1996年02月01日

リスクに立ち向かえない社会

細見 卓

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今から考えると大変無謀にみえる太平洋戦争を挑んで、そこで完全な敗北を喫して受けた精神的ダメージが現在の社会に今なお深く後遺症として根付いているようにみえる。今日では、戦争突入におけるその無謀性については論議が尽くされており、戦いに勝つ可能性は絶無に近かったとされている。しかし、当時の国民は困難な死地から脱出するには開戦しかないという精神的暗示のようなものに陥っていたようである。当時の危険を恐れない無謀さについては、世界中の人々から気が狂っているのではないかと疑われるほど大胆で勇敢な国民とみられていた。

しかし、今の日本社会を見ると、敗戦で国中を廃嘘と化し、衣食住の苦しみを嫌というほど味あわされたことが、逆に熱狂しやすく猪突猛進といわれた日本人の性格をすっかり変え、俗に言う石橋を叩いても渡らないメンタリティーにしてしまったかのようである。加えてその後、幸運にも経済的繁栄を得、世界的な地位においても自立できたことがますます今日の事なかれ社会を増幅している感がある。危険のないコースを選択し、平和な人生を享受したいという願望は人類共通のものではあるが、今や日本ほど危険や変化を恐れる国は少ないといえよう。親が子供の幸せを考えて最も安全なコースを選ばせようとするのは自然な親心かもしれないが、それが行きすぎると社会全体に活力を欠き、環境の激変に対応できないような社会を現出してしまう。つい先般、内閣の交代が行われたが、与党三党の枠組みを維持して政権を維持することが至上命題で、新しい時代の変化に対応して構想を新たにしていく体のものではなかった。変化を嫌い、危険を避けようとするムードが社会全体に蔓延して、長引く不況からの脱出、冷戦後の世界の安全保障の危機に取り組む気概がみえてこない。結果としての平和が大事で、それをいかにして確保するかという方策に真剣に取り組んでいるようにみえないのは真に嘆かわしいかぎりである。

現代のこういう安全第一、危機回避の社会の趨勢がもたらす日本の政治や経済の行き詰まりを打破するには、多少の危険を冒してでも新しいことに取り組まなければならないのは自明である。にもかかわらず、何とか当面の危機を回避してそれとの対決を避けようとするのは日本社会の頽廃にも繋がりかねない。世界の情勢は刻々と大きく変化しており、新しい事態の認識を持って事にあたらなければならない局面が日々発生している。直面する問題に真っ正面からぶつかって危険を冒してでも抜本的な解決を図るという気概がなくては、この資源の乏しい国土において一億二千万人国民の繁栄を叶えていくことは困難である。米国ではつい数年前まで、日本の経済的脅威が最大の関心事であったといわれるが、今日の米国では日本の脅威という言葉は全く聞かれず、逆に日本は今まで通りの繁栄した日本であり続けられるのかというやや哀れみの目を持ってみられている。

何も戦争突入に至ったような無謀さをもてというのではない。しかし、我々日本人は今こそ、未だ衰えずという気概を示し、リスクを回避せず、あらゆる困難に立ち向かってその繁栄を維持するという強い決意を一人一人がもち、またそれが評価される社会へと転換していかなければならない。政治改革、規制緩和、バブル後遺症克服等いずれも目標は立派であったが、それを実施する上の困難に立ち向かう覚悟のないまま、虚しいスローガンと化したままである。このようにして荏再(じんぜん)と日を過ごしていいのだろうか。

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