1998年08月25日

「言論の品格」

細見 卓

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最近の日本の言論界はあまりにも品位のない言論で毒されている。 言論の自由が比較的認められている米国では、 新聞・テレビ等マスコミに対する国民の信頼が大きく崩れ、 "もう新聞は読みたくない"といった書物がベストセラーになる事態が起こっている。 従来の例によると米国で起こったことは数年後には日本で後追い的に起こることが多い。 今のような言論界の無責任な罵詈雑言の横行を放置していれば、 遂には国民のマスコミ離れも避け難いものとなるかもしれない。


言論の自由とその責任
大分前の話であるが、 大平首相が始めてサミットに出かける時、 識者を集めてその意見を聞いた会合があった。 その時、 前田陽一東大教授 (仏文学者、1911~1987) が外国の人々と対話する時の心得として、 言語に関する各国の国民の特性を要約された。
フランスでは言葉が全てであり、 いかなることも全て表現することができると思われている。 ドイツではファウストの冒頭で博士が"はじめに言葉ありき"と独白するように、 言葉を信仰するかのようないわば聖書そのものの考えである。 それに対して、 米国では言語が漠然としており、 意味が必ずしも明瞭でないことが多い。 また、 英国人は非常に外交的言辞に長じており、 言葉には裏がある。 それは今日のパレスチナ=イスラエル問題が英国の二枚舌のおかげで今なお続いていることに明らかである。 前田教授の話は以上のような内容であった。 要は、 前田教授が大平首相に伝えたかったことは、 西欧社会というのはアングロサクソン的な多少の歪みが出ているが、 言葉・約束については十分に責任を負っており、 相手にもそのことを求めるということである。 これは文明社会の共通のルールとも言える。 余談になるが、 大平首相の日本語は必ずしも明瞭でなく、 多くの人達はその真意を計ることに戸惑った位だから、 前田教授のアドバイスは誠に当を得たものであったと思う。
言論の自由は民主社会の基本的な自由として、 あくまでも尊重さるべきものであるが、 そのことは反面、 それぞれの言辞について発言者はあらゆる責任を持たされているということでもある。 言論の自由は民主社会の存立の基礎であり、濫用することなく必要な節度を守り、 皆で大切に温存しなければならない。 ところが、 わが国の最近の言論を見ていると、 国の最高機関である国会が選んだ首相等に対して、 十分な根拠も理由も示すことなく、 無能呼ばわりする言論が平気で横行している。 政治家の行動に不正が有り、 またそれに反対である時には、 相当の論拠を挙げて反論批判することは民主主義が基本的に認める特権である。 しかしそれは不当に何の理由もなく人格に関わるような言辞を弄することを認めるものではない。
確かに芸能人の個人的トラブルが話題にされることについて日本社会は馴れきっており、 それは人格権の確立が十分でない日本では往々にして放任されてきた。 しかし、 それが今、 他の分野にまで蔓延して、 言論に対する信頼性を失わせるような事態にまで立ち至っている。


根拠のなく将来性の否定につなげる最近の言論
こうしたことは、 プライバシーにつながることにとどまらず、社会一般の現象、 端的には政治経済の現状に対する記述やまたその批判においても同様であり、 根拠も無く徒に雷同的で画一的な言論が多い。 日本経済の改革は遅々としており、 その将来の展望も予見し難いのも事実であるが、 今当面している困難や渋滞は世界経済環境の激変に伴い生じたものであり、 日本経済自体を新しい環境に適合させて行くための構造改革の最中であるという展望を多くは明らかにしていない。 これは日本国民あるいは日本経済の活力を自ら否認する愚である。 究極の成功を期待して当面の問題解決を避け、 徒に先送りしようとする国民の甘えのようなものに対して、 警告を発することは十分に意義あることであるが、 筆の勢いで将来性の否定にまで及ぶというのは事態を認識しない虚妄の議論といわざるを得ない。 また日本国民にとって真に生産的な言論活動とも思えない。 このように言えば、 「犬が人間を噛むことは記事にならないが、 人間が犬を噛めば記事になる」 というマスコミの皮肉な一面を知らないとか、 戦争中の国民精神に対する善導的政策だという批判もあろうが、 にもかかわらず最近の週刊誌等の言論はあまりにも日本自体を貶めるものといわねばならないだろう。 先の前田教授の言を俟つまでもなく、 特にマスコミの言論はそれ自体真実を伝えているものと仮定され、 一般の人々はそれが真実であると思うのが世界の風潮である。 そのことを踏まえれば、 日本の言論は正当な軌道を逸しているといわざるを得ない。

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