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イギリスの著名な政治家や経済人の経歴を聞くとたいていの場合、オックスフォードやケンブリッジで歴史を専攻した人が多かった。私が未だ大蔵省の現役の頃、イギリスの政治経済がやや停滞したものとなっているのは、政治経済を専攻していない経歴の人がリーダーとなっていることにも因るのかと思っていた。
しかしながら、最近のアメリカの理論的には鋭いが現実性を欠いた政治経済の実態を見たり、フランスやドイツの必要以上に理屈っぽい行動等を数多く見た後では、やはりイギリス人の方が、人生の達人と言えるのではないか、世界政治のリーダーに相応しい資質を有しているのではないか、という感を強めている。
つまり、歴史や文学の教育を重視していることは、何も特定な歴史的事実や主人公の心理を究めるということではなく、人間はいかなる環境でどのように反応するかを教訓として多く学んでいるということである。歴史は繰り返さないし、同じようなメンタリティをもった人間が多数存在するとは思えないが、人間の行動のあり方を具体的に、あるいは内容に立ち至って分析することによって、いわば伝統と文化に育まれた精髄ともいえる知恵をイギリス人は伝習するよう教育されているように見える。
確かに同じ事柄は繰り返されないけれども同じような環境は度々繰り返しやってくるようであり、例えば日本の政治についていえば、戦前昭和期の政治の混迷腐敗は現在のそれとほぼ類似しており、戦前の政治の混迷が終極的に太平洋戦争という日本の破滅を導いてしまったことは歴史の訓える所である。あるいは、ヨーロッパ大陸での英仏独ソ等の対立や葛藤の歴史は最も興味深い歴史上の出来事であったが、それはいまなお東欧ではその爪痕ともいえる争いが進行中であり、又、かのオスマントルコの崩壊が招いた混迷はこの前の中東戦争にもその痕跡を色濃く残している。
現在の混沌たる政治・外交・軍事の諸問題については、それぞれ過去に類似の事象が起こっており、もし我々が十分に賢明であったなら、そこから立派な教訓を得ていたはずである。イギリスの高等教育では、こうしたことをその全過程を通じて生徒に対し、具体的かつ、生の事例に則して歴史を教えることに努力している。これに反して我が国の歴史教育は、ただ年代を記憶する暗記もので、生きた人間の歴史を教えるという配慮に欠けている。そして時にはマルキシズムのイデオロギーに深く汚染され、又、大事な事であっても都合の悪い日本歴史の暗部を覆い隠した通り一遍の綺麗事の年代物に組み立てられているようである。加えてつい最近までは、誤った選択制によって中学校・高等学校の課程で、西洋の歴史や地理について全く教えられることなく卒業することができるという極めて奇妙な教育カリキュラムとなっていた。
従って、今日いわれる世界新秩序、あるいはヨーロッパの再編成というような事柄についてその沿革に立ち至って本質を理解するというような訓練を受けている日本人は、残念ながら少ない。ミュンへン・サミットといういわば世界のエリート国の会合に出席するにあたっても日本の北方領土がどう扱われるかがマスコミの関心事であり、解体した旧ソ速が核管理の問題を含めていかなる方法で新世界に組み込まれるべきかについて思いを馳せるマスコミの論調は極めて少ない。
一方では経済の成功によって大国意識が強くなり、日本は安保理事会の常任理事国に相応しい国になったと自認する風潮も出てきている。国連の加盟国は今や180ヵ国にも及んでおり、旧ユーゴスラビアの紛争をはじめ各地で勃発する地域紛争の解決を通して安保理事会の権威の確立は、国連にとって最重要事項となっている。確かに日本は経済的に大成功し、政治的にもとにかく安定しており、常任理事国として安保理事会で相応の役割を負うことができるとする声が出てくるのも判らないわけではない。
しかしながら、国民全体の世界情勢の判断や認識がこのままの状態で日本が果してそうした大きな役割を背負っていけるか、充分に反省する必要があろう。これまでは何も考えず、ひたすら“追いつき追い越せ”でやってくることができたが、これからは“海図なき航海”において自らが自らの世界観・歴史観をもって確とした指針を見出さなければならない時が来ている。日本人にとって歴史教育の重要性が、益々大きくなってきたようだ。それは“吉野ヶ里”ブームとは全く別の事のように思う。
(1992年08月01日「調査月報」)
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