2017年01月20日

メイ首相が目指すのはハードな離脱なのか?

経済研究部 常務理事 伊藤 さゆり

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メイ首相、EU単一市場離脱を明言

1月17日、英国のテリーザ・メイ首相がロンドンのランカスター・ハウスで欧州連合(EU)からの離脱方針について演説を行ない、EUの単一市場からの離脱を明言した。

メイ首相が公式の場でEU離脱に関する方針を表明するのは、昨年10月2日のバーミンガムの保守党大会以来。この時は、今年3月末までに、EU条約の第50条の離脱手続き開始のための「告知」を行う方針を示した。また、離脱によって移民のコントロールと、EU法に関して排他的権限を持つ欧州司法裁判所の管轄権から離脱、法の支配の権限を取り戻す方針を掲げた。この段階では、「告知」は政府の権限で行い、議会の承認は必要ないとしていた(図表1)。
図表1 16年10月保守党大会で示した離脱戦略/図表2 ランカスター・ハウス演説で示したEU離脱交渉の12の基本方針

ハードな離脱懸念で下げていたポンド相場は一旦反発

ハードな離脱懸念で下げていたポンド相場は一旦反発

ポンドの対ドル相場は、昨年6月の国民投票の結果を受けて大幅に下落した後も、EU離脱を巡る不透明感からポンド安が続く(1ページ図表参照)。

特に、昨年10月の保守党大会演説後は大幅安となった(注1)。メイ首相は、離脱担当大臣のデヴィット・ディヴィス、外務大臣のボリス・ジョンソン、国際貿易担当大臣のリアム・フォックスという離脱派の意向を強く反映して方針をまとめ、しかも、協議の開始にあたり、議会の承認を求めない方針を示した。移民コントロールを優先し、EUの単一市場へのアクセスを犠牲にする「ハードな離脱」への懸念が高まったことで、ポンド安が進んだ。

しかし、今回の演説の内容には為替市場は異なる反応をした。演説前から、メイ首相が「EUの単一市場からの離脱を明言する」ことが広く報じられていたため、為替市場では昨年10月以来の1ポンド=1.20ドル割れを伺う水準までポンド安が進んだ。しかし、演説後は1.23ドル台と今年初の水準まで戻した。

好感されたのは、メイ首相が、EU離脱交渉の12の基本方針のトップに「確実性・透明性」を挙げ、英国とEUの最終合意は、英国議会の上下両院の承認を経て発効すると述べた点だ。もっぱら離脱派が主導し、残留派の意向を置き去りにしていた10月の演説時と異なり、「残留派が多数を占める議会(注2)の承認を得られるよう協議を進めるだろう」と解釈されたようだ。

昨年10月の段階では政府の権限で行うとしていた「告知」も、今月24日に予定される英国の最高裁判決で、議会の承認が必要になる見通しだ。議会は国民投票前の段階で圧倒的多数が残留を支持していた。しかし、「告知」の承認手続きにあたっては、国民投票の結果を尊重する立場から、議会がより詳細な方針の説明を求めることはあっても、「告知」自体を妨げることはない見通しだ。

昨年10月にメイ首相が示した方針通り、今年3月末までには英国政府はEU首脳会議に離脱意思を「告知」、EUとの交渉が本格的に始まるだろう。

(注1)10月7日には1ポンド=1.26ドルから31年振りの安値となる1.14ドル台に一気に下げる「フラッシュ・クラッシュ」が起きた。

(注2)国民投票前の段階で、メイ首相を含む保守党の議員の過半数、最大野党・労働党の殆どの議員、そして第3党のスコットランド国民党(SNP)の議員は全員が残留支持を表明していた。

 

不可避だった単一市場離脱

不可避だった単一市場離脱

今回の演説で、単一市場離脱を明言したことで、英国は、いよいよ「ハードな離脱」を選択したと受け止められたが、そもそも、昨年10月に、離脱の条件として「EU移民のコントロール権の回復」と「欧州司法裁判所の管轄権からの離脱」を掲げた時点で、単一市場残留という選択肢は消えていた。

欧州自由貿易連合(EFTA)に加盟するノルウェーの場合、欧州経済領域(EEA)という枠組みを通じてEUと単一市場を形成しているが、英国にはEUを離脱して、EEAに参加するベネフィットは見出せない。ノルウェーは、単一市場への参加にあたって、ヒトの移動の自由を受け入れているし、EUの財政にも一定の拠出を行なっている。EUの法規制に関しては、意思決定には加わることが出来ず、一方的に受け入れる関係だ。EU加盟国としての英国が、ユーロ未導入やヒトの移動の自由のための「シェンゲン協定」に参加しないなど特権的な立場を築いていたのに比べて、EEAの地位は見劣りする(図表3)。
図表3 16年6月国民投票時点での英国の選択肢
EUも「単一市場へのアクセスを望むのであれば、財・サービス・資本・人の4つの移動の自由を受け入れなければいけない」、「いいとこどり」は許さないという立場を貫いてきた。2017年はオランダ、フランス、ドイツと主要国で重要な選挙が相次ぐ。離脱を選んだ英国に特例を認めれば、反EU、反ユーロ、反移民・難民を掲げる政治勢力を勢いづかせ、EUの制度を維持できなくなるおそれがあり、譲歩出来なかった。

4つの自由の原則を受け入れて、単一市場に残留すれば、EU離脱ショックや移行期の混乱は最小化されただろう。EUからの大量の移民の流入やEUの法規制を嫌い離脱に票を投じた英国民の意志に反する。

単一市場への残留は、政治的に困難だった。
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伊藤 さゆり (いとう さゆり)

研究・専門分野
欧州の政策、国際経済・金融

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