
  • ・ 1987年 日本興業銀行入行
    ・ 2001年 ニッセイ基礎研究所入社
    ・ 2023年7月から現職

    ・ 2011~2012年度 二松学舎大学非常勤講師
    ・ 2011~2013年度 獨協大学非常勤講師
    ・ 2015年度~ 早稲田大学商学学術院非常勤講師
    ・ 2017年度~ 日本EU学会理事
    ・ 2017年度~ 日本経済団体連合会21世紀政策研究所研究委員
    ・ 2020~2022年度 日本国際フォーラム「米中覇権競争とインド太平洋地経学」、
               「欧州政策パネル」メンバー
    ・ 2022年度~ Discuss Japan編集委員
    ・ 2023年11月~ ジェトロ情報媒体に対する外部評価委員会委員
    ・ 2023年11月~ 経済産業省 産業構造審議会 経済産業政策新機軸部会 委員

(2017年05月10日「基礎研マンスリー」)

公式SNSアカウント

新着レポートを随時お届け!
日々の情報収集にぜひご活用ください。

週間アクセスランキング

レポート紹介

【英国のEU離脱とロンドン国際金融センターの未来】【シンクタンク】ニッセイ基礎研究所は、保険・年金・社会保障、経済・金融・不動産、暮らし・高齢社会、経営・ビジネスなどの各専門領域の研究員を抱え、様々な情報提供を行っています。

英国のEU離脱とロンドン国際金融センターの未来のレポート Topへ