1998年04月25日

「最近の新聞論議について」

細見 卓

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やや旧聞に属するが、 アジア諸国が経済繁栄を大いに誇っていた頃、 さる米国の高官が、 「東南アジアは経済的には申し分のない成長発展を遂げているけれども、 政治権力は必ずしも民主的なものではない。 殊に心配なのは政権交代・権力継承のルールが見えてこないことであり、 その点が大きな制約となる」 と言っていた。 当時アジアの経済発展は疑う余地もなく、 そのままの勢いで続くものと思っている人が多かった時だけに、 彼の一言が耳に残って忘れることができなかった。


東南アジアにみる権力交代の困難さ
事実はまさに彼の懼れた通りであり、 東南アジアの経済・通貨は混乱し、 再び東南アジアが全体として秩序と繁栄を享受できるかどうかについては予断を許さない。 それは、 「政治権力の交代にあたって、 ルールに従った平穏な権力委譲が予期できないとすれば、 国民はその生命・財産の安全について不動安心をすることができない。 従ってその経済発展もやがて行き詰まる可能性がある」 ということを示唆したものと思う。
権力継承にともなう困難さについては、 日本を含め国によって態様に差異があり、 全てインドネシアのように大混乱を予想する必要もなかろう。 しかしながら、 今回の経済金融破綻の状況を見ていると、 私が知るそれぞれの国の比較的良識があり信頼に足る官僚達はほとんど職を離れており、 東南アジアの戦後復興を支えてきた彼らが第一線から既に消え去っていったことが明らかだ。 新しい後継者が全て無能であるとは言いたくはないが、 骨のある官僚達が逐次権力者に退けられていた跡が見られるとするのはひいき目だろうか。
ケンブリッジ大学の歴史学の大家であったアクトン(注)は、 「権力は腐敗しやすい。 まして絶対権力は必ず腐敗する」 と言ったが、 彼の喝破 (かっぱ) は今に生きている感がする。 いわば社会に必要なブレーキの役割を果たす人達が消え、 権力の側に立ってただアクセルのみを踏む人達によって経済が運用されるとすればどうなるかについては、 今いやというほど見せられている。


アカウンタビリティとマスコミの役割
それでもタイや韓国のように権力の交代が実行された国では改善の兆しがいち早く見えているようであり、 事態への対処と責任のとり方といったものに差異が出ているようである。 それはまた、 事態の深刻化と変化に対応するためにはそれなりの新しい取り組みが必要であることも示している。
かつてこの欄でも述べたことがあるが、 日本の言葉に欠けているのはアカウンタビリティ(説明責任とでもいうものか)であることが今日もまた痛感させられる。 政治や経済の舵のとり方について、 国民に納得できる説明が必要なことはもちろんであるが、 事態が予想通りに進まなかった時には、 なぜ予想通りに行かなかったか、 なぜ予想が外れたかについて国民に十分な説明がなされて然るべきであろう。
激変する世界経済の中にあって、 政策が予想通りの効果や進展を示さないことは当然であり、 必ずしもその当否が問われている訳ではない。 なぜ予想が外れたか、 従って今後いかに政策を進めるべきかについての説明が重要である。 その役割を担う日本の当局者やマスコミは国民に対し十分な責任を果たしていないように思う。
民主社会において言論の自由が重要であることは言うまでもないが、 マスコミにより真に公正な言論が道義的に行えているかについては疑問を禁じ得ない。 大所高所に立って、 国民とともに政治経済のあり方を究めるものであることの重要性は今ほど大きいことはなかろう。 冒頭の権力交代の様相の不明瞭さは東アジア共通であり、 民主主義の育ちにくさと不充分さはアジアの友邦を笑えないと痛感させられる。
(注) Acton, John Emerich Edward Dalberg (1834~1902)

(1998年04月25日「基礎研マンスリー」)

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