1992年05月01日

外圧

細見 卓

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国際関係が緊張の度合を増したり、外国からの対日批判が厳しくなってくる時にいつでも出てくるのが、“外圧”という言葉である。そしてその外圧が嵩じてくると、いわゆる“嫌米”といった排他的な感情が、強まってきがちである。

ブッシュ大統領の訪日をはさんで最近の日米関係は円滑さを欠いているようであるが、殊にマスメディアの論調は、非常に悲観的ないしはセンセーショナルなものが多い。こうした対外矛盾ともいえる事象が発生した場合、我々日本人はとかく自分はこれまでも正しかったし、現在も間違っていないとまず身構えて、相手からの批判に対して理非を問わず反撃的になるというのが従来の型になっており、そうした批判の所以についての省察にまで至らず、為にする議論で終始することが多い。

日本人の心理状態とは概してそうしたものでありながら、一方では日本の社会・経済全般の国際化をさも至上命題であるかの如く強調する意見も又、多い。更には、国際化とはいったいどういうものかという具体的な検討も殆ど行わず、何事も外国風なものに改めていくとか、あるいは外国語や外国事情に通暁することが国際化であるかの如く思う人が多い。国際化ということに関して言えば、日本の社会・文化はそれなりの合理性と論理性をもって歴史的に存続してきたものであるにもかかわらず、それを外国のものとは違うからといって改めなければならないという議論は、いわゆる“西洋かぶれ”あるいは過ぎたる国際化論ともいうべきものであろう。又、えてして抽象的にはより一般的な外国の基準やルールを受け入れるべきという理解を強く持ちながら、それが具体的な事例に遭遇すると多くの場合、理のあるなしにかかわらず、日本のものはすべて素晴らしいというような感情的・心情的な反発に終わりがちである。

いかに国際的に尊敬される人物であっても、あくまでもその人は無国籍の国際人と呼ぶべきものではなく、アメリカ人であり、あるいはヨーロッパ人、日本人である。つまりそれぞれの国の知識や伝統を深く身につけている人物であり、その身につけている知識や態度がまさに国際的に受け入れられているからこそ国際的に尊敬されるのであって、アメリカ人あるいは日本人であることを捨ててしまうのが、国際人の資格であるというのは明らかに誤りであろう。

国際交渉や国際的な交流を行うにあたって大事なことは、自分自身を、その属する文化や伝統あるいは思考方法を含めて相手に正確に理解させることであり、考え方の違いそれ自体が交渉・交流を困難にしているのではない。何故そのように違っているのかをお互いに議論して相互理解への道を開き、場合によってはそれぞれの見解を改めることが、最も肝要である。我々は正しい、そしてこれは外圧という一方的な要求であると叫んで、その要求に実は内在する合理的なものや普遍性についてとかく配慮を失いやすいというのが、島国で国際交渉の少なかった日本人の一面であることは残念ながら認めざるを得ない。

日本がこれからの国際社会の中にあって充分に尊敬され、有用な役割を果たすことができるようになるには、考え方や表現の違いにとらわれず人類として普遍的・合理的なものを共有し、全体としての進歩・発展を目指して面子だけの争いや対立を極力回避することが、不可欠であろう。

日本は日米関係を外交の主軸に据えているとはいえ、これからはますますアジア・欧州や発展途上国をも含めた世界全体の問題について国連をはじめとする国際協議の場でその役割の遂行を求められている。ロシアの救済をどうするのか、ますます格差の拡大する南側諸国の経済発展をどうするのか、更にはもはや猶予できなくなりつつある地球環境の保全をどうするのかといったグローパルな問題について外圧を契機にして動くのではなく、自らがイニシャティブをとって日本人の考え方の普遍性を多くの国々に受け入れてもらえるような行動が、今ほど求められることはない。もはや外圧によって動くというような受け身の時代は終わったと言わなければならない。

(1992年05月01日「調査月報」)

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