1996年04月01日

生涯学習

細見 卓

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人間の労働年数の長期化と社会・科学万般の知識の急速な発展が、既に学業を終えた職業人達に再学習の必要を痛感させるようになってきた。こうした時代の趨勢を前にして、生涯学習の必要性が唱えられて久しい。また、一方では、学校側でも教授したい事柄の多様化から、現在の年齢あるいは就学期間における制限について疑問も出されている。

先般、東大の吉川総長の話を聞く機会を得たが、現行の就学年齢の制約について大きな疑問を表明、もっと年齢や期間にとらわれない勉学の必要性を力説されていた。中曾根内閣における臨時教育審議会の9月始業の提案を始め、こうした教育制度の大きな改革・弾力化はほとんど実現されていない。就学年限の短縮措置のようなものは一部で行われているが、基本的に就学の年齢制限的規制は今なお厳しいものがある。さらに大手企業では長期留年学生忌避の慣習が定着しており、学生はベルトコンベアの前の労働者同様、ひたすら学業高度化の単線コースをひた走ることが要請されている。

登校拒否のような極端な事例は除いても、学生の学問修得への熱情は惰性に流され、知的好奇心や研修意欲は薄れ、伝統的な学校制度は制度疲労を来している。向学心のない学生を漫然と管理し、送り出していく現行制度の下で、真の知識人や技能者を養成することには無理がある。また、企業においても終身雇用の下に、技能より忠誠心を重視してきた日本的慣行がこれまでの学校制度ともたれ合ってきたことも事実である。

しかし、企業を取り巻く経済環境が厳しさを増す中、新しい学卒者を大量に採用して企業内でOn the job training で育成していくこれまでの雇用慣行は労働コストの面からももはや維持できるものではなくなっている。今や企業の必要とする人材は、コアとなるごく限られた終身雇用的人材と必要に応じて弾力的に雇用されるいわばフローの人材であり、この組み合わせが今後の企業存続にとって不可欠の合理的雇用制度となろうとしている。組織的にも、ただ一律に年齢や学歴や経歴で組織を維持していくことの愚は、戦前の陸軍や海軍の失敗の歴史をみれば明らかである。つまり、陸軍士官学校や海軍兵学校は、20歳に満たない優秀な人を集めて、その段階で格付けしそれをいつまでも継続させるといった硬直的な制度だったが、こうした組織が自己矯正力を欠き、日本を敗戦に導いたと反省されている。今や異なる能力を持つ従業員を、それぞれの経験的あるいは知識的条件に応じて雇用していくという弾力的雇用政策の確立が急務となっている。

こうした雇用環境の変化に、従来のような大量生産的学校教育では対応していくことはできない。つまり、新しい時代に適した従業員は、厳しい競争にさらされている企業に何らかの付加価値を貢献できるような技能や知識を持っていなければならないが、そのような専門化は現在のような大量入学、画一的教育の場では養成されにくい。小学校から大学までただ単に脇目もふらず暗記に努め、偏差値という、その早さと正確さでのみ競う現行の学校教育では、前提そのものが動く新しい時代の社会環境の変化に即応していく能力を養うことは難しい。これからの学校教育は、各々の持っている資質を活かし、その個性を伸ばし、その赴くがままに、自らを有為な人材として保てるよう育てていくことが大切である。つまり、多少の道草をしてでも個性や特性を活かして、自ら考える能力を持ち、技能者として社会に貢献できるよう準備することが雇用する側、される側双方に必要になってきているのだ。

そもそも、25歳前後に学業や研修を終えさせようという今の制度は、人生僅か50年といわれた頃の所産である。人生80年といわれる今日では、定年退職した者が衰えた体力と知力で第二の人生の設計にあくせくしている。それに比し、若くて瑞々しい吸収力のある青年の2年や3年の道草はどれだけ後年の人生に役立つ知識や技能を与えることだろう。また、人生半ばで十分な経験を基に知的な磨きをかけることは、その後の人生をどれだけ輝かせることか。鉄は熱いうちに打てというが、いたずらに高齢化社会の停滞を嘆く前に、生涯学習の機会を豊富にして、人生のリフレッシュの機会を与えることの有用性を真剣に考えるべき時かと思う。

国民経済的にみても、世界的な大競争時代に際会して、企業や社会が生き残っていくためには、雇用にあたって単線的な教育終了や終身雇用だけに依存するのでなく、臨機応変に雇用を進めていくような柔軟な経営が不可避である。生涯教育はそのための緊急の課題であろう。

(1996年04月01日「調査月報」)

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